メダリストを訪ねて 〜第10回国際アビリンピック〜 最終回 「不向きだった」ネイル施術、日々の積み重ねが結果に ネイリスト種目銀メダリスト 山下加代さん (株式会社JALサンライト勤務) やました・かよ 1983(昭和58)年、北海道生まれ。23歳のときに関節リウマチと診断される。2010(平成22)年、ヒューマンアカデミー札幌校ネイリストプロフェッショナルコース卒業。2019年、第39回全国アビリンピック(愛知県)のネイル施術種目で金賞。2021(令和3)年、株式会社JALサンライト入社。2023年、第10回国際アビリンピックフランス・メッス大会のネイリスト種目で銀賞受賞。  2023(令和5)年3月、フランスのメッス市で開催された「第10回国際アビリンピック」には、日本選手30人が17種目に出場、8人がメダルを獲得した(※1)。  最終回は、ネイリスト種目で銀メダルを手にした山下(やました)加代(かよ)さん(東京都)に、独自の工夫や職場経験などを活かして結果につなげたこれまでをふり返っていただいた。 (文)豊浦美紀 (写真)官野貴 23歳のときに診断 ――山下さんがネイリストになったきっかけや経緯を教えてください。 山下 私は北海道に住んでいた高校3年生のとき、急に肩やほかの部位が痛くなり、医師からは原因不明といわれ続けて、病院をいくつも転々としました。高校卒業後も、体の痛みを抱えながら通常の社会生活を送ることはむずかしく、短時間のアルバイトをくり返す日々でした。そうして6年ほど経った23歳のとき、ようやく北海道大学病院で関節リウマチと診断されました。その後に障害者手帳を取得しています。  投薬治療によって症状が少しずつやわらいできた私は、きちんと働きたいと思うようになりました。何かスキルを身につけたいと資格取得のための学校へ見学に行き、そこでネイル施術に出会いました。もともと創作という分野が好きだった私は当時、実演してくださった先生のスムーズな動きを見て「私にもできるかもしれない」と勘違いをしてしまったように思います。その後、ネイルサロンで働くために必要なネイリスト技能検定2級合格を目ざし、週1回の講座に2年ほど通いました。  実際に学び始めてから認識したのが「ネイル施術は、私の体の障がいには不向きだ」ということでした。手に腫(は)れがあるうえに関節が不自由なため、繊細な動きができないからです。それでも私は、指の力の入れ具合や、施術する手首の角度を調節して自然に誘導する方法などを研究し、何回も自分の動きを録画し、それを見直して修正しました。自宅で1日12時間連続で練習をしたこともあります。結果的に、ほかの人より何倍も練習していたことになり、そこで障がいのハンディキャップをカバーできていたのかなと思っています。  ただ、無事に資格は取ったものの、仕事としてネイル施術をすることに不安を感じていました。そこで私はいったんネイルから離れ、就労継続支援A型事業所の施設外就労として、飲食店でホールと接客の業務に取り組みました。数年後、再び「このままでいいのだろうか」と思い悩んだ末、ハローワークに行ったところ、ちょうど障がい者雇用の求人を出していた札幌のネイルサロンを見つけ、採用されました。 アビリンピックに出場し、決心 ――どのようにしてアビリンピック(※2)に挑戦することになったのですか。 山下 アビリンピック自体も知らなかった私が出場することになったきっかけは、お客さまとしてネイルサロンに来ていた独立行政法人高齢・障害・求職者雇用支援機構(JEED)の職員の方のひと言でした。その日はたまたまサロンでその方と2人きりだったので、自分の障がいのことなどを話したところ、「アビリンピックにネイル施術種目が加わるので挑戦してみませんか」とすすめられたのです。  じつはその話を聞いたとき、私は2年近く働いたサロンの退職を決めたところでした。ほかのスタッフと比べ、作業に時間がかかることに自信をなくし始めていたのです。私は「結果が出なかったらネイルの仕事を辞めよう」という覚悟で、アビリンピックへの挑戦を決めました。  サロン退職後は時間がたっぷりあったので、事前に公表された課題内容に沿って、また、ネイリスト検定の内容とも照らし合わせて忠実に練習しました。迎えた本番の第39回全国アビリンピック(愛知県)で金賞がとれたときは、講評のなかで審査員の方から「サロンワークに近いやり方で大丈夫ですよ」との助言も受け、「検定とは違い、あくまで仕事の技術力が問われているのだ」と気づかされました。私はネイルの仕事を続けることを決心し、故郷の北海道で1年間準備してネイルサロンを開業しました。 JALサンライトでネイルサロン立ち上げ ――その後、株式会社JALサンライト(以下、「JALサンライト」)に入社されたのですね。 山下 すでに常連のお客さまがいて、お店のチラシもつくり本格的に取り組もうとした矢先、アビリンピックの成績を見たJALサンライトから連絡がありました。地元のお客さま一人ひとりにご理解いただいたものの、それでも申し訳ない気持ちがあり悩みましたが、障がいのある人で実務経験のあるネイリストが少ない現状も知っていたので、業界全体のためにと思い上京を決めました。2021(令和3)年3月の社内ネイルサロン立ち上げに向け、一緒に入社した坂角(さかずみ)ゆかりさん(※3)と2人でゼロからつくりあげていきました。  羽田空港の近くにあるJAL施設内にオープンしたのですが、コロナ禍の制約のなか、施術を受けに来る社員もかぎられていました。いまでは成田空港や本社にもサロンができ、ネイリストは4人に増えました。社員から「なかなか予約できないね」といわれるほど稼働率が高く、お礼の声を聞くと、一定の役割を果たせているようで、うれしくなります。 社員が競技内容を翻訳 ――第10回国際アビリンピック「ネイリスト」種目の代表選手には、第41回全国アビリンピックで金賞受賞後にJALサンライトに入社した荒山(あらやま)美夢(みむ)さんと2人が選ばれました。その後は、どのように準備されましたか。 山下 国際アビリンピックについて何もわからなかったところ、JEEDから過去の国際アビリンピックの様子などを細かく教えてもらい、「国際大会では事前課題からの変更があるのが当然で、その対応力が求められる」、「選手が持ち込む器具や資材についても、主催者指定の範囲に限定せず思いつくかぎりのものを持参したほうがよい」といったアドバイスが役立ちました。強化練習の機会もつくっていただき、全国アビリンピックの専門委員を務める大江(おおえ)身奈(みな)先生に海外向けの表現方法などを教わりました。ただ、当時の自分は日々の仕事のほうで手いっぱいで、アドバイスを十分に消化する心の余裕がなかったというのが本音です。  職場からのサポートとして一番助けられたのは、翻訳です。本番課題の最終的な翻訳文は渡仏直前までもらうことができませんでしたが、その前に、国際アビリンピックのホームページに掲載されている英文の説明を、語学堪能(たんのう)な社員が訳してくれました。また、サロンの予約が入っていない時間は練習時間にあてさせてもらえたこともありがたかったです。また競技に向けて渡仏してからも、JALサンライト前社長の宮坂(みやさか)久美子(くみこ)さんから激励の連絡をいただき、現社長の城田(しろた)純子(じゅんこ)さんたちが会場に応援に来てくださったのも心強かったです。 競技でも“お客さまを優先” ――国際大会での実際の競技は、いかがでしたか。 山下 ネイル施術は3課題あって、それぞれ120分、80分、80分だったのですが、競技前日の説明会で120分の課題にハンドマッサージが加えられたことを知りました。組み立てていた競技の流れがガラリと変わってしまう大きな変更点で、時間配分に苦労しましたね。一方で、札幌のネイルサロンで働いていたときにハンドマッサージのようなメニューもこなしていたので、その経験を活かすことができました。  メイン課題のネイルアートのテーマは競技前日、事前に示されていた3候補のなかから「トロピカル」と発表されました。競技中は写真やイラストなどを掲げて制作するきまりになっていたので、テーマ発表後に宿泊ホテルの近くのショッピングセンターに駆け込んで絵の具や筆を購入し、即興でイメージイラストを描きました。私は幼少期からエメラルドグリーンの海やイルカが好きだったので、それをモチーフにしました。  当日は、主催者が手配したネイルモデルの方の手から少し血が出ていたり爪が折れていたりするなど、施術しにくい条件が重なり落ち込みましたが、「やれることをやるしかない」と覚悟を決めました。さらに競技途中にはモデルの方が「腕が痛い」というので、「いま使用している台の幅を広げれば腕の痛みが和らぐと思う」と審査員に提案しました。施術するうえでは非常に不利な提案でしたが、お客さまであるモデルの方を優先するほうが大事だと考えたからです。審査員の方たちも迅速に動いてくださり、ティッシュボックスにタオルを巻いたもので台の幅を広げました。  そんなハプニングも乗り越えて銀賞を獲得できたのは、日々、ネイル施術の仕事を一生懸命に続け、スキルを積み重ねてきた結果だと実感しています。やはり最後に頼れるのは、それまでの経験に尽きると思っています。そういう意味では「私はまだ銀賞」ともいえるかもしれません。 ほかの選手に励まされる ――アビリンピックを通して印象に残ったこと、今後の目標について教えてください。 山下 これまでをふり返ると、初めて出場した全国アビリンピックの会場でほかの選手たちを見て、「こんなにがんばっている人たちがいたのか」と驚いたのを覚えています。私など比べものにならないほど、ハードルが高い競技に何年も立ち向かい続けている選手がたくさんいることを知り、逆に自分自身が奮い立たされ、励まされました。  国際アビリンピック後は、新たな社内育成にもたずさわらせてもらっています。JALサンライトで知的障がいのあるスタッフに、ネイルの基礎的なスキル研修を行っています。研修を受けた数人はさっそく、ファミリーデーや見学ツアーといった社内イベントのネイル体験会で来場者に施術してくれています。私自身も引き続きスキルを磨きながら、施術や指導などを通じて、少しでも職場や社会のお役に立っていきたいと思っています。  今後の目標は「安定感を持って施術していく」に尽きます。日々の仕事での積み重ねが私にとっては重要であり、技術者・専門職として求められていることだと再認識しています。 ――最後に、アビリンピックに関心のある人たちへのメッセージをお願いします。 山下 これまで経験してきて、アビリンピックというのはとても大がかりで、審査基準も厳しい、高レベルな大会なのだと実感しています。障がいの有無に関係なく多くの人に興味を持っていただけたらと思います。  私自身は、アビリンピックをきっかけにネイルの仕事というものを大切に思えるようになったのだと思います。自分の実力を測るだけではなく、ほかの選手のがんばる姿を見ることで励まされ、大きな刺激にもなります。いくつになっても本人のやる気さえあれば出場できますので、興味のある方はまずアビリンピックのホームページ(※2)を見て、ぜひ一歩ふみ出してみてください。 職場の方より 株式会社JALサンライト マーケティング企画室 北村(きたむら)克紀(かつのり)さん  アビリンピックは職業能力の大会ですから、働くなかで高めてきたスキルを競い合い、そこでの経験をまた職場で活かしていくPDCAサイクル(※4)のよい場だと思います。  山下さんは、持ち前の集中力と探求心を活かしながら、日ごろの顧客への施術という仕事を着実に積み重ねていったことが、銀賞につながったと感じています。今後は育成者の立場でも活躍することを期待しています ※1 本誌2023年6月号で「第10回国際アビリンピック」を特集 しています。 https://www.jeed.go.jp/disability/data/works/202306.html ※2 https://www.jeed.go.jp/disability/activity/abilympics/index.html ※3 坂角さんは2023年の第43回全国アビリンピック(愛知県)で金賞受賞 ※4 PDCAサイクル:Plan(計画)→Do(実行)→Check(評価)→Action(改善)をくり返しながら業務改善をはかる方法 (注)所属先、役職など、記載した内容は取材日時点(2024年4月)のものです ★本誌では通常「障害」と表記しますが、株式会社JALサンライト様のご意向により「障がい」としています 写真のキャプション JAL本社内のサロンで施術を行う山下加代さん 第10回国際アビリンピックにおいて課題に取り組む山下さん(右) 関係者が寄せ書きをした国旗とともに競技に臨んだ 銀賞に輝いた山下さん(左)、同僚の荒山美夢さん(右)は銅賞を受賞した 第10回国際アビリンピックで山下さんが獲得した銀メダル