働く広場2026年4月号
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高校時代からボランティア活動――手話通訳士として35年以上活躍してきた中野さんの、手話との出会いを教えてください。中野 私の名前「佐世子」は、父が「世の中の助けになる人になってほしい」との願いを込め、補佐・助ける意味の「佐」と「世」を入れたそうです。そんなことをいわれて育った私は、小学1年生のクラスで、知的障害のある男の子と肢体不自由の女の子と一緒になりました。ベテランの担任教師の適切な指導のもとでともに過ごすうちに、将来は障害児にかかわる仕事がしたいと思うようになりました。 高校に入ってからボランティア活動で知的障害児施設に通うようになり、そこで初めて遊んだ子が、知的障害と聴覚障害のある重複障害児でした。彼と話がしたくて手話を学ぼうと思ったのですが、当時は市販の本がありません。通学途中に「全日本ろうあ連盟」の事務所があるのを見つけ、そこで1冊買って独学で手話を覚えました。 大学では本格的に手話を学ぼうと、大学や自治体のサークルに入り、毎日手話を使っていました。そのうちに他大学の授業のボランティア通訳も始めました。たとえ手話通訳がおぼつかなくても、必要としているろう者がいるならと、学生同士で通訳を派遣する仕組みもつくりました。指導してもらったろう者の結婚式では、言葉だけではなく、想いを届けることができる通訳の仕事に喜びを感じました。 一方、大学での専攻は障害児保育でしたので、卒業後は都内の保健所や児童館で心理相談員として働きました。サポートが必要と思われる子どもと親を対象にしたグループで、ここでは遊び方や接し方の指導をしました。現在は大学や専門学校で障害児保育の講義を行っています。社会で手話が認められるまで――「NHK手話ニュース」が始まったときから、手話通訳キャスターを務められてきましたね。中野 私は1989(平成元)年の第1回手話通訳技能認定試験に合格し、翌年に始まったNHK「きょうのニュース~聴覚障害者のみなさんへ」(現在の「NHK手話ニュース」)で手話ニュースキャスターを務めることになりました。 しかし、このころはまだ手話に対する理解が少なく、難聴の友人から「電車に乗ったら手話は使わないでね」といわれることもありました。ろう学校でも当時は、手話ではなく口話法(口の形を見て話を理解する方法)の指導が主流で、耳の聞こえる人たちに合わせて生きていくための教育を受けていました。 その後、NHK手話ニュースのほか「NHKみんなの手話」といった講座番組、さらに手話を使うシーンが登場するテレビドラマの影響もあって、社会的に手話が認知されるようになったと思います。小学校へ手話指導に行くと、子どもたちから「先生、手話できるの?かっこいいね!」といわれるようになり、これはとてもうれしい目の前の人のことを、正しく理解することから手話通訳士中野 佐世子さんなかの さよこ 1960(昭和35)年東京生まれ。1989(平成元)年に手話通訳士の第1回認定試験に合格。1990年から2021(令和3)年まで「NHK手話ニュース」(1996年3月までの番組名は「きょうのニュース~聴覚障害者のみなさんへ」)キャスター。現在は、障害者や高齢者との接し方などをテーマに大学の授業や企業研修で講師を務めている。近著に「ハッピー コミュニケーションのすすめ~誰もが笑顔でいられる社会のために~」やDVD「心のバリアフリーをめざして~合理的配慮と職場のコミュニケーション~」(株式会社自己啓発協会)監修・出演など(問合せはユニバーサルデザイン・ラボ「MOVE東京 中野佐世子」まで)。働く広場 2026.42

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