と子どものいうことに耳を傾け、寄り添い、成長を支援するようになった。この変化を妻からは「やさしくなった」といわれた。そして神原さんはこう思ったという。 「リンクラインの仲間たちとどっぷり触れ合うなかで、育て方とか、人としての触れ合い方っていうことを、彼らから僕らは気づかされ、日々反省し、教えてもらっているということなんだろうなってすごく思いました。本当にやさしいというのは、その人の立場に立って真剣に考え抜くこと。こっちが優位に立って手を差し伸べてあげようという姿勢だったら、意味がないんですよ、最初から正解を与えちゃってるみたいで。だけどお互いに、どうやったらできるかなっていうのを考えたりとか、お互いに受け入れて失敗を恐れずやってみたりとか、じつは、僕らも答えをもってなかったっていうのもあります。僕らも石鹸をつくったことがなかったので、みんなで試行錯誤。だから、一人ひとりの伸びしろを、可能性の芽を摘んじゃいけない。育てることを諦めるのも、できないと決めつけるのもちがう」と。 神原さんはいう。「障がい者がつくっている石鹸だから買うということを求めていない。ただ、この石鹸が欲しかったリンクラインが目ざすことレキシブルでデザイン性豊かなものをつくれるのは絶対うちだけだと自信を持っています。でもこの先はわからなく、他社に追い越されるかもしれません。でも、僕らの強みって、その石鹸のノウハウじゃなくてだれにも負けない努力をするっていうところだと思っています。情熱があって、もっと楽しくするんだとか、もっと豊かにするんだとか。まだ働けない障がいのある人はたくさんいて、リンクラインでもっと雇用も増やせないかとか。そのために、絶対だれにも負けたくない。努力はだれにも負けない。それが多分、僕らの強みじゃないかな」と青野さんは語ってくれた。 神原さんも青野さんも、設立からリンクラインの事業化にどっぷりつかっていた。神原さんは、千葉県の自宅には帰らず神奈川県小田原市にあるリンクラインに泊まり込みだった。以前は自分の子どもに、「あれやれ、これやれ」と自分の考えでいっていた。やっていなかったら、「なんでやっていない? やれっていったよね」といった接し方をしていた神原さん。しかし、7年経って、子どもへの接し方が180度変わったという。できないことがあったときに、「どうやってやろうとしてるの? いつまでに、やろうとしているの?」事業開始7年後 妻にいわれた言葉の道のりは決して平たんなものではなく、最初は仕事がなかった。軌道に乗っても、幾度もの困難があったが、ピンチをチャンスに変えた。人との縁に恵まれ、運も味方になった」と2人はふり返ってくれた。 2人には、「自分たちが引き入れた障がい者たちがイキイキと働く会社をつくる」という信念や覚悟があったから、へこたれそうになってもあきらめず、簡単にはいかないことにも、自分たちを信じてやり続けた。 会社を立ち上げて3年間はしんどい時期が続いた。そこでいま一度原点回帰で2人は再び「ねば塾」へ行った。「そこで『いままで彼らとやってきたことを2、3年続けていたら結果がついてくるから信じてやってごらん』という塾長の言葉に背中を押された。その後も、ふん張って続けていたら、本当にOEM(他社ブランド製造委託)や自社ブランドも軌道に乗り、黒字化も実現できたんです」と神原さん。 「機械的技術があるわけじゃないので、やっぱり人に依存しています。僕らのつくる石鹸は世界一だと思っています。フ悩んだら原点に戻るリンクラインの強みリンクラインのオリジナルブランド「li’ili’i(リィリィ)」の石鹸は、全国の雑貨ショップ、セレクトショップなどで販売され、好評を博している株式会社リンクライン働く広場 2025.422
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