働く広場2025年4月号
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2)。「ねば塾」で働く障がいのある人々はみんな目がキラキラしていた。そしてイキイキとしていた。働くってたいへんだけど楽しい。自分が認められる場所があって、生きがい、働きがいを感じているそんな姿に心を打たれたという。 そこから、2人は「会社として自立」していること、「働く意味」にこだわって、化粧品(石鹸)を事業にすると決めた。そこで実際にだれが事業を立ち上げるかとなった際に、「だれかに任せるくらいなら、俺がやる!」と神原さんは自ら旗を掲げ、全国行脚をともにした青野さんと一緒に事業に取り組んだ。  「僕たちには何もなかった。障がい者に関する知識も、石鹸をつくる技術も・・・」と青野さんが当時をふり返り、「あのころはたいへんだった、でも楽しかった。石鹸まみれ、汗まみれだった。でもその時代があったからいまがあり、未来がある」とも語ってくれた。 「『この石鹸を磨いておいて』と指示をすると、一日中磨き続け、気づくと小さな小さな石鹸ができあがっていた(笑)。スタートは全員で単純な形の石鹸を月200個しかつくれなかったが、いまや何千種類ものむずかしいデザインの石鹸を月2万個も制作できるまでになった。そ何度ものピンチを乗り越えて年2月号参照)(※1)。これまでをふり返って、そして未来について語っていただいた。 15年前、親会社のコムテックは、法定雇用率未達成で会社として障がい者雇用に取り組まなければならない状況だった。当時、コムテックの人事総務部長だった神原さんに障がい者雇用の仕事が任された。そこで神原さんが起こした行動は、全国のさまざまな障がい者雇用の現場を肌で感じる全国行脚だった。「当時、隣の席でグループ経営戦略等をになっていた、まったく畑違いの青野さんを引き連れて、北は宮城県から南は沖縄県まで70カ所以上を訪問した。そこで見た世界は、実現したい世界観とは程遠いものだった。補助的な仕事や、軽作業をしている現場。それら一つひとつはとても大切な仕事であるものの、10年先、20年先まで本当に社会で必要とされる仕事なのか。出口戦略のない役務提供に、どこかピンとこなかった。もし、自分がそのような仕事をすることになったら、単純に嫌だとも思った」と神原さんはいう。「儲けなくてもいい、期待もされていない、でも法律で決まっているからやらなければならないなんて。そんな世界観をぶっ壊したいと思った」と、当時36歳で若かったと神原さんはふり返る。 そして、自分たちの目ざしたいかたちに出会ったのが、長野県の「ねば塾」だった(『働く広場』2023年7月号参照)(※  私は、障がい者にかかわる世界観を変えたいと思っている。そう思うなかで、今回出会った3人のリーダーの思いや実現しようとする未来にワクワクした。 障がい者雇用にたずさわっている方、これから障がい者雇用に取り組もうとされている方、経営者の方、多くの方に3人のリーダーたちを紹介したい。  コムテック株式会社(以下、「コムテック」)の特例子会社である、株式会社リンクライン(以下、「リンクライン」)代表取締役の青あお野の真まさ幸ゆきさんと同社取締役兼コムテック株式会社取締役CSOの神かん原ばら薫かおるさんにお話をうかがった。 リンクライン創設は2010(平成22)年。いまから15年前、チャレンジの花は何度ものピンチを乗り越え、大輪を咲かせた(『働く広場』2020〈令和2〉障がい者にかかわる世界観を 変える!「だれかに任せるくらいなら俺がやる!」障がい者雇用で社会を変える!1ともに働くことでプラスの変化2だれもが働きやすい未来へ進む3POINT※1https://www.ref.jeed.go.jp/2020/m213q8000000ugzq-att/2020506.pdf※2https://www.jeed.go.jp/disability/data/works/book/hiroba_202307/index.html#page=23株式会社リンクライン代表取締役青野真幸さん株式会社リンクライン取締役とコムテック株式会社取締役CSOを兼務する神原薫さん21

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