職場ルポ 社員寮完備、生活支援を受けながら安定就労 ―株式会社吉川油脂(栃木県)― 廃食用油のリサイクル事業を行う会社では、約45年前から知的障害のある従業員を雇用し、現在は16人が生活支援を受けながら安定就労を実現させている。 (文)豊浦美紀 (写真)官野貴 取材先データ 株式会社吉川(よしかわ)油脂(ゆし) 〒327-0231 栃木県佐野市飛ひ駒こま町ちょう3845-3 TEL 0283-66-2233 FAX 0283-66-2234 Keyword:知的障害、特別支援学校、生活支援、社員寮、リサイクル事業、農業、社会福祉士 POINT 1 約45年前から住み込みで受け入れ、社員寮も完備 2 本人の性格や特性を考慮し、試しながら業務を決定 3 リサイクルの視える化と業務創出を目的に温室水耕栽培も 廃食用油をリサイクル  1975(昭和50)年創業の「株式会社吉川(よしかわ)油脂(ゆし)」(以下、「吉川油脂」)は、廃食用油の回収・リサイクル・販売を手がけ、栃木県のほか埼玉県、長野県、福島県、茨城県にも事業所がある。各地の大手ファストフード店やスーパー、飲食店などから出る廃食用油を回収して不純物などを取り除き、飼料用や工業用、肥料用の原料、バイオディーゼルなどの燃料用原料へ、ほぼ100%のリサイクルを実現させているという。近年はSAF(持続可能な航空燃料)の原料供給者として、国際航空のためのカーボン・オフセットおよび削減スキームの要件を満たす「ISCC(アイエスシーシー) CORSIA(コルシア)認証」を日本で先がけて取得、大手石油会社と提携するなど注目されている会社の一つだ。  一方で、約45年前から障害者雇用にも取り組み、現在は従業員151人のうち知的障害のある従業員が16人、障害者雇用率は12.20%(2024〈令和6〉年6月1日現在)にのぼるという。2代目の代表取締役を務める吉川(よしかわ)千福)ちふく)さんによると、きっかけは創業者である父の勲(いさお)さんが、同級生の紹介で、障害のある青年2人を住み込みで雇用したことだそうだ。いまも障害のある従業員は、全員が本社の敷地内にある社員寮で生活している。  吉川油脂は2021年度「もにす認定制度」(※)の認定を受けた。これまでの経緯と取組み、生活支援を受けながら働いている従業員のみなさんを紹介したい。 特性を考慮しチャレンジ  最寄りのJR足利(あしかが)駅から車で30分あまり。山間部の県道沿いに吉川油脂の本社事務所と工場がある。木々が生い茂る敷地内にログハウス風の建物などが点在している。  ちょうど正面入口から入ってきたトラックが私道をゆっくりと進んでいった先に工場があった。半屋外エリアで、トラックから大きなドラム缶や一斗缶が次々に下ろされている。各地から回収されてきた廃食用油だ。この工場だけで1日60t前後を扱っているという。  案内をしてくれた総務部マネージャーの大室(おおむろ)明日香(あすか)さんによると、現場ごとに障害のある従業員と一般従業員がチームで作業しているが、職場全体では「まず障害のある方を理解してもらうところから始めています」という。  大室さんは「『どう声をかけてよいのかわからない』と思う人も少なくないので、私たちが作成した障害についてまとめた資料を使い、前もって講義の時間を取っています。特に本社でかかわりのある人には、必要な配慮点などを細かく具体的に伝え、ほかの事業所の人たちにも勉強会などに参加してもらっています」と話す。  一方、障害のある従業員の仕事は「まず安全に気をつけて、本人の性格や特性を見ながら、『これをやってみようか?』と無理強いせずに担当業務を決めていきます」と大室さん。吉川さんも「『障害のある人にはこの仕事』と決めておくのではなく、できることがありそうならやってみるよう現場側にうながしています。例えば、道を覚えるのが得意な従業員はドライバーの補助役になれますし、いったん覚えた作業を職人のように続けられる従業員もいます。チャレンジしてもらうことが大事です」と説明する。 勤続34年のベテランも  積み下ろされた一斗缶は、まず選別作業が行われる。廃食用油は加熱して水分を除去し殺菌するが、油の種類や異物の混入によって加熱処理の仕方が異なるためだ。  この日は従業員3人が、廃食用油の一斗缶一つひとつについて不純物の有無なども見分けながら、手で持ち上げて、数メートル先の大きな鉄製容器に流し込んでいた。うち2人が障害のある従業員で、ヘルメットに黄色のラインが入っている。「はじめて工場に出入りするようなドライバーさんが戸惑わないよう、わかりやすい目印にしています」と大室さん。  一斗缶の油を流し込んでいた早川(はやかわ)悟(さとる)さん(49歳)は、養護学級の先生の紹介で1990(平成2)年に入社、勤続34年になる。2020年には、長年の模範的な勤労が認められ、障害者雇用優良事業所等表彰式で「栃木県知事表彰優良勤労障害者」に輝いた。  15歳で入社したころは「仕事をやりたくない」といって周囲を困らせたそうだが、年齢の近い吉川さんが、ドラム缶の転がし方から少しずつ教えていったという。「いまでは一斗缶を持ち上げただけで、水や異物が混入しているのがわかるほどのベテランです」と大室さん。早川さんは、「けがをしないように気をつけて作業しています。油を見分けることは、できます」といいながらも、ほかの人に教えることは「好きじゃないからできません」と正直に語ってくれた。  社員寮では、同僚と卓球をするのが一番楽しいという早川さん。吉川油脂に入社してよかったことを聞くと、「海外に2回行けたこと」と返ってきた。先代社長の勲さんが、まだ従業員が少なかったころに台湾と韓国に連れていってくれたそうだ。  分別された廃食用油は、大きなタンクのなかで高温加熱され、水分除去と殺菌の処理が行われる。さらにろ過や遠心分離などの工程を経て、油かすが完全に除去されるという。油かすは肥料に生まれ変わるそうだ。  最終段階の工程が、フィルタプレスと呼ばれるろ過。細かい目地の布状のフィルターシートが何層も重なっている機械の中を通過させながら、極限まで不純物をこし取り純度を高める。  機械のそばの台の上には使用済みのフィルターシートが広げられ、一面にはりついた汚れがこそぎ落とされていた。大ぶりのヘラを使って手ぎわよく作業していたのは、栗原(くりはら)愼一郎(しんいちろう)さん(26歳)。群馬県の特別支援学校2年次と3年次に職場実習を受けたそうだ。1回あたり1週間程度で社員寮での生活も体験し、2017年に入社した。  仕事内容について栗原さんは「シートについたものをすべて落とし、きれいにして、挟んだときにきれいな油が出るようにしています。(シートを)取り出したら最初は120℃もあって熱いので、やけどをしないよう手袋をはめて気をつけて作業します」と教えてくれた。  大室さんによると「シートが破けないようていねいに、すみからすみまで落としていくのは根気のいる作業ですが、栗原さんはまじめに続けて、やり遂げることができます」とのこと。すでに分別・抜缶(ばっかん)作業(缶から油を出す作業)なども経験し、最近はトラックに同乗して回収の手伝いもしている。  栗原さんは「寮では(早川)悟くんと卓球をしたり、みんなでカラオケをしたりするのが楽しいです。ずっと寮で生活しながら働きたいです」と話していた。 社員寮の生活を支える  1994年に建てられた現在の社員寮は、木材がふんだんに使われ、ガラス張りの壁面が開放的な印象の半平屋建て。完成当時、広い屋内スペースに完全独立型の個室が並ぶ斬新なデザインは、一般社団法人日本建築学会の賞を受けた。先代社長の勲さんは「従業員にも小さな家をつくるような体験をしてほしい」との思いがあり、自分たちで部屋を組み立てたのだという。社員寮の周囲にみんなで植えた木々も大きく成長して、いまでは窓の借景になるほど美しい林になった。また、2018年にリフォームをし、女子寮を別につくり、空いたスペースを研修・会議室などに使っている。  社員寮の運営管理は、2006年に設立された吉川油脂の子会社「有限会社佇(たたずまい)」が行っている。もともと障害のある従業員の生活の世話は、吉川さんの母・美枝子(みえこ)さんが一手に引き受けていたという。「いわゆる寮母さんのような存在でした。だんだん1人では負担が大きくなり、いまは7人で行っています」と吉川さんが話す。  美枝子さんはいまも有限会社佇の従業員たちと一緒に働いている。吉川油脂の職場は近くに商店がないため、従業員用に総菜を配送してもらうこともあるが、「ごはんとみそ汁だけは温かいものを」と、美枝子さんたちがつくっている。  社員寮で働く7人のうち障害のある従業員は4人。食事の準備から衣類の洗濯、寮内外の清掃などさまざまな業務にたずさわっている。その1人、中谷(なかたに)明子(あきこ)さん(49歳)は1991年に入社し33年目。この日は大浴場のある建物の2階でほかの従業員と一緒に洗濯物を干していた。  敷地内にある大浴場の建物は、ヒノキの香りがするログハウスのようなつくり。終業後に入寮者たちが職場から歩いて大浴場に直行し、入浴後は各自用意されている私服に着替える流れだ。汚れた服はまとめて洗濯機で洗い、2階の広いスペースで干しているそうだ。  エプロン姿の中谷さんは「私は食事のお手伝いもしています。下ごしらえの野菜を切っています。一番得意な作業はキャベツのみじん切りです。先代社長の奥さん(美枝子さん)からたくさん教えてもらいました」と笑顔で話してくれた。  いまでは寮内のお姉さん的な立場だそうで「だれかとだれかが喧嘩になっちゃうときもあるけど、注意したり、仲裁したり、なだめたりしています」という中谷さん。入社してよかったことを聞くと、早川さんと同じく「旅行に連れて行ってもらったことです」とのこと。今年のお盆休みは、地域のショッピングセンターでDVDを買うのが楽しみだそうだ(注:取材日は8月上旬)。  じつは以前、お盆になると、入寮者のなかで実家に帰省できる人とできない人がいて、休み明けの人間関係がギクシャクすることがあった。そこで先代社長の勲さんが、社員寮に残った従業員たちを連れて旅行に行っていたのだそうだ。週末には入寮者をマイクロバスに乗せて買い物に出かけるのも恒例で、いまは吉川さんがその役割を務めている。  吉川油脂の敷地内には、ちょっとした畑もある。ジャガイモやキュウリ、ナス、トマトなどを育て、寮の食事に使われているという。この日も畑で作業中だったのは、社員寮で働く唯一の男性従業員である吉田(よしだ)尚幸(なおゆき)さん(44歳)。2012年に入社した当初は工場で働いていたが、施設内の掃除や草取りなども器用にできることから社員寮担当となったそうだ。この日の午前中は掃除をして、午後は食器洗いのあと、屋外で草取りや畑仕事に従事。吉田さん自身も「こちらでは、いろいろな仕事を任せてもらえるので、やりがいを感じます」と語る。週末の休みには寮の自分の部屋を片づけたり、趣味のクロスワードパズルなどを解いたりして過ごす。「いまこうして仕事ができるのがうれしいです。長く働き続けていきたいです」と語った。 一緒に働くことで支援  今回話を聞いた従業員たちが、口を揃えて「やさしいです」と評する大室さんは、彼らの職場や生活も支える大事な存在だ。大室さんは元ピアノ講師で、障害のある人とはまったく接点がなかったという。吉川さんの子どもにピアノを教えるなど家族ぐるみのつき合いだったが、あるとき「一緒に働いてみないか」と誘われ職場を訪問し、先代社長の勲さんから障害者雇用のことも聞いたそうだ。  最初は人事部に配属され、何もわからない状態から障害のある従業員とかかわっていくようになったという大室さんは、「それまで自分一人では障害のある人を助けることはなかなかむずかしいと思っていましたが、同じ職場で一緒に働くことで、自然な形で支援の輪に参加できるのだとわかりました」とふり返る。  大室さんは社会福祉士の資格取得の勉強も始め、今年、念願の合格となった。  「これまでは職場の関係者という肩書きしかなく、役所での手続きにもふみ込むことができないことがありました。いまは社会福祉士という立場でもかかわれるようになったのが何よりうれしいですね。日々、法律や制度も変わっていくので、今後もしっかり彼らをフォローしていきたいと考えています」 従業員の将来も見すえ  吉川油脂では現在、障害者雇用の定員を20人までと決めている。「それが、いまの私たちが責任をもって支援できる限界だからです」と話す吉川さんは、「受け入れ始めたころは、障害のある従業員の多くが、頼れる家族のいない境遇だったことから、父は里親のように従業員の生活全般まで面倒を見ていました」とふり返る。  自身も6歳のころから自宅で従業員ときょうだいのように育ち、高校生のころには父の勲さんに「今後の勉強のために」といわれて入寮者の面談にも参加し、彼らの置かれている状況も理解するようになった。  勲さんが隠居の身となったあとは、日ごろのさまざまな生活支援にかかわる業務は大室さんや吉川さんたちがになっている。従業員によっては、いまも複雑な家庭事情を抱えているため、吉川さんたちが親代わりのようにフォローしているのが実情だ。「一人ひとりの人生も含めて支援している以上、目の届く範囲が20人だと思っています」と吉川さん。  さらに入寮者たちが老後も困らないよう、障害者の日常生活自立支援事業を行う社会福祉法人佐野市社会福祉協議会に金銭管理を委託しているそうだ。  なかには、若いうちに社員寮から出て自立生活を始めた従業員もいる。特別支援学校を卒業した男性は、勲さんに見込まれ、自動車やフォークリフトの免許を取得。一般の従業員と同じように働けるようになったことから、療育手帳も返還し、いまはアパートで一人暮らしをしながら県外の工場で働いているそうだ。 ミニトマトの温室水耕栽培  吉川油脂は、2022年に新たな子会 社「株式会社Green(グリーン) Sustainable(サステナブル) Agriculture(アグリカルチャー)」(以下、「GSA」)を設立し、ミニトマトの生産・販売を始めた。廃食用油を精製したバイオマス燃料を活用した温室水耕栽培だ。  8月後半に苗を定植し、日常の散水や温度管理は自動的に行われる。11月ごろから収穫が始まり翌年の6月末ごろまで続く。昨シーズンは吉川油脂の障害のある従業員2人が収穫作業を行った。その1人、前出の栗原さんは「またトマトの収穫の仕事をしたい」と話していた。  GSAの代表取締役として運営を任されているのは、吉川油脂の統括部長を務める田中(たなか)史子(あやこ)さん。農業はまったくの素人だという田中さんは、いまも試行錯誤の真っ最中だと語る。  「トマトの育て方の基本は、種苗会社の方に指導してもらいました。栽培の基本は自動制御なので大丈夫ですが、問題は、販売先の開拓でした」  初めてのシーズンから驚くほどトマトを収穫できたが、どこでどう売ったらよいのかわからなかったという田中さんは、近くの卸売市場に持ち込んだ。引き取ってもらったが、セリにかけられた値段はとても低かったという。小売店との直接取引をするため、思いつくかぎりの有名スーパーなどに営業をして回ったが、門前払いのところも少なくなかった。  そんなとき出会ったのが、廃食用油の回収元として吉川油脂の工場見学に訪れていた大手スーパー系列の食品加工会社。温室も案内してトマトの商談を持ちかけ納入が決まった。いまでは取引先も、地元のスーパーや結婚式場、道の駅、またふるさと納税品などに広がったそうだ。  「初シーズンはかなり売れ残りがあったのですが、今シーズンはずいぶん減りました。販路拡大を図りながら、さらにおいしいトマトづくり、商品開発に力を入れたいです」としつつ、「将来は、温室と工場があるこの場所で直接販売もしたいと思っています。ここに足を運んでもらってリサイクルの流れを見てもらい、トマトを買って帰ってもらうのが理想です」と話す。  吉川さんは、この事業を始めた理由について「廃食用油がどのようにリサイクルされているか、なかなか一般の人たちはわからないですよね。温室水耕栽培は『リサイクルの視える化』を示し、みなさんに興味を持っていただくきっかけになればと思っています」としつつ、もう一つの目的として、新たな業務創出をあげた。  「工場内の機械化や効率化が進んでくると、いままで障害のある人が担当していた仕事がなくなっていく可能性もでてきます。また60歳以降も本人の希望にそって雇用を継続していますが、工場には体力的に厳しい作業が多く、ドライバー業務も限界があります。無理のない仕事を少しでも増やしたいと思っています」  そうして一人ひとりが安心して働き続けられる職場が、より質の高い商品づくりにもつながるという。吉川油脂は今後も、重要性の高まる廃食用油リサイクル事業を発展させながら、障害のある従業員の雇用や生活支援による共生社会の実現にもかかわり続けていく方針だ。 ※もにす認定制度:障害者の雇用の促進および雇用の安定に関する取組みの実施状況などが優良な中小事業主を厚生労働大臣が認定する制度 写真のキャプション 廃食用油の回収・リサイクル・販売を手がける株式会社吉川油脂の正面入口 株式会社吉川油脂代表取締役の吉川千福さん 総務部マネージャーの大室明日香さん リサイクル事業部門で働く早川悟さん 早川さんは、油脂の分別や抜缶作業を担当している リサイクル事業部門で働く栗原愼一郎さん フィルターシートの汚れをこそぎ落とす栗原さん 社員寮で働く中谷明子さん 洗濯後、従業員の作業服を干す中谷さん 社員寮の入口。社員寮は美しい木立に囲まれている 社員寮の内部。広い室内を区切り、個人用のスペースとしている 大浴場や洗濯場などが入る建物 敷地内の一角につくられた畑ではナスなどが実っていた 社員寮で働く吉田尚幸さん 畑の草取りに精を出す吉田さん ミニトマトの水耕栽培を行う温室 ミニトマトの収穫作業の様子(写真提供:株式会社吉川油脂) 株式会社Green Sustainable Agriculture代表取締役の田中史子さん 収穫したミニトマトは、地元のスーパーや道の駅で販売される(写真提供:株式会社吉川油脂)