あなたは出勤の途中で、ふと不安を感じます。 「……家の鍵、ちゃんと締めてきただろうか?」たぶん大丈夫だとは思いつつ、家まで引き返す。このような経験に覚えはあるでしょうか。おそらく、多くの方がイエスと答えるでしょう。自分に覚えがないとしても、不安を感じてしまうその気持ちは理解できるのではないでしょうか。もし、これがたまにある程度なら、それは正常範囲内の不安だといえます。つまり、ふつうです。ところが、です。この行動が「じつは毎日な ■2これこそが「強迫症」の症状であり、かつてののだ」、「じつは一日に何度もしてしまうのだ」、「なかなか安心できずドアをガチャガチャ何度も確認してしまうのだ」となると、どうでしょうか。「さすがにそこまでは……」と思われるでしょうか。私も苦しんだ症状です。「ふつうの不安と行動」の延長線上にあるものの、明らかに度を越えてしまっている。この超強力な不安のことを「強迫観念」、くり返し駆り立てられる行動のことを「強迫行為」と呼びます。いま示したのは〝確認系〟の強迫症状です。このほかにも、手洗いや入浴に多くの労力と時間をかけてしまう〝汚染/洗浄系〟、物の正しい位置や特定のピッタリ感覚を追求して何度も同じ行動をとってしまう〝ピッタリ系〟、といった種類があります。人それぞれにテーマの異なる不安があるわけです。 「強迫症」とは少し前までは「強迫性障害」、古くは「強迫神経症」とも呼ばれていた病気です。時代によって定義は多少変わるものの、実態はほぼ同じ、昔からある病気です。一般人口のおおむね1〜2%の有病率ですから、「稀な病気」とするには少し多いでしょう。また、先ほど述べたように「ふつうの不安」と地続きであるわけですから、ギリギリ診断がつかない程度の「発症予備軍」もそれなりに存在します。要するに他人事ではない程度には「ありふれた病気」なわけです。自分が発症せずとも、周囲のだれかは罹■患■していると考えたほうがよいでしょう。最近のコロナ禍によって潔癖傾向に拍車がかかってしまい、発症に至った方もいるかもしれません。です。このことに関しては患者兼精神科医である私が強く主張する権利と責任があると考えています。少し、私の症状もお話ししましょう。スクの本が崩れ、イスにぶつかり、転がったイスが床の電源コードに乗り上げ、そのコードは断線し、発火するのです。埃■に燃え広がり、火事になり、大勢の人が亡くなってしまうのです。私の人生はこれにておしまいです。人的に「死のピタゴラスイッチ」(※)と呼んでいるものです。このバカバカしい想像のために、一この病気の辛さ、しんどさとは、過酷なものとある精神科の医局の夜のことです。私のデこれは当時の私の強迫観念の一つであり、個■■ありふれた病気、「強迫症」京都大学大学院医学研究科精神医学教室客員研究員死のピタゴラスイッチ〜「強迫症」を発症した精神科医が伝えたいこと〜ありふれた、過酷な病亀井士郎※ ピタゴラスイッチ: NHK Eテレの名物番組。毎回この番組ではドミノ倒しに似たからくり装置が実演されている働く広場 2024.8
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