エッセイ 誰一人取り残さない防災とは? 第1回 事務分掌主義が招いた福祉と防災の分断 同志社大学社会学部教授 立木茂雄 立木茂雄(たつきしげお)  1955(昭和30)年兵庫県生まれ。1978年関西学院大学社会学部卒。同社会学研究科修士課程修了後、1980年よりカナダ政府給費留学生としてトロント大学大学院に留学。MSW(マスター・オブ・ソーシャルワーク)ならびにPh.D.(ドクター・オブ・フィロソフィー)修得。1986年より関西学院大学社会学部専任講師・助教授・教授を経て2001(平成13)年4月より現職。  専門は福祉防災学・家族研究・市民社会論。特に大災害からの長期的な生活復興過程の解明や、災害時の要配慮者支援のあり方など、社会現象としての災害に対する防災学を研究。  おもな著書に『災害と復興の社会学(増補版)』(萌書房、2022年)などがある。 事務分掌主義が招いた高齢者・障がい者の「取り残し」  「誰一人取り残さない」防災。この言葉の響きは美しい。しかし実際にそれが実現できているかというと、現場の現実は決してそうではない。特に、災害時に支援を必要とする高齢者や障がい者にとって、その理想は程遠い。行政の「事務分掌主義」が根強く残り、平時の福祉と災害時の防災が切り離され、縦割りのまま連携が進まない。この分断が、災害時に高齢者や障がい者が「取り残される」原因になっているのだ。  内閣府が平成の時代(2005年3月)に公開した最初のガイドライン(災害時要援護者の避難支援ガイドライン)では、「連携」という言葉が34回も使われている。そして令和のガイドライン(2021年の避難行動要支援者の避難行動支援に関する取組指針)では、なんと58回もくり返されている。だが、この「連携」というスローガンは現場で機能しておらず、空虚な響きにすぎない。実質的な「連結」が行われていないため、市区町村では個別避難計画の策定が遅れ、支援が必要な人々が災害のリスクに曝(さら)されたまま「取り残されて」いるのだ。 「連携」の限界が生んだ取り残し  2011(平成23)年の東日本大震災は、福祉と防災の分断がどれほど深刻な影響をもたらすかを如実に示した。宮城県では障がい者の死亡率が全体の死亡率に対して1.9倍にも達した。一方、岩手県・福島県では1.2倍に留まっていた(※)。他県よりも際立って高いこの数値が示すのは、宮城県で進められていた「ノーマライゼーション」(障がいの有無を問わず在宅で暮らせることを保障する福祉のまちづくり)政策が災害時には十分に機能しなかったという事実だ。平時に福祉に力を入れていたにもかかわらず、災害時の対応との連携が欠けていたため、障がい者が多数取り残される結果となった。  この背景にあるのが、福祉が「平時の業務」として位置づけられ、災害時への備えや対応とは切り離されていたという現実。結果として、災害発生時には在宅で支援を受けていた多くの障がい者が取り残され、甚大な被害を被った。  さらに、施設入所者の間でも被害の大きさには地域差が見られた。特に、宮城県東部の太平洋沿岸部に位置する福祉施設は、津波のリスクが高かったにもかかわらず、避難確保計画、立地規制や移転誘導などの事前の防災対策が不十分だったため、多くの命が失われた。これもまた、行政の事務分掌主義がもたらした「連携不足」の典型的な例だ。単なるスローガンに終わった「連携」が、最も支援を必要とする人々を危険に曝してしまったのだ。 「連携」ではなく、実質的な「連結」が必要  これらの問題は、単なる計画の不備では片づけられない。根本的に欠けていたのは、福祉と防災を切れ目なくつなぐ「実質的な連結」という視点だ。高齢者や障がい者が災害時に確実に支援を受けられるようにするためには、平時(例えれば「晴の日」)の福祉と災害時(例えれば「嵐の日」)の防災が断絶されるのではなく、つねに一貫して機能する体制が必要だ。これがいわゆる「全天候型の福祉」の概念であり、この視点が欠けているかぎり、真の意味での「誰一人取り残さない」防災は実現しない。  行政はスローガンに頼るだけではなく、事務分掌主義という古い枠組みを超え、具体的で実効性のある「連結」の仕組みを構築するべきだ。これによって初めて、災害時に支援が必要な人々を守ることができ、真の「誰一人取り残さない」社会が実現されるのだ。 ★本誌では通常「障害」と表記しますが、立木茂雄様のご意向により「障がい」としています ※Tatsuki, S. Old Age, Disability, and the Tohoku-Oki Earthquake. Earthquake Spectra, 29(S1), 2013, pp. S403-S432.