この人を訪ねて 重度障害者が、主体性を持って暮らし働くとは 株式会社障碍社 代表取締役 安藤信哉さん あんどうしんや 1974(昭和49)年神奈川県生まれ。18歳のときに交通事故で頚髄損傷による重度障害者となる。2001(平成13)年、関東学院大学大学院修士課程(経営学専攻)修了。2005年、有限会社パーソナルアシスタント町田(現・株式会社障碍社)を設立。同社は2022(令和4)年に第12回「日本でいちばん大切にしたい会社」大賞の厚生労働大臣賞を受賞。著書に『事故ル!18歳からの車いすライフ』(2009年、幻冬舎ルネッサンス刊)がある。 自薦ヘルパーで自立生活 ――18歳のときに重度の身体障害者となった安藤さんは、26歳から1人暮らしを始めたそうですね。 安藤 高校3年生だった1992(平成4)年、バイクで走行中に、ふいに出てきた車と衝突し、頚髄損傷を負いました。リハビリも含め1年あまり入院しましたが、手足はほぼ動かない状態になりました。それでも大学に入学し通学できたのは、母が自宅介護をはじめ、送迎や授業同席などを一手に引き受けてくれたおかげです。一方で、遠慮のない親子ならではの口論も絶えませんでした。その後ヘルパーの介助を受けるようになり、母とほどよい距離感が大切だと気づいた私は、介護保険制度が始まった2000年、1人暮らしを決心しました。  まずは入院先のすすめで、障害者の自立生活を支援する「特定非営利活動法人町田ヒューマンネットワーク」(東京都町田市)を訪ねました。しかし、そこはすでに私よりも重度な方へのヘルパー派遣で手一杯でした。代わりに担当者から「自分で探した“自薦ヘルパー”がいれば、こちらで給与関連の事務はになえる」とアドバイスされました。  じつはこの仕組みは、デンマークで1980年代に「パーソナルアシスタント制度」として確立されています。障害者自身が募集から面接、採用、雇用管理までを行い、勤務報告に沿って自治体などから給与が支払われる流れです。  そこで私もヘルパー探しから始めました。パソコンで作成した募集チラシを専門学校や公民館の掲示板に貼ったところ、介護福祉士や看護師を目ざす学生、主婦、フリーターの方々が応募してくれました。その後は、一人ひとりに私向けの介助方法を教え、勤務シフトの作成から欠勤対応までと本当にたいへんでした。しかし、慣れてくると、自分で計画を立てて外出や旅行をするようになり、大学院にも進学できました。 セルフケアマネジメントで自己効力感 ――その後ご自身で、重度訪問介護事業を行う会社を設立したのはなぜですか。 安藤 きっかけは、2003年に開始された障害者支援費制度によって、通勤・通学にホームヘルプサービスが使えなくなり、同サービスの利用時間が削減されたことです。私は博士課程を3年で退学し、その代わりに市と交渉する障害者団体の副代表として活動しました。そして5カ月後には、サービス時間数を回復させることができました。  当時の仲間には、職場介助が受けられないために働いていない障害者もいました。それなら助成金を活用し職場介助を提供することで、貴重な人財として活躍してもらえばよいと思い立ち、2005年に「有限会社パーソナルアシスタント町田」(現・株式会社障碍社)を設立し、仲間の1人をシステム担当として雇用しました。  私たちの重度訪問介護事業は、デンマークの方式を参考にしつつ、利用者同士でヘルパーをシェアできるようにしました。あらかじめ事業所で採用・登録したヘルパーのなかから利用者が面接をして選び、シフト管理も行います。この仕組みを当社ではセルフケアマネジメント(SCM)と呼んでいます。SCMによって削減された間接費は、ヘルパーの給与に還元しました。  スタート時は利用者5人とヘルパー26人でしたが、正直なところ、これ以上大きくはならないだろうと思っていました。自由に暮らせる一方で管理責任もともなうことになり、相応の覚悟が必要だからです。しかし実際は口コミで広がり、現在は利用者74人、ヘルパー290人以上、事業所も本社のある町田市を含め3カ所にまで拡大しています。  これほど受け入れられた理由は、SCMによって利用者に自己効力感が生まれたからだと思っています。自分で選んだヘルパーに、自分の生活スタイルに合わせた介助をしてもらうことは、自己選択・自己決定の連続です。私自身もそうでしたが、全面的に介助が必要な状況であっても、日々の行動を自分で決め、主体性を持って生活することで、自信や意欲にもつながっているのだと感じます。  また、利用者が賞与査定にもかかわることで、ヘルパーのモチベーションやサービスの向上にもつながります。当社の常勤ヘルパーの平均年収は業界平均を上回り、当初から目標としていた「ヘルパーの社会的地位の向上」にも貢献できました。結果として離職率も低く、利用者は安定した生活を続けられるという好循環が生まれています。 ピアサポーターや所長として働く ――利用者である重度障害者の雇用も進めてきましたね。 安藤 私はどれほど重度の障害があっても、働きたい人は働ける社会にしたいと考えてきました。実際、自立生活が安定すると「働きたい」という人は少なくありません。当社では障害の程度や本人の希望に応じて、在宅勤務も含め常勤・非常勤で雇用しています。現在は身体障害者21人(うち重度19人)、精神障害者7人が、ピアサポーターや事業所の所長、幹部社員として活躍しています。  ただし、私は社員には厳しいです(笑)。合理的配慮はするけど、甘えは許さないというのがモットーです。例えば、車いすだからといって遅刻が許されるわけではありません。電車にうまく乗れないリスクをふまえ、余裕を持って行動する努力も必要です。車いすユーザーにかぎらず、さまざまな事情を抱えながら奮闘している社会人も多いですからね。  権利を主張する以上は、就労者としての義務もしっかり果たす。そうして私たち重度障害者も、自立生活を通して社会との接点を増やし、経済活動の一部をになうことで、共生社会から共創社会へと本当の意味でのダイバーシティにつながっていくと考えています。 だれもが夢を持って自由に暮らせる社会を ――障碍社はこれまで多様な事業を展開してきましたが、今後の抱負も教えてください。 安藤 私たちは当事者の視点や経験を活かしながら事業展開を図ってきました。2009年に立ち上げた資格講習事業所では、介助者に必要な資格講習を受講者1人でも開講し、企業・団体向けには当事者講師らによる出張研修も行っています。さらに、相談支援事業所や就労継続支援B型事業所、福祉用具事業所(車いすの修理・販売)、発達障害児向けの放課後等デイサービスなど、幅広い福祉サービスを提供しています。  現在は、重度の知的障害や精神障害、強度行動障害のある人たちも地域で安心して自立生活ができる環境づくりを視野に、新たな人財育成を進めています。社内では、いろいろな夢の計画を掲げていますが、経営者として意識しているのは、会社の成長と社員の幸せを同時に追求することです。そして今後も、障害者福祉の総合企業として、さまざまな社会的課題に挑戦し、だれもが夢を持って自由に暮らせる社会の実現を目ざしていきます。