私のひとこと ありふれた、過酷な病 〜「強迫症」を発症した精神科医が伝えたいこと〜 京都大学大学院医学研究科精神医学教室客員研究員 亀井士郎 ありふれた病気、「強迫症」  あなたは出勤の途中で、ふと不安を感じます。  「……家の鍵、ちゃんと締めてきただろうか?」  たぶん大丈夫だとは思いつつ、家まで引き返す。このような経験に覚えはあるでしょうか。おそらく、多くの方がイエスと答えるでしょう。自分に覚えがないとしても、不安を感じてしまうその気持ちは理解できるのではないでしょうか。もし、これがたまにある程度なら、それは正常範囲内の不安だといえます。つまり、ふつうです。  ところが、です。この行動が「じつは毎日なのだ」、「じつは一日に何度もしてしまうのだ」、「なかなか安心できずドアをガチャガチャ何度も確認してしまうのだ」となると、どうでしょうか。「さすがにそこまでは……」と思われるでしょうか。これこそが「強迫症」の症状であり、かつての私も苦しんだ症状です。「ふつうの不安と行動」の延長線上にあるものの、明らかに度を越えてしまっている。この超強力な不安のことを「強迫観念」、くり返し駆り立てられる行動のことを「強迫行為」と呼びます。  いま示したのは確認系≠フ強迫症状です。このほかにも、手洗いや入浴に多くの労力と時間をかけてしまう汚染/洗浄系=A物の正しい位置や特定のピッタリ感覚を追求して何度も同じ行動をとってしまうピッタリ系=Aといった種類があります。人それぞれにテーマの異なる不安があるわけです。  「強迫症」とは少し前までは「強迫性障害」、古くは「強迫神経症」とも呼ばれていた病気です。時代によって定義は多少変わるものの、実態はほぼ同じ、昔からある病気です。一般人口のおおむね1〜2%の有病率ですから、「稀な病気」とするには少し多いでしょう。また、先ほど述べたように「ふつうの不安」と地続きであるわけですから、ギリギリ診断がつかない程度の「発症予備軍」もそれなりに存在します。要するに他人事ではない程度には「ありふれた病気」なわけです。自分が発症せずとも、周囲のだれかは罹患(りかん)していると考えたほうがよいでしょう。最近のコロナ禍によって潔癖傾向に拍車がかかってしまい、発症に至った方もいるかもしれません。  この病気の辛さ、しんどさとは、過酷なものです。このことに関しては患者兼精神科医である私が強く主張する権利と責任があると考えています。少し、私の症状もお話ししましょう。 死のピタゴラスイッチ  とある精神科の医局の夜のことです。私のデスクの本が崩れ、イスにぶつかり、転がったイスが床の電源コードに乗り上げ、そのコードは断線し、発火するのです。埃(ほこり)に燃え広がり、火事になり、大勢の人が亡くなってしまうのです。私の人生はこれにておしまいです。  これは当時の私の強迫観念の一つであり、個人的に「死のピタゴラスイッチ」(※)と呼んでいるものです。このバカバカしい想像のために、一時間も二時間も汗だくになって必死に安全を確認しました。私が強迫症の発症に至って数カ月ほど経ったころのことです。  このような火事、あるいは泥棒を極端に恐れていた私は、毎日毎日、ガスの元栓やコンセント、ドアの施錠などの確認行為に膨大なエネルギーを注ぎました。家を出るのに、いちいち一時間かかるのです。  さらに一年以上かけて病気を悪化させた私は、「駅のホームですれ違った人を突き落としてしまっていないか」、「線路や横断歩道の上に物を落としていないか」といったさまざまな事故を恐れ、不安になり、少し外出するだけでもたいへんな労力を要するようになりました。いちいちふり返ったり、あるいは戻ったりして、安心・安全であることを何度も確認するからです。さらには家族も巻き込み、「大丈夫だろうか?」と何度も安心を求めてしまいます。  じつはこういった不安が「あり得ない」ということは、頭の片隅では理解しています。だからといってこれらを無視することはとてもできませんでした。途轍(とてつ)もない切迫感をともなう不安に頭が満たされ、まるで催眠術にかかったように行動に駆り立てられてしまうからです。  幸い、その後私は専門家の治療を受けて回復しました。しかし残念ながら、これはレアケースです。なかなか治せずに、強迫症を長く抱えてしまっている方が多くいるのです。 強迫症を治すのは、「知識」  強迫症が治りにくい理由はいくつかあります。  まず、多くの方が「強迫症」という病気自体を知りません。そのため、治療できることを知らず、精神科までアクセスすることができません。さらに、往々にして患者は症状を恥ずかしがり、強迫行為を他人から隠れて行いがちなため、指摘や助言を受けにくい状況にあります。これらの理由もあって、発症から受診まで平均7〜8年かかるといわれています。悪いことに、治療が遅くなるほど回復しにくくなるのです。  さらに、専門家が少ない。一般の精神科では薬物の処方だけで対応されることが多く、それだけではなかなか治りません。もちろん薬も重要なのですが、加えて必要なのは認知行動療法と呼ばれる専門的な治療です。つまり、薬によって不安を減らしたあとに、計画的に°ュ迫行為に歯止めをかけ、不安と行動の悪循環を断ち切る。これを精神科医や臨床心理士と協同しながら実施する必要があります。  もちろん、私もこれらの治療を行いました。仕事も約半年ほど休み、復帰後も並行して治療に専念しました。率直にいってハードな経験でしたが、そのかいあって、再び健康的に社会生活を営めるようになりました。治療に約二年かけて寛解した私は、強迫症という病気に復讐すべく、その専門家となり、自分の体験や治療法を記した新書も書きました。こうしてみなさんに病気のことをお伝えする機会を得られるようにもなりました。  紙幅の都合上、多くは書けませんが、この場で私が主張したいのは一つです。それは、「知識」は武器だということです。この武器は強迫症と闘ううえで、並々ならぬ力を持つのです。まずはぜひ、この病気の存在を知ってください。 ※ピタゴラスイッチ:NHK Eテレの名物番組。毎回この番組ではドミノ倒しに似たからくり装置が実演されている 亀井 士郎 (かめい しろう)  京都大学大学院医学研究科精神医学教室客員研究員。精神保健指定医、精神科専門医。  2011(平成23)年京都大学医学部医学科卒業。精神科医として働くなか、2014年に強迫症を発症し、重症化に至る。2016年より強迫症の研究・治療の第一人者である松永(まつなが)寿人(ひさと)氏の治療を受け、約2年かけて回復。  松永寿人氏との共著で『強迫症を治す 不安とこだわりからの解放』(2021年、幻冬舎)を出版し、以降、強迫症の啓発活動に努めている。 参考文献:亀井士郎、松永寿人『強迫症を治す 不安とこだわりからの解放』(2021年、幻冬舎)