職場ルポ リサイクルを支える現場、安心して働ける環境に ―株式会社こんの(福島県)― 再生資源物を取り扱う会社では、安全を確保しながら障害のある社員らが安心して働き続けられる職場づくりに取り組んでいる。 (文)豊浦美紀 (写真)官野 貴 取材先データ 株式会社こんの 〒960-8032 福島県福島市陣場町(じんばちょう)2-20 TEL 024-524-2345 FAX 024-524-2040 Keyword:身体障害、知的障害、精神障害、特別支援学校、施設外就労 POINT 1 社長をはじめとする幹部社員らが障害者雇用の理解を深める研修や職場見学に参加 2 歩行者用白線の整備や声のかけ合いなどで安全な環境を目ざす 3 社内SNS「CanDo委員会」で互いを思いやる社風を醸成 再生資源物の卸売  紙類やペットボトルなどの再生資源の回収から卸売までを手がける「株式会社こんの」(以下、「こんの」)は、1957(昭和32)年に設立され、本社を構える福島県をはじめ宮城県や埼玉県、東京都などに八つの営業所を持つ。  同社が障害者雇用に取り組むことを決めたのは、2000(平成12)年から3代目として代表取締役社長を務めている紺野(こんの)道昭(みちあき)さんだった。「経営がうまくいっていなかったとき、ある本に出会って、社員を大切にすることこそ優先すべきであり、そのなかに障害者雇用もあると知りました」とふり返る。  いまでは全社員156人のうち障害のある社員は13人(身体障害1人、知的障害8人、精神障害4人)で、障害者雇用率は9.52%(2024〈令和6〉年1月現在)だという。2021年に福島県内で2番目となる「もにす認定制度」による認定を受け、2023年には当機構(JEED)の障害者雇用優良事業所等表彰における「理事長努力賞」を受賞している。  毎日のように古新聞や段ボール、大量のペットボトルなどが運び込まれる現場で働く人たちを紹介しながら、これまでの取組みや効果について伝えていきたい。 本をきっかけに  紺野さんは大学卒業後、会社員を経て父の経営する「こんの」を手伝うため帰郷したそうだが、「会社は倒産しかかっていました。よい会社にしようと業績を上げることに一生懸命でしたが、なかなかうまくいきませんでした」。そんなとき、書店で偶然目にした本が、元法政大学大学院教授の坂本(さかもと)光司(こうじ)さんの著書『日本でいちばん大切にしたい会社』だったそうだ。  「いまでは有名な日本理化学工業株式会社などの紹介とともに、"社員を大切にする会社は業績も上がる"と書かれていました。当時、業績が上がれば会社もよくなるはずと思い込んでいた私とは真逆の考え方でした」  「こんな話、すべて本当なわけがない」と疑いつつ、2008年に日本理化学工業株式会社の職場見学に行って、納得したという紺野さん。あらためて坂本さんたちがいう「よい会社」の条件の一つに障害者雇用があると知った。「正直それまで気にかけたこともなかったのですが、大事なことなのだと学びました」  ただ、それでも「重機などが動き回る現場で障害者雇用を進めるのはむずかしいかもしれない」としばらく躊躇(ちゅうちょ)していた。そんなとき、宮城県の仙南(せんなん)営業所に特別支援学校から職場実習の受入れ依頼があった。  「実習ぐらいならと1人を受け入れてみたのですが、驚くほど適材適所でした。普通なら慣れてくると手を抜きそうな作業も、その実習生はまじめにずっと取り組んでくれて本当に感心しました」  2011年の春と秋の2回にわたり参加したその実習生は、本人の希望もあり2012年に採用されたそうだ。 各営業所の所長らも研修に参加  仙南営業所の成功事例を機に、ほかの営業所でも受入れを進めることを決めた。現場の理解を広めるために、紺野さんは、まず各営業所の所長や幹部社員らを対象にハローワーク主催のセミナーや、坂本さんたちが立ち上げた「人を大切にする経営学会」の研修などに参加してもらった。その参加者の1人が現在福島営業所長を務める林(はやし)偉大(たけひろ)さんだ。  「だれもが好きでハンディキャップがあるわけじゃない。障害があろうがなかろうがフラットな存在なのだということを、坂本先生の明快な話で、あらためて理解することができました」  2016年、林さんが当時勤めていた札幌営業所でも、初めて知的障害のある人を1人採用したそうだ。  「ふだんは普通に会話もしていたのですが、ふとしたときに、理解に不得手な部分があるとわかりました。その都度、説明のしかたや作業のやり方を工夫していきました」  札幌営業所が残念ながら2020年に閉鎖された際は、取引先の同業者を紹介し、無事に就職できたという。  林さんはその後、福島営業所に来てから障害のある社員を3人採用しているが、「一人ひとり必要な配慮も事情も違いますから、障害者雇用に慣れるということはありません」と話す。 うつ病を経て54歳で入社  さっそく福島営業所の現場も見学した。ここには毎日のように古新聞や古雑誌、段ボールといった紙類やペットボトルなどが各地から運び込まれてくるそうだ。林さんと、本社管理課の課長で障害者職業生活相談員の小林(こばやし)剛(つよし)さんが案内をしてくれた。  日ごろ工場内で作業しているのは5〜6人と少人数のため意思疎通は図りやすいものの、作業は基本各自で行うため、ふとしたことで接触事故などにつながるリスクがあるという。  そこで障害のある人を採用するにあたり「トラックなどが出入りし、重機が動いている場所には、新たに歩行者用の白線をひきました。搬入トラックにつく誘導係の社員が、周囲とこまめに声をかけ合うなどのコミュニケーションも大事ですね」と林さん。  出入り口から奥まった一角では、「紙管剥(む)き作業」が行われていた。新聞印刷工場で使い切れなかった原紙ロールを、機械に取りつけて回転させながら手作業ではいでいく。はぎ取った紙はまとめて圧縮し、リサイクル先の製紙会社に納入するのだそうだ。  1本20kg以上にもなる紙管を機械にセットしていたのは、八巻(やまき)久男(ひさお)さん(61歳)。「1日50本ぐらい処理するので、けっこう重労働です」と笑いながら説明してくれた。  もともと八巻さんは高校卒業後に自動車部品メーカーに勤めていたが、「家庭内の事情もあり、23歳でうつ病を発症し入院しました」という。「無事に復職したものの、処方されていた薬を勝手にやめてしまって27歳のときに再入院し、初めて障害者手帳を取得しました」  34歳で再び入院したときには会社を辞め、しばらく家に引きこもり、51歳で4度目の入院となったそうだ。「この時期が一番つらかったですね」とふり返る。  その後、農業にかかわるも冬には仕事がなくなるため、病院での清掃業務に就いたが、「屋内で1人で作業する働き方が合わず、つい休みがちになってしまった」ことから2年ほどで退職したという。そして、2017年、54歳のときにハローワークの紹介で「こんの」に就職した。  「いまも基本は1人で作業しますが、周囲に話せる仲間がいるのは以前の職場との大きな違いです。機械を触るのも好きなので、それもよかったですね。地球環境を守るリサイクルにたずさわっているのだと思うと、やりがいもあります」  8年目になる八巻さんは、いまも月1回通院しながら、フルタイムで働く。「体力が続くかぎり、働き続けることが目標です」と話してくれた。 「ここにいてもいいと思える」  別の一角では、地元のスーパーなどから回収されてくる大量の使用ずみペットボトルを圧縮する作業が行われていた。大きな袋に入ったペットボトルを、鉄製の箱型機械のなかに投入してからボタン操作で圧縮していく。林さんによると「7袋ほどを少しずつ投入して80〜90kgのブロックが完成します」とのことだ。ペットボトルのリサイクル率は上がっているそうだが、「少しでも新しいプラスチックごみを出さないために、私はマイボトルを持ち歩いています」と林さん。  完成したブロックを機械のなかから転がすように出して、頑丈なテープ状のひもで縛(しば)り、専用のラップで全体を包む。最後はブロックを手で押して保管場所に移動させるまでが一連の作業になる。これを1人で行っていたのが塚野(つかの)由美子(ゆみこ)さん(51歳)。生まれつきの変形性股関節症で、人工股関節を入れている。  2022年、塚野さんは12年ぶりの再就職先として「こんの」に入社した。これまで、食品から衣類、自動車部品などさまざまな製造業の現場で働いてきたが、年齢とともに症状が悪化し、30歳をすぎた頃に人工股関節の手術を受けたそうだ。  その後、結婚を機に仕事を辞め、3人の子育てに専念していた塚野さんだったが、末っ子の手が少し離れたのを機に「家にこもるのが好きな性分ではないので、思い切って就活を始めました」という。  ハローワークから「こんの」を紹介され、翌日には職場見学にも行った。日ごろから家庭で資源ごみを分別してきたが「リサイクルのことをわかっているようでわかっていなかったですね。社会に必要な分野として興味がわきました」とふり返る。  入社時から、おもにペットボトルの圧縮作業を担当している。最初のころ、ブロックを手で押しても動かせず困っていたら、気づいた同僚がやってきて「2人で押せば動くよ」と手伝ってくれたのがうれしかったという。  「昔から、親や周囲の人に『足が悪いのだから』といって何をするのも制限されていたのが嫌でした」という塚野さんは「いまの職場では、だれにも『足が悪いから』といわれないかわりに、困ったことが起きるとすぐに助けてくれます。『自分はここにいてもいいんだな』と思えるのです」  いまでは1人でブロックを押している塚野さんは「体力づくりの一環ですね」と笑う。林さんは「この作業はノルマがあるわけではないので、自分のペースで無理せずやってもらっています」と説明してくれた。  「私にとって仕事は大事なものなんです。仕事のない日はつまらないんですよね。気持ちにハリが出ますし、ご飯もおいしいです」と充実感をにじませる塚野さん。いまは小中学生の子どもの世話もあるため9時〜16時の勤務だが、子どもがもう少し成長したらフルタイム(8時〜17時)で働くことが目標だそうだ。  ちなみにこのペットボトルの圧縮作業は、定期的に近くの就労継続支援B型事業所にも委託している。ほかの営業所も含め計40カ所以上へ施設外就労を依頼しており、紺野さんは「ほかにも雑誌の付録といった異物の分別など、どうしても手作業に頼らざるをえないような細かい作業は、とても助かっています」という。 すばやい選別作業  福島営業所で、もっとも大量に扱われているのが紙類だ。家庭から出る古新聞を束ねたものが、あちこちに山のように積み上げられている。これらを重機のショベルですくって大型機械に投入すると、ビニールの紐や袋などを取り除いた状態でコンベアに流れてくる。  そのコンベアのわきに立って、機械が取り切れなかった異物を選別していたのは、2020年入社の蜂須賀(はちすか)健(たける)さん(29歳)だ。  蜂須賀さんは中学校在学時に療育手帳を取得し、通信制高校を卒業後はJEEDが運営する福島障害者職業センターで職業準備支援を受けたという。そして5年間ほど運送業でピッキング作業に従事していたが、人手不足による残業続きで休みも取れなくなったことから退職を決めたそうだ。  その後、福島市にある県北障害者就業・生活支援センターに通った際、ほかの利用者や家族と一緒に「こんの」の職場見学に参加し、「いいな」と思ったという。対応した林さんは「当時お母さんから、息子さんの片耳が聞こえづらいことについて相談されました。たくさん質問してもらったのでこちらもやりやすかったですね」と話す。小林さんによると、「ほかの営業所も含めて、特別支援学校の新卒生が入社するときには保護者面談などを行い社会人になるためのフォローもしています」とのことだ。  3カ月間のトライアル雇用で選別作業を担当した蜂須賀さんは、「簡単そうだと思っていたのですが、コンベアの動きが速いなかで、いろいろな異物を見つけて取り除かなければならず、瞬発力が必要でした」とふり返る一方、「私はけっこう体が動いてしまうADHD(注意欠如・多動症)の特性があるので、ずっと立ちながら手を動かす作業が向いているとも感じました」という。  入社前には「自己紹介カード」も提出した。そのなかで配慮してほしいこともあげている。@「あれ、これ、それ」という指示はわかりにくいので、具体的に説明してほしい。A左側の耳が聞こえづらいので、声かけのときは右側から。B学習障害もあるため、計算や漢字の書き取りがむずかしい、などだ。  いまではすっかり仕事にも職場にも慣れたという蜂須賀さんは、周囲に「ハッチ」という愛称で呼ばれ、かわいがられる存在だ。今後は重機の運転資格も取得したいと抱負を語る蜂須賀さんを、林さんは「応援するよ」と激励する。一方で「彼について忘れてはいけないのが、安全面の配慮ですね」と力を込める。  「障害の有無にかかわらずヒューマンエラーはありますが、ハンディキャップを背負っていることで大きな事故につながるようなことには、絶対に遭わせたくありません。彼のハンディキャップのことは、慣れてしまうとつい忘れそうになるので、つねに意識することを肝に銘じています。少しでも危ないことがあったら、すぐにみんなで再確認しています」  最後に蜂須賀さんに、ここで働いていてよかったことを聞くと、こう教えてくれた。  「ここでは毎月渡される給与明細書に、社長さんからのメッセージ文書がついてきます。ある日のメッセージに、『ある本に出会ったことがきっかけで障害者雇用を始めました』と書かれていて、『そうだったのか』と思いました。背景や経緯は意外と知らないですよね。あらためて理解のある職場だとわかり、安心できました」  給与明細書につける社長メッセージは2008年に始まったそうだ。毎回いろいろなテーマについて社長の言葉でつづられており、林さんによると「社員の家族にも読まれていて好評です」という。 社内SNSで「感動」を伝え合う  紺野さんの陣頭指揮で始まった障害者雇用だが、採用から定着までの取組みは基本的に各営業所に任されている。組織だった支援体制がないなかでも比較的うまくいっている理由について小林さんは、「ほかの営業所で障害者雇用がうまくいっているのを社内SNSで知って、『だったら自分たちも』と積極的になって自然と取組みが進んでいったようです」と答えてくれた。  その社内SNSというのが、2013年に設けられた「CanDo(感動)委員会」だ。日ごろから、公私にかかわらず、ほかの社員らに伝えたい「よい話」、「感動したエピソード」などを自由に投稿しあう。なかでもすばらしいと思われた話は、社長自ら「感動大賞」として表彰しているそうだ。2021年にはそれまでに投稿された2100件以上のなかから選りすぐりの約100件にコメントなども加えて再編集した小冊子をつくり、社員らに配ったそうだ。  この社内SNSの効果について小林さんはこう話す。  「いろいろな人のエピソードや思いが紹介されていて、同僚の新たな一面も知ることができます。なにより心が温かくなりますね。こういった社内活動が、職場の内外で自然とほかの人を思いやって大切にしようと思える社風の醸成に影響していると思います」  ほかにも社内では、社員同士で感謝を伝えたいときに短いメッセージを書いて手渡す「ココロジーカード」と呼ばれるメッセージカードもあり、今回取材を受けてくれた3人とも小林さんから受け取ったそうだ。 「わが社の魅力は人」  「こんの」では近年、子ども食堂の支援にも力を入れている。「こんの」が福島市内で展開するフランチャイズ和食店の店長からの発案がきっかけとなり、現在も定期的に子ども食堂へお弁当を差し入れているほか、子ども食堂に来る子どもたちが、店舗で一日店員をするイベントも行っているそうだ。  最近ではウクライナから避難してきた人たちにトイレットペーパーを無償提供したり、震災に見舞われた能登地方の子ども食堂に、義援金だけでなくリクエストに応える形で紙製のコップやトレイを送り届けたりしている。  紺野さんは「社員たちからの提案も含め、よいと思ったことはすぐに行動に移します。いつの間にかいろいろなことに取り組んでいますね」と笑って話す。地道に取り組んできた社内活動による、温かい社風が感じ取れる。ちなみに「こんの」は2015年、「第5回『日本でいちばん大切にしたい会社』大賞 審査委員会特別賞」を受賞している。  紺野さんは「いまは『わが社の最大の魅力は人です』と胸を張っていえますし、いいたいですね」としながら、「まだまだ足りない部分もありますが、これからも社員全員が幸せに働き続けられる職場を目ざしていくつもりです」と話してくれた。 写真のキャプション 再生資源の回収や卸売などを手がける「株式会社こんの」 代表取締役社長の紺野道昭さん 株式会社こんの福島営業所 福島営業所長の林偉大さん 本社管理課課長で障害者職業生活相談員の小林剛さん 福島営業所で働く八巻久男さん 福島営業所の場内には歩行者用の白線がひかれている 八巻さんは紙管剥き作業を担当している 福島営業所で働く塚野由美子さん 圧縮されたペットボトルを取り出す塚野さん チームで作業にあたる就労継続支援B型事業所の利用者(写真提供:株式会社こんの) 福島営業所で働く蜂須賀健さん 蜂須賀さんは、ビニール紐などの異物除去を行っていた 社長メッセージは、社員の家族にも好評だ 「CanDo委員会」によせられた約100件のエピソードをまとめた小冊子「CAN DO」 社員同士で感謝を伝える「ココロジーカード」