私のひとこと
障害者家族の高齢化
~ケアの限界と家族支援~
北星学園大学短期大学部教授
藤原里佐
はじめに
 私は、現職に就く以前、障害児教育にたずさわっていた。先日、元勤務校の教職員仲間、保護者が集まる機会があった。当時、15歳だった子どもは40歳になり、40代だった母親は「高齢者」になっていたが、かつてと同様に、ケアのにない手としての生活が継続していた。
 現代社会において、子どもの「自立」をめぐる考え方やその実態は多様である。就職後も親元で暮らし、家族に家事を任せることや、結婚後の育児や経済面を実家が援助することもあるだろう。総じて、親が子どもを支える期間が延長している傾向が見られるが、障害者家族の親役割が長期化することにともなう、親の不安や物理的な負担は、その実態が可視化されていないという特徴がある。
 これまで、私たちが行ってきた、家族の高齢期調査(※1)などから示唆されたことをふまえ、障害者の離家(りけ)にともなう家族の不安、家族であることを支える視点について考えていきたい。
1.親のライフステージを横断する「ケア役割」
 障害が診断、告知され、療育がスタートするときから、障害児の母親は、子どもにかかわる専門機関から、種々の役割を求められる。それは、家庭内での療育であり、服薬管理であり、発作時の対応であり、医療的なケアなども含まれる。また、早期療育、訓練、就学などのシステムは、母親の介在を余儀なくし、母子通園や母子入院は、母親が子どもの「専門家」であり、アドボケーター(※2)となることを強化する。やがて、子どもが就学するころには、母親のケア力や障害に関する情報量、各機関との調整力が卓越し、子どもの障害状況をもっとも理解している一人として、直接、間接に子どもの学校生活を支えることになる。
 さらに、成人期の子どもが「生活介護」、「就労移行支援」、「就労」などの日中活動の場につながり、社会参加を果たすうえでのサポートは、引き続き、母親の役割となっていく。朝の身支度を援助し送り出し、夕方には帰宅を迎え入れる。安定的に通所ができるよう、生活リズムを整え、持ち物を揃え、健康管理をする。つまり、親による支援があることで、成人期の障害者が、30年、40年と作業所や事業所に通うことができるという面が窺(うかが)える。ある母親は、外出をしても、子どもの作業所からの帰宅時間が自身の門限であり、15時半までには自宅に戻らなければならないという暮らしを30年以上続けている。
 子どもの誕生以来、自身の行動範囲やスケジュールをつねに制限してきた高齢期の母親が、「自分が元気なうちは子どもの在宅生活を守りたい」という覚悟で子どもを支えているのである。
2.家族が果たしてきた役割-いつどのように移行するのか
 障害のある子どもの日常のケアをはじめ、医療機関への同行、進路先の選択など、家族が果たしている役割は多岐にわたる。いわゆる「親亡き後」を見すえ、将来に向けた準備を始めることも、家族が負うべき責任の一つとみなされてきた。ただし、実際に離家する時期については、非常に逡巡(しゅんじゅん)していることも窺える。子どもの入居を前提に、グループホームの設立準備会に参加していた母親が、「もう少し、家族と過ごす時間を持ちます」と、入居を見送る例も、インタビューのなかで少なからずあった。こうした判断に対し、研究者や専門職から、「子どもの自立は早い方がよい」、「親が元気なうちに新しい暮らしを見届けるべきである」などの指摘があることも事実であろう。
 しかし、脱施設化の思潮のもとで、地域であたりまえの暮らしを営むことを実践してきた経過、家族メンバーの健康状態、障害者自身の意向などを背景に、離家のタイミングは、個別的であり、流動的であって然るべきだと私は考える。
 通所先、就労先では、移送を他機関に委ねる場合も含め、家族と会う機会は限られる。親の体調や心身の変化を把握することのむずかしさがあるなかで、障害当事者の衣服の汚れや、書類提出の遅れなどをきっかけに、「母親が寝込んでいる」、「父親が要介護になっていた」ことが判明した例も散見される。家族は、だれに、どのようにSOSを出してよいのかを思案し、ぎりぎりまで、子どもの日常を守ろうとする傾向があることも否めない。障害者にかかわる支援者が、業務外のボランティアや、事業所のやりくりのなかで、家族のニーズに応えている例も見られる。障害者福祉現場の人手不足などから、家族支援を業務に位置づけることのむずかしさはあるが、家族がサービスを受けている高齢者福祉分野などとの協働も含め、障害者と家族を複合的に支える視点も必要ではないだろうか。
3.家族であることの尊重と支援
 身体障害者の自立生活運動は、「脱施設化」であり、「脱家族」でもあったといえる。一方、知的障害者の「脱施設化」は、むしろ、家族のケアに依拠するところが大きく、親のがんばりで、地域生活が長く継続できた経緯がある。
 そして、障害のある子どもの施設入所やグループホーム入所が、親役割のゴールではないことも、本論で強調したい点である。家族の心配の一つめは、障害症状や加齢にともなう体調変化が生じた際の、診断や治療方針に関すること、看病や看取りについてである。加えて、体調不良や障害の重度化は、時間をかけて慎重に選択をしたいまの暮らしの場からの退所を迫られるのではないかと危惧している。二つめは、余暇活動、地域とのつながり、家族との交流を維持することへの不安である。日常生活が安全に営まれていることへの安心感がある半面、生きるうえでの楽しみや、ときには、集団生活から離れ、心身ともに寛(くつろ)げる時間と場所を子どもに確保したいという意向を親は抱いている。親が体調を崩しても限界まで続けていた、子どもの自宅帰省を断念することの無念さ、車の運転が困難になり、家族の慶事に子どもを迎えに行くことができない口惜しさ、病床の父親との面会が叶わなかった後悔などとして、それは表現されている。
 在宅障害児者への福祉サービスが乏しい時代に、あたりまえの暮らしを営むことを目ざし、奮闘してきた障害者家族が高齢化を迎えている。その晩年に、「子どもと会いたい」、「束の間、家族で過ごしたい」と願うことは、当然の思いであり、無理な要望ではない。障害のある子どもを長く支えてきた家族が、家族としての時間を持つことに、支援が必要なのであり、それを保障することは、喫緊の課題であると思われる。
※1 藤原里佐・田中智子・社会福祉法人ゆたか福祉会編著『障害者家族の老いを生きる支える』(2023年、クリエイツかもがわ)
※2 アドボケーター:自分の意見などをうまく伝えることのできない人の代わりに、それを主張する代弁者のこと
藤原 里佐
(ふじわら りさ)
 北星学園大学短期大学部教授。同志社大学文学部社会学科社会福祉学専攻卒業、北海道大学大学院教育学研究科博士課程修了。保育所、特別支援学校での勤務を通し、障害のある子どもの家族、とりわけ、母親が果たすケア役割の肥大化、長期化に関心を持ち、聞き取り調査を行っている。
 主著『重度障害児家族の生活-ケアする母親とジェンダー』(2006年、明石書店)。落合恵美子編著『どうする日本の家族政策』「知的障害者のケアにみる家族依存-いつまでどこまで親役割か」(2021年、ミネルヴァ書房)。