働く広場2025年6月号
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レスパイトサービス※と医療的ケア 30年ぐらい前のことです。わたしは在宅障害児者のレスパイトサービスの仕事をしていました。わたしたちのレスパイトサービスは、公的な制度外の民間団体による自主的な取組みとして行っていました。対象は、おもに知的障害や重症心身障害のある人たちで、ご家族に代わって、職員がレスパイトサービス用の借家で一緒に宿泊したり、日中の外出のつき添いや自宅と外出先の送迎などをして、本人の日常生活を支えていました。理由を問わず、空いていれば利用できる柔軟性が受け入れられて、利用者は増えていきました。 レスパイトサービスの利用者に、経管栄養からの注入と痰の吸引が必要な重症心身障害のある小学生がいました。当時は、まだ介護職員の喀かく痰たん吸引研修が制度化されていなかったため、経管栄養の注入や痰の吸引は医療行為とされ、医師の指示を受けた看護師か家族しかそれを行うことが許されていませんでした。しかし、それではレスパイトサービスを利用している間、家族に一緒にいてもらわなくてはならず、利用する意味があまりありませんでした。受診同行と主治医指示書 当時、東京都教育委員会では、経管栄養や痰の吸引について、児童・生徒や家族の同意書があること、医師の指示書があること、看護師など医療職から手技の指導を受けていることを条件として、学校の教職員が経管栄養や痰の吸引を行うことができるという、独自の取組みを行っていることを知りました。それで、東京都以外でも、その条件を整えることができれば、経管栄養や痰の吸引を行うことが可能になるのではないかと考えました。そして、その子の主治医に指示書を書いてもらうために、病院の受診日に同行させてもらうことにしました。地方には、重症心身障害の子どもをみる専門病院がなかったため、主治医の病院は、高速道路を使って車で1時間以上離れた都会にありました。この子がわたしを連れてきた 診察室で事情を話したところ、主治医は指示書を書くことを引き受けてくれました。書類ができるまで、お母さんとわたし、リクライニング式の車いすに座ったその子の3人で待合室で待っていました。少しして、お母さんが「なんで遠くの病院まで来てくれたのですか」と話しかけてきました。「なんで」と問われると理由を答えなくてはならないと思い、なんでだろうと考えていたときのことです。突然、車いすに座った重症心身障害のその子以外が視界から消えて、背景が真っ白になって、まるでその子が宙に浮かんでいるような不思議な視覚的体験をしました。そして、わたしが遠くの病院に来た理由がはっきりとわかりました。「この子がわたしをここに連れてきたのだ」と。「弱さ」が社会を変える 重症心身障害のその子は、障害が重いため言葉で話すことができません。体を自由に動かすこともできないので、行動や動作でなにかを伝えることもむずかしい状態です。食事は口から食べることがむずかしいので、鼻から胃まで入れたチューブに、点滴のように栄養剤を注入し、痰がからむと吸引が必要になります。社会的には、弱い存在とされるでしょう。でも、言葉ではなにも伝えることができないその子の存在が、わたしを遠い病院まで連れてきたことを理解したとき、「弱い」とされている人の存在が放つエネルギーの大きさ、強さに圧倒される思いになりました。その子は、その存在で、家族を動かし、わたしを動かし、周りの人たちを動かしているのだ、と強く感じました。 そのあと、お母さんにどのように答えたかは覚えていませんが、そのとき受けた衝撃は残り続けており、当事者の存在が周囲を動かし、社会を変えているという、障害福祉を考える原点になっています。知的障害のある人の入所施設、障害児の通園施設、レスパイトサービス、障害者グループホームの職員を経験した後、障害者相談支援事業の相談員などを経て厚生労働省障害福祉課虐待防止専門官として5年間勤務。日本社会事業大学専門職大学院教授を経て定年退職後、現職。障害のある人の地域生活支援についてエッセイ日本社会事業大学社会事業研究所 客員教授 曽そ根ね直なお樹き第2回「弱さ」が社会を変える※レスパイトは「休息」の意味。障害のある人の家族が、一時的に介護などから離れて休息できるサービスとして始められたが、障害のある本人のいつも通りの生活を支援することが、結果として家族の休息につながると考えるようになった働く広場 2025.619

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