働く広場2025年2月号
4/36

アール・ブリュットと美術館の未来滋賀県、パリ、サンフランシスコの事例紹介を通じて滋賀県立美術館ディレクター(館長) 保坂健二朗アール・ブリュット≠障害者によるアート アール・ブリュット(Art Brut)とは、フランスのアーティストであるジャン・デュビュッフェ(1901-1985)が1945(昭和20)年ごろに生みだした言葉=概念です。日本語では〈なまの芸術〉や〈き4の芸術〉と訳されます。英語では直訳すると“Raw Art”となるのですが、いろいろな経緯があって“Outsider Art”が対応する言葉として定着しています。 どのような作品が〈なま〉だと感じられるのか。デュビュッフェの言葉を借りつつまとめると、それは、芸術的文化によって傷つけられていない人たちが、主題や素材、描き方を自分自身の奥底から引き出してきた場合、かつまた、流行や評価を気にせず衝動的につくられた場合、となります。 このように、デュビュッフェ自身によるアール・ブリュットの説明のなかに、〈障害者〉という言葉はみえません。したがって、いま日本で広まってしまっている「アール・ブリュットとは障害者によるアートのことである」という考え方は誤りだといえます。しかし、彼が実際に集めた作品のなかには、精神障害のある人の作品が多数含まれていたのも事実です。20世紀はじめから、ヨーロッパの精神科医たちは、患者たちの作品に独創性や芸術性を見出し、それを展示や論文の形で発表していました。それがデュビュッフェの関心を惹いたわけです。これに対して日本の場合は、2010年代以降、知的障害のある人たちを支える福祉の現場から、「ここにもアール・ブリュットがある!」と声をあげ、自ら展覧会を組織していったことを特徴としています。なぜ滋賀県立美術館はアール・ブリュットを収蔵するのか? 筆者が勤務する滋賀県立美術館は、2016(平成28)年にアール・ブリュットを収集方針の一つに加えました。2023(令和5)年には公益財団法人日本財団から作品の寄贈を受けました。それらは、2011年にパリで開催された「アール・ブリュット・ジャポネ」展という、日本のアール・ブリュットが世界的な関心を集めることになったきっかけの一つに出品された作品の一部でした。その結果、2024年12月現在の総数は731点となっています。 アール・ブリュットを収集方針に掲げている公立の美術館は、いまのところ日本では当館のみです。滋賀県では、戦後間もない時期から、近江学園など県内の福祉施設で、障害者による創作活動の支援が行われていました。また、制作の支援にあたった人たちに理解があり、個々人の個性や創造性を活かすという雰囲気がありました。そうやって生まれた作品の一部が、やがてアール・ブリュットとして国内外で紹介されるようになります。2013年には、世界最大のアート・イベントであるヴェネチア・ビエンナーレに、澤さわ田だ真しん一いち(1982-)の作品が出品されました。こうした背景があって、滋賀県立美術館は2016年に収集方針に新機軸を追加したのです。アール・ブリュットを収蔵することのむずかしさ ただ、美術館にとってアール・ブリュットの収蔵が簡単でないことはいっておかなければなり働く広場 2025.22

元のページ  ../index.html#4

このブックを見る