の養成研修も受けている。 柳楽さんによると藤本さんは、2週間程度の職場実習ではいわれた作業をきちんとこなしたことから採用されたが、いざ入社してみると、出勤してもすぐに、具合が悪いからといって帰ってしまうことが3カ月ほど続いたという。 「このままでは雇用を続けるのはむずかしい」と危機感を抱いた柳楽さんは、ある日、やはり出勤直後に帰ろうとした藤本さんを引き留めて、作業着に着替えてもらい、現場に連れて行った。「やる前から不安だけが大きくなっていた藤本さんの背中を押す必要がありました」 すると藤本さんは、その日は終業まで働くことができた。柳楽さんから「終わりまでできたじゃないか」といわれてうれしそうな顔をしたという。 その日を境に、途中で帰ることが急激に減った藤本さんだが、就業中の課題がもう一つあった。それは、職場で困りごとがあっても直接周囲にはいわず、母親に携帯電話で電話をかけ、母親の口から会社側に伝えてもらうという間接的なコミュニケーションが続いていたことだった。 そこで藤本さんと母親、定着支援を行う障害者就業・生活支援センターの担当者が集まり、話し合った。 「その場で、藤本さんの母校では生徒たちが携帯電話を預けていたことがわかり、職場でも、『強制はしないけれど預けてみたらどうか』と藤本さん親子に提案したところ、藤本さん本人から『預けます』と返ってきました」と柳楽さん。 しかし、携帯電話を預けたからといって、すぐに周囲と話せるようになったわけではない。そこで、「聞きたいことを書くことはできる」といったため、ノートを1冊渡した。藤本さんはその後、職場で聞きたいことや困りごとがあるたびにノートに書き込み、それを柳楽さんたちに見せて助言などをもらうようになった。柳楽さんは「掲示板でみつけた年末調整のお知らせへの対応から『明日が休日というのは本当か』といったことまで、何でも聞かれました」という。 そうしているうちに、藤本さんは仕事や職場の雰囲気に慣れたのか、少しずつ周囲と自然な会話もできるようになったそうだ。いまではノートを介した質問はごくたまにしかないが、それでも本人からは「続けてほしい」といわれている。柳楽さんが話す。 「あのノートがあると安心するのだそうです。家でもノートを見返して、確認しているのだといっていました」 職場内でだれとでも話し、担当作業も増えた現在の藤本さんについて、「奇跡のような大きな成長です」という柳楽さんに、高橋さんがつけ加える。 「いまでは、現場の表示板の間違いなども見つけてくれる働きぶりです。力仕事でも頼りにされ、休まれると困るほどですね。日ごろはみんなに何かと可愛がられる存在でもあります」 藤本さん自身は「会社のみなさんがやさしいので、これからも働いていけると思います」と笑顔を見せていた。 藤本さんとのノートを活用したコミュニケーションが成功した経験をふまえ、ほかの障害のある従業員にも作業日誌を書いてもらうことにした。 高橋さんは「じつは、新たに入社した障害のある従業員に共通していたのは、『困りごとを自分からいい出せない』ことでした。書き込みやすい選択肢つきの日誌なら、小さなことでも相談してもらいやすいと思ったのです」と説明する。日誌でコミュニケーション生産部チーフマネージャーの 柳楽一成さん生産部リーダーの高橋多希さん段ボールに加工日付を押印する藤本さん働く広場 2025.26
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