クローズアップ 「合理的配慮」という希望 〜人事と法務の交差点から〜 第1回 それは「免除」ではなく「工夫」〜合理的配慮をめぐる三つの再定義〜  2016(平成28)年4月の障害者雇用促進法改正により、事業主には障害のある労働者に対する合理的配慮の提供が法的に義務づけられ、それ以降、働く障害者のみなさんの間では、合理的配慮への期待が大いに高まっているのを感じます。  そこで今号から弁護士の小島健一さんにご執筆いただき、「キャリア戦略」、「経営戦略」の観点から合理的配慮についてとらえ直していきます。  第1回は、合理的配慮の概念の三つの視点からの解説です 執筆者プロフィール 鳥飼(とりかい)総合法律事務所 弁護士 小島(こじま)健一(けんいち)さん  人事労務を基軸に、問題社員処遇から組織・風土改革、産業保健、障害者雇用まで、紛争予防・迅速解決を助言・支援。日本産業保健法学会理事など、労働法務・人事労務と産業保健を架橋する諸活動を行う。精神・発達障害者の就労、治療と仕事の両立などの執筆・講演多数。 雇用における合理的配慮  「社会的障壁の除去」という目的は共通していますが、民間事業主にとって当初は努力義務から始まり、2024(令和6)年4月から法的義務となった、障害者差別解消法における合理的配慮は、サービス提供者(店舗、交通機関、教育施設など)が、一般市民や受益者としての障害者に対し、障害者が他者と同等に社会生活を営むための「アクセスの機会」を提供するものです。それに対して、障害者雇用促進法における合理的配慮は、事業主と障害者との間に雇用契約が存在することが前提です。雇用契約とは、労働者が事業主の求める仕事を遂行するのに対して、事業主がその労働にみあう給与を支払うという、互いに対価関係にある権利義務を中核としています。この相互的な契約関係を成り立たせ、継続するという目的に照らして、必要であり、その効果を期待できる、すなわち「合理的な」配慮が求められているのです。  本連載では、合理的配慮を単なる法令順守(コンプライアンス)の枠組みに留めず、変化の激しい時代を生き抜き、個人と組織がともに成長していくための「キャリア戦略」、「経営戦略」としてとらえ直してみたいと思います。  第1回となる今回は、合理的配慮の概念を根本から問い直す、三つの視点を提示します。 視点@:普遍性(Universality) 〜だれにでも起こりうる「制約」への備え〜  まず強調したいのは、事業主が合理的配慮の提供義務を負っている対象者は、法定雇用率をカウントするときのような障害者手帳を持つ労働者だけにはかぎられないという事実です。法律上の「障害者」の定義、すなわち、「身体障害、知的障害、精神障害(発達障害を含む)その他心身の機能の障害があるため、長期にわたり、職業生活に相当の制限を受け、又は職業生活を営むことが著しく困難な者」に該当するならば、合理的配慮の対象になります。手帳の有無にかかわらず、つまり、「障害者雇用」ではないという意味で「一般雇用」であっても、メンタルヘルス不調、がん、難治性疾患、若年性認知症、高次脳機能障害などのある労働者も対象となり得るのです。  コロナ禍を経て、私たちは「健康」や「家族」の事情が仕事に強く影響する現実を目の当たりにしました。感染リスクへの不安・恐怖、テレワーク下での孤立・孤独、育児や介護などの家庭責任との両立など、正社員であっても何らかの「制約」を抱えて働くことがあたり前になりました。労働人口の減少と高齢化が進む日本において、労働者が心身の機能的制約を抱えることは、何ら特別なことではなく「だれにでも起こりうる」普遍的なライフイベントです。したがって、合理的配慮を考えることは、特定のだれかのためだけの福祉施策ではなく、すべての労働者にとって普遍的な課題であり、組織のリスクマネジメントそのものなのです。 視点A:能力主義(Meritocracy) 〜戦力化のための「投資」〜  合理的配慮に関する最大の誤解は、それが「能力不足を許容する温情」だと思われている点にあります。本来、合理的配慮とは、「障害者の能力発揮を妨げる社会的障壁を取り除くこと」であり、その目的は、障害者の持てる能力を発揮させることにあります。これはアメリカのADA(Americans with Disabilities Act:障害をもつアメリカ人法)に由来する概念ですが、そこでは合理的配慮はあくまで「業務の周辺的・副次的な要素を調整・補完するもの」であり、業務における「本質的な能力(Essential Functions)」を免除するものではないとされています。  つまり、合理的配慮とは、その人が本来持っていると期待される「本質的な能力」の発揮を阻害している「壁」を取り除き、公正な競争を実現するための環境調整です。  ここで重要なのは、この「環境調整」を欠いたまま行われる能力評価は、決して公正とはいえないという点です。障害者雇用促進法において、「差別の禁止」と「合理的配慮」は車の両輪の関係にあります。必要な合理的配慮を提供せずに、「成果が出ない」ことを理由に低い評価を下したり、不利益に扱ったりすることは、原因(障壁)を取り除かずに結果だけを求めることになり、それは実質的な「差別」にほかなりません。合理的配慮という土台があって初めて、公正な評価が可能になるのです。  また、企業が負うもう一つの重要な義務である「安全配慮義務」についても触れておく必要があります。「配慮して無理に働かせることで、かえって本人の健康を害したらどうするのか」という懸念は、もっともです。しかし、安全配慮義務を「危険だから働かせない(排除・禁止)」という方向だけでとらえるのは、あまりにも消極的です。真の安全配慮とは、本人の能力や健康状態に見合った適切な合理的配慮を提供することによって、「安全に能力を発揮できる状態」をつくり出すことにほかなりません。  「安全か、雇用か」の二者択一ではなく、「工夫によって安全と雇用を両立させる」。この発想の転換こそが、組織の持続可能性を高めるのです。企業は合理的配慮を人材戦力化のための「投資」ととらえるべきです。「できないこと」を数え上げて排除するのではなく、「どうすればできるか」という視点で環境(物理的環境、意思疎通、ルール・慣行)を調整する。それは、眠っている人材の潜在能力を引き出し、組織の生産性を向上させるためのきわめて合理的なアプローチなのです。 視点B:個別性(Individuality) 〜日本型雇用の壁を超える「対話」〜  合理的配慮は、バリアフリーのような不特定多数に向けた事前の対処とは異なり、個々の労働者の、個々の場面での困りごとに対応する「事後的な対応」です。同じ診断名であっても、職場環境や本人の特性、業務内容によって必要な配慮はまったく異なります。したがって、何が必要かを決定するためには、当事者間での「建設的な対話」が絶対条件となります。  しかし、ここで日本の職場特有の壁が立ちはだかります。欧米の「ジョブ型雇用」ではまず職務という入れ物があってそこに人を充てますから、あらかじめ職務の内容を明確に記述しようとする文化がありますが、日本の「メンバーシップ型雇用」では、そもそも職務が無限定であり、職場全体の調和や「空気を読む」といった「ハイコンテクストなコミュニケーション能力」そのものが、あらゆる職務における「本質的な能力」とみなされがちです。この現状においては、特にコミュニケーションに困難を抱える障害(例:自閉スペクトラム症〈ASD〉)のある労働者にとって、必要な配慮(例:曖昧な指示を避け、明文化する等)を求めること自体が、「本質的な能力の欠如」とみなされかねないというジレンマがあります。  だからこそ、私は、事業主が合理的配慮提供義務を履行するための「補助線」として、「誠実対話義務(仮称)」を意識するべきだと考えています。自らのニーズを把握して、援助を求めること自体が苦手な障害者に対し、会社が率先して「対話」の場をつくり、意思疎通を支援しなければ、真に必要な配慮にはたどり着けません。「対話」のプロセスにおいて合理的配慮を提供すること、すなわち、安心して本音を話せる環境をつくることこそが、すべての出発点となります。 「工夫することは生きること」  若年性認知症への合理的配慮を考える過程で感銘を受けた言葉に、当事者である丹野(たんの)智文(ともふみ)さんが紹介している「工夫するということは生きているってことだ」という言葉があります。合理的配慮とは、本人の心の声に耳を傾け、「どうすればやりやすいか」、「どうすればうまくいくか」をともに考え、クリエイティブに工夫するプロセスです。その営みは、本人が自分の人生の主導権(自己決定権)を取り戻すことを支援するだけでなく、一緒に工夫する上司や同僚、ひいては組織全体に、多様な人材を活かすマネジメント能力をもたらします。  次回からは、合理的配慮のバリエーションとプロセスについて掘り下げ、具体的な「対話」の手法を提示していきます。「わからない」から生じる恐怖や不信を乗り越え、互いに成長していくためのヒントを、読者のみなさんと共有できれば幸いです。 (第2回へ続く)