特別企画 座談会 第1部 働く障害社員のリアルな声を聞く 司会者プロフィール 松爲 信雄 (まつい のぶお) 神奈川県立保健福祉大学・東京通信大学名誉教授。前日本職業リハビリテーション学会会長。2022(令和4)年より「松爲雇用支援塾」を主宰し、障害者雇用をリードできる支援者の育成に尽力している。 企業データ 株式会社栄和産業 〒252-1125 神奈川県綾瀬市吉岡東4-15-5 TEL 0467-77-0878 FAX 0467-76-4706 1974(昭和49)年創業。従業員数は177人(うち障害者14人)。自動車の試作部品や建設機械部品などの加工・製作を手がける鈑金加工業。県内外に14工場を展開している。 有限会社川田製作所 〒250-0876 神奈川県小田原市中新田294-1 TEL 0465-48-8696 FAX 0465-47-3398 1969(昭和44)年創業。従業員数は16人(うち障害者5人)。金属プレス加工・金型製作を行う“町工場”。自動車や産業用機械、OA機器などの部品を受注加工している。  これまで、本誌「編集委員が行く」のコーナーで、多くの企業や事業所を訪ね、最前線の現場で取材をしてきた本誌編集委員の松爲(まつい)信雄(のぶお)さんを司会に迎え、障害のある社員お二人と、そのお二人が勤務する企業の担当者の方々による座談会を開催しました。「働くことを通して感じたリアルな思い」を語り合った当日の模様を、今号より2回にわたりお届けします。  第1部は、障害のある社員に就職のきっかけから不安やつまずき、現在の会社で長く働きたいと思うようになるまでの歩みをお話しいただきました。 松爲 私はこれまで、多くの障害者雇用の現場でお話をうかがってきましたが、どうしても会社側の説明や管理者の視点に偏りがちだと感じていました。  しかし、本当に知りたいのは、「いま、そこで働いている一人ひとりのリアルな実感」です。職場には楽しいこと≠竍やりがい≠セけではなく、ここがたいへん=Aここでつまずいた≠ニいう場面が必ずあります。それでもなお働き続けている方たちが、何に悩み、どう乗り越え、どのように自分の居場所をつくってきたのか。そのプロセスにこそ、これからの働き方や障害者雇用を考えるヒントが詰まっているのではないかと考えます。  そこで今回は、株式会社栄和産業(えいわさんぎょう)(以下、「栄和産業」)さんと有限会社川田(かわだ)製作所(せいさくしょ)(以下、「川田製作所」)さんのご協力のもと、栄和産業の企画部で活躍されている精神障害のある横田(よこた)博之(ひろゆき)さん(以下、「横田さん」)、川田製作所で生産管理・経理業務をになう発達障害のある佐々木(ささき)彩花(あやか)さん(以下、「佐々木さん」)にご登場いただきました。障害のあるお二人は、それぞれ前職での体調不良や進路選択の迷いを経て、いまの職場に出会い、試行錯誤しながらキャリアを築いてこられました。今日は就職のきっかけ、働き始めたころの不安、周囲の支え、自分なりの工夫、そしてこの会社で長く働きたいと思うようになるまでの歩みを、できるだけ率直にうかがっていきたいと思います。  社長や上司の前では話しづらいこともあるかもしれません。しかし、同じように働く全国の仲間たちに「自分だけではない」と伝え合えるような、等身大のメッセージを紡いでいただきたい。そんな思いから、今回はあえて飾らない座談会形式で、じっくりお話をうかがうことにしました。 1.入社のきっかけ、この会社を選んだ理由とは? 松爲 まずは、お二人がいまの会社に入られたきっかけからうかがわせてください。横田さん、前職から栄和産業入社に至るまでの流れを教えてもらえますか? 横田 はい。もともとは社員が40名くらいのテント倉庫をつくる会社で、現場管理の仕事をしていました。しかし、人間関係のストレスもあって体調を崩してしまい、「このまま続けるのはつらいな」と感じて退職しました。  その後、病院の紹介で、とある就労移行支援事業所に通うようになり、そこから福祉の世界や障害者雇用の仕組みを知ったのです。しばらく訓練を続けたあと、「綾瀬市(神奈川県)内にある事業所へ職場実習に行ける人はいませんか?」という形で栄和産業さんから声をかけていただき、実習に参加しました。 松爲 実習のとき、どんな点がここで働いてみよう≠ニいう決め手になったのですか? 横田 一番大きかったのは、実習時の担当社員に「急がず自分のペースでやってください」といってもらえたことです。前職では、急に現場に送り込まれて叱責されることも多く、自分のペースをつかむことがまったくできませんでした。  職場実習のときは、「朝8時から働けるだろうか」とか、「人間関係は大丈夫だろうか」とか、不安だらけだったのですが、その一言で肩の力が抜けました。年齢の近い人が多く、いわゆる上下関係が厳しく一方的な叱られ方をするような雰囲気もあまりなく、企画部という当時新しく立ち上がった部署で、ゼロから一緒に職場環境をつくっていける感じがしたのも大きかったですね。 松爲 なるほど。人≠ニ空気感≠ェ決め手になったわけですね。続いて佐々木さん、高校からの進路選択の経緯を教えてください。 佐々木 私は高校3年生のときの企業見学がきっかけです。就職に向けた企業見学のなかでたった1日きりですが、少しだけ実際の仕事も体験させていただきました。そのなかで、事務の仕事を体験したときにこれなら自分に合っているかもしれない≠ニ感じました。  そのほか就職の条件として、私は車の運転にはあまり自信がなかったので、電車で通える範囲≠ナあることと、障害者雇用に力を入れている企業であることを考えていました。そのなかでインターネットで求人票を探していたら、たまたま電車で通えて、障害者雇用で社会貢献されている川田製作所を知り、見学に行きました。 松爲 見学のときの印象はいかがでしたか? 佐々木 求人票に「障害者雇用に力を入れている会社です」と書いてあって、実際に見学に行くと、身体障害のある方や知的障害のある方など、いろいろな障害のある人が一緒に働いていました。自分と同じ障害の人はいないかもしれないけれど、いろいろな人があたり前に働いている場所なのだ≠ニわかって、安心しました。  それから、企業見学のなかで少しだけ受発注の登録作業を体験させていただきました。お客さまからの注文を間違いなく処理して、納品までつなげる仕事で、「請求書を出し忘れたら信用問題になる」と教えていただき、ていねいに仕事をすることがすごく大事なのだ≠ニ実感しました。そういう責任感が必要な事務の仕事なら、自分もがんばっていけるかもしれないと思い、川田製作所への就職を希望することにしました。 2.働き始めたころの不安、そしてつまずき 松爲 では、実際に働き始めてからの現場の感覚≠ノついてうかがいます。困ったことやつまずいたこと、それをどう乗り越えたのか教えてください。  まず佐々木さん、生産管理の仕事を任されるようになった経緯を教えてください。 佐々木 もともとは経理や受発注の事務を担当していたのですが、2年ほど前に、生産管理を担当していたベトナム人の方が退職することになり、急きょその仕事を引き継ぐことになりました。引継期間もありましたが、正直にいうと、生産管理なんてやったことがないのに無理!≠ニ最初は思いましたし、上司にも「別の人にやってもらえませんか」と一度はお願いしたくらいです。でも、周りの先輩方がプロセスを書き出してくれたり、「今日はここまでやってみよう」と少しずつ教えてくださったりしたので、まずは自分なりの覚え方を工夫してみようと思いました。 松爲 具体的には、どんな工夫をされたのですか? 佐々木 一番大きかったのは、作業手順を動画に撮らせてもらったことです。「忘れちゃうので撮ってもいいですか?」とお願いして、実際の作業の流れをスマートフォンで撮影しました。あとでわからなくなったときに見返せるので、何度も同じことを聞かなくてすみます。  もちろん、それでも間違えそうになったり、これはこの順番で合っているかな?≠ニ不安になることはあります。そういうときは、「すみません、ここから先がわからないです」と素直に周りの人に聞くようにしています。自分でも諦めないことが大切≠セとメモに書いて、くじけそうになったときに見るようにしています。 松爲 「自分で動画を撮る」、「わからないときは素直に聞く」。とても大事な工夫ですね。横田さんは、入社当初どんな不安がありましたか? 横田 僕の場合は、人間関係と自分の立場への不安が大きかったですね。栄和産業に入った当時、従業員は160〜170人ほどで、前の職場とは規模も雰囲気も違いました。コロナ禍のなかでの入社だったこともあり、こんなに人が多い職場でちゃんとコミュニケーションをとれるのだろうか≠ニいう心配がありました。  もう一つは、障害者雇用で入社することへの戸惑いです。自分は精神障害者保健福祉手帳を取得するかどうか決めるまでに時間がかかりました。手帳取得を決めてからは、障害者枠に応募することに抵抗感はありませんでしたが、それまでずっと一般枠で働いてきたので、その違いがあるかわからないこともありました。 松爲 その戸惑いは、どのように和らいでいったのでしょうか。 横田 まず、会社側から「障害があっても、健常者と同じようにキャリアを積んでいい」とはっきりいってもらえたことですね。「現場には障害のある社員で役職に就いている人もいるよ」と聞いて、ここなら自分も長く働いていけるかもしれない≠ニいう感覚を少しずつ持てるようになりました。  それから、企画部の仕事は、現場から情報を集めて整理したり、新しい仕組みを考えたりするポジションなので、最初はだれがだれだかわからない¥態でも、少しずつ現場に足を運んで顔と名前を覚えるようにしました。自分から挨拶をして、「〇〇さんのところにお邪魔している横田です」と声をかけることで、少しずつ距離が縮まっていったと思います。 3.働きやすさを支える職場環境とは? 松爲 次に、「働きやすいと感じる職場環境」についてお聞きします。  横田さん、栄和産業のどんな点が働きやすさにつながっていると感じますか。 横田 一番大きいのは、「すみません、わかりません」といえる雰囲気があることです。上司や先輩が、障害の特性について勉強してくれていて、ゼロから全部教え込む≠フではなく、「ここまでは理解できているから、その先を一緒に考えよう」というスタイルで指導してくれます。  例えば、新しい業務を任されたとき、自分のやり方を試しながら進めますが、失敗をして、「ここがわかっていませんでした」と確認しながら覚えていくこともあります。そういうときに責めるのではなく、「じゃあ、どうしたら次はうまくいくか一緒に考えよう」といってくれるので、自分からもどんどん質問しやすい環境ですし、仕事への理解も深めることができました。 松爲 質問できる雰囲気≠ヘとても重要ですね。横田さんは現在、副主任として部下もいらっしゃるとのことですが、その立場から心がけていることはありますか? 横田 いま企画部には、私を含めて数人のメンバーがいて、障害のある人もない人も一緒に働いています。部下であっても障害者だから≠ニ特別扱いするのではなく、仕事の内容や責任はできるだけ平等に考えるようにしています。  ただ、伝え方やサポートの仕方は人それぞれ違います。スケジュールの見える化が得意な人もいれば、口頭のほうが理解しやすい人もいるので、本人と相談しながらやり方を調整しています。企画部をモデル部署≠ニして、整理整頓や改善活動を進め、それを全社に展開していくことが、いまの自分の役割だと感じています。 松爲 ありがとうございます。では佐々木さん、ここは働きやすいな≠ニ感じているポイントを教えてください。 佐々木 私は人間関係が温かいこと≠ニ、自分の基本姿勢を認めてもらえること≠ェ大きいと感じています。  まず、人間関係の面では、リーダーや先輩方が発達障害について勉強してくれていて、指示が曖昧なときは私が確認しやすい雰囲気をつくってくれます。「わからなかったら、ちゃんと聞いてね」といってもらえるので、「ここまではわかりましたが、ここから先が不安です」と素直に伝えられます。  もう一つは、就職活動のときに先生から指示を受けた挨拶・返事・笑顔≠職場でも活かせていることです。小学生のころに児童会で挨拶運動をしていたこともあり、その経験を活かして、いまでも「おはようございます」に相手の名前をつけて挨拶するようにしています。「○○さん、おはようございます」というと、相手も笑顔で返してくれて、自然と距離が縮まります。 松爲 制度面での配慮についてはいかがですか。 佐々木 有給休暇が取りやすいのは、とてもありがたいです。特に何か予定を入れたいときは、1日お休みをいただける環境です。土日に混む場所でも、平日に行くとこんなに違うんだ≠ニ実感できますし、リフレッシュしてまた仕事をがんばろうと思えます。  また、障害の有無にかかわらず役職に就けるという点も大きいと思います。会社には80歳まで働き続けた先輩もいて、その方は別部署でしたが、休憩時間にいろいろ話をしてくれました。その姿が自分も定年後は再雇用で挑戦したい≠ニ思うロールモデルになっています。 4.仕事のやりがいと、将来への展望は? 松爲 次に、現在の仕事のやりがいや成長の実感について教えてください。  佐々木さん、経理や生産管理の仕事で、成長したな≠ニ感じる場面はありますか。 佐々木 はい。年末調整などの専門的な経理業務を任されるようになり、最初はこんなにたくさんの書類を扱って大丈夫かな≠ニ不安でしたが、チェックシートを自分でつくって、一つひとつ確認しながら進めることで、ミスを減らせるようになりました。  また、インターネットで消耗品を購入するときに、送料がもったいないから、ほかに必要なものもまとめて買おう≠ニ工夫するようになりました。小さなことですが、この買い方なら会社の経費節約にもつながるな≠ニ考えながら動けるようになったのは、自分のなかでの変化だと思います。 松爲 将来の働き方については、どのようなイメージをお持ちですか。 佐々木 私は定年まで働きたい≠ニいうのが一番の目標ですし、もし再雇用のチャンスがあったら、80歳まで挑戦してみたい気持ちもあります。  それから、会社にはベトナム人やフィリピン人、中国人の方もいて、多国籍な職場になっています。私は前任のベトナム人の方から少しずつベトナム語を教えてもらい、いまも特定技能の方にこのいい方で合ってますか?≠ニ質問しながら勉強しています。将来、技能実習生が入社してきたときに、簡単な説明を手伝ったりできるようになれたらいいなと思っています。 松爲 まさに社内の通訳′島ムードメーカー≠ナすね。では横田さん、企画部の仕事のやりがいと、今後の展望を教えてください。 横田 僕の一番の強みは「継続できること」だと思っています。前職は1年半ほどで退職してしまいましたが、いまの会社では6年続けて働くことができています。それ自体が、自分にとって大きな成果です。  企画部では、社内名刺の作成なども担当していて、「20枚追加でお願いできますか?」と頼まれて納品すると、「ありがとう、助かったよ」といってもらえることが多いのです。製造業の事務作業はやって当然と思われがちですが、直接「ありがとう」といわれることで、自分の仕事がだれかの役に立っている≠ニ実感できます。 松爲 その「他者貢献の実感」が、自己受容にもつながっているわけですね。 横田 そうですね。障害があることで、自分自身を責めたり、社会から色眼鏡で見られているように感じたりすることもありました。でも、仕事を通じて自分だからできること≠みつけ、「あなたがいて助かった」といってもらえると、障害があっても、自分は社会の一員としてちゃんと役割を果たしているんだ≠ニ思えるようになります。  将来的には、企画部をモデル部署≠ニして、整理整頓や改善活動、新しい人事制度や評価制度づくりにチャレンジしていきたいです。まずは少人数の職場で試してみて、うまくいったら社内全体に広げていく。失敗したら「すみません、失敗しました」といってやり方を修正すればいい。そうやって、少しずつ会社全体をよくしていくことが、自分の役割だと考えています。 強みを自覚し、仕事に活かせる職場環境が障害者のキャリアを後押しする 松爲 お二人の話をうかがってあらためて感じたのは、特別なプログラム≠謔閧熈日々のかかわり方≠ェ、働き続ける力を支えているということです。  佐々木さんは、生産管理という未知の業務を突然任されながらも、動画撮影やチェックシート、スケジュールの見える化といった工夫を積み重ね、「諦めないことが大切」という言葉通り一歩ずつ自分の仕事を広げてこられました。その背景には、「わからなかったら聞いていい」、「挨拶・返事・笑顔を大事にするあなたを応援する」という、職場全体の受けとめ方と明確なメッセージがあります。  一方、横田さんは、前職を退職後、就労移行支援事業所への通所と職場実習を通じて「急がず自分のペースでやってください」という上司の言葉に出会い、ここなら自分もやっていけるかもしれない≠ニいう感覚を取り戻しました。企画部という新しい部署で、整理整頓や改善活動、新しい制度づくりに挑戦し、その成果を全社に広げていこうとする姿は、まさにダイバーシティ経営のにない手≠ニいってよいと思います。  お二人に共通しているのは、自分の強みを自覚し、それを職場のなかで活かそうとしていることです。そして何より重要なのは、会社側が「障害者だから特別」ではなく、「一人の社員として、どう成長し、どう役割を果たしていけるか」という視点で向き合っていることです。障害の有無にかかわらない役職登用、多国籍なメンバーとともに働く環境づくりなど、制度と文化の両面から「ともに働く土台」が整えられています。  冒頭で申し上げたように、今回の座談会の目的は「思いを全部聞かせていただきたい」ということでした。お二人のリアルな声から見えてきたのは、障害により生じる困難と、その困難を周囲の支えと自分自身の工夫で乗り越えようとする姿です。同じように悩みながら働く多くの方々に、「自分もここから一歩踏み出してみよう」と思っていただくきっかけになればと願っています。  次号では第2部として、お二人が勤務する企業担当者の座談会の模様をお届けします。 写真のキャプション 本誌の松爲信雄編集委員 松爲委員を囲んでの座談会の風景 株式会社栄和産業 企画部副主任の横田博之さん 有限会社川田製作所で生産管理・経理業務をになう佐々木彩花さん 「整理整頓や改善活動、新しい制度づくりにチャレンジしたい」と話す横田さん 「定年まで働き、80歳まで挑戦してみたい」と話す佐々木さん 座談会参加のみなさま。左から栄和産業の横田さん、同社代表取締役の伊藤(いとう)正貴(まさたか)さん、松爲委員、川田製作所代表取締役の川田(かわだ)俊介(しゅんすけ)さん、同社の佐々木さん