第3回 メダリストを訪ねて 〜第10回国際アビリンピック〜 「できない」から「できる」へ、見える世界広がる 電子機器組立種目銀メダリスト 小倉怜さん (株式会社デンソー勤務) おぐら・れい 1992(平成4)年、三重県生まれ。1歳から中学部まで三重県立聾学校に通う。2011年、三重県立宇治山田商業高等学校卒業、株式会社デンソー(愛知県)入社。2017年第37回全国アビリンピック(栃木県)の電子機器組立種目で金賞、2023(令和5)年、第10回国際アビリンピックフランス・メッス大会で銀賞受賞。2024年1月よりデンソー高たか棚たな製作所(愛知県)にある技能人財養成部技能研修開発室技能研修課に所属。  2023(令和5)年3月、フランスのメッス市で開催された「第10回国際アビリンピック」には、日本選手30人が17種目に出場、8人がメダルを獲得した(※1)。  今回は、電子機器組立種目で銀メダルを手にした小倉(おぐら)怜(れい)さん(三重県)に、あきらめず続けてきた努力や職場のサポート、現在の仕事などについて語っていただいた。 (文)豊浦美紀 (写真)官野貴 小3からソフトボール ――小倉さんは、幼少期をどのように過ごされましたか。 小倉 私は1歳児検診のときに重度の神経性難聴であることがわかり、三重県立聾(ろう)学校の乳幼児クラスに入りました。補聴器をつけましたが、それでも徐々に聴こえなくなり、頭痛も併発するので高校2年生のときにはずしました。  よく家族と一緒にプロ野球のテレビ観戦をしていた私は、二つ年上の兄の影響もあり、小学部3年生から地域のソフトボールチームに入りました。唯一の女子で、投手でした。小学部5年生のときに地元の強豪女子チームから声をかけられ移籍、全国大会に出場し、その後チームのなかから私が日本代表に選ばれて国際親善試合のためハワイに行きました。  総勢100人の日本選手団のなかで聾者は私だけでした。当時はまだ補聴器をつけており、近くで話してもらったり口の動きを見たりして意思疎通を図りましたが、距離感があると感じました。でも試合に勝ったあと、帰りの飛行機でチームメイトに誘われてトランプをし、一気にみんなと仲良くなれました。当時のメンバーのなかには、いまも連絡を取り合う友人もいます。 ――その後は、商業高校に進学されたのですね。 小倉 はい。聾学校にソフトボール部がなかったことと、社会人になれば周囲は聾者ではない人たちばかりになるので、前もって「聴こえる人たちの世界を学びたい」という気持ちもありました。  最初は心配していた両親も私の思いを理解し、中学部の先生と一緒に、女子ソフトボールの強豪校だった三重県立宇治山田商業高等学校に出向いて相談をしました。聾者の受入れは初めてだったそうですが、別室受験の配慮もしてもらって無事に合格しました。  入学後は、先生が同級生に私のことを説明し、授業中は隣の席の生徒がノートテイク(要約筆記)をしてくれました。先生から事前に授業内容を教えてもらうこともありましたが、それでも、ついていくのはたいへんでしたね。  学校生活では、集団行動の合図がわからなかったり、グループでの会話の輪に入れなかったりといった苦労がありましたが、部活動をがんばっているうちに自然となくなりましたね。投手として高校2年生のときにインターハイ出場、全国大会には数回出場しました。いろいろな友だちができるなかで、世間の一般常識や暗黙のルールみたいなものも知ることができました。高校生活でのさまざまな経験が、自分を客観視する機会を与えてくれ、精神的な強さも育ててくれたと思っています。 ――就職先に株式会社デンソー(以下、「デンソー」)を志望した理由はなんですか。 小倉 きっかけは高校の進路担当の先生に「デンソーに障害者採用枠があるよ」と教えてもらったことです。すぐにホームページで調べて会社見学会に申し込みました。現場で活躍している聾者の方や人事部の方の話を聞いて、とても聾者に理解が深い職場だと感じました。  入社後は、デンソー大安(だいあん)製作所(三重県)に配属されました。職場でのコミュニケーションは、高校時代までの経験があるのでとくに困らず、上司や同僚も、私を特別視せずに自然体で接してくれるので、楽しく一緒に働くことができて本当に感謝しています。 苦手だった電子機器組立 ――アビリンピック初挑戦から全国アビリンピックで金賞をとるまでの経緯を教えてください。 小倉 私は車の部品などを組み立てる業務を担当していましたが、仕事に慣れてきた入社3年目、「新しいスキルを身につけたい」との思いが強くなっていきました。ちょうどそのころ同じ職場で聴覚障害のある先輩が地方アビリンピックの「電子機器組立」種目に出場し、アビリンピックの存在を知り、上司からのすすめで私も挑戦することにしました。  デンソーでは、地方アビリンピックに出る場合、2週間程度の訓練期間が与えられます。職場の同僚のフォローのおかげで心置きなく訓練に打ち込めました。練習用の部品や精度のよい工具を用意してもらえたことも、ありがたかったです。  「電子機器組立」は数多くの部品と工具を扱い、はんだづけの接合状態や見栄えが重要なポイントです。いまだからいえますが、もともと私は細かい作業が苦手で、精密機器の組立ても好きではありませんでした。少しずつできるようになってきてから、「楽しい」という感覚が出てきたように思います。  社内訓練では、課題の動作不良や外観の整合性の問題などたくさんの失敗をしました。そのたびに原理原則に立ち返り、原因を追求するPDCAサイクル(※2)で自信をつけ、精神力も鍛えられました。とくに当時指導してくれた上司からの「手抜きをすると、よいものはできない」との言葉を胸にがんばってきました。はんだづけ作業などは日ごろ職場で行うことはないのですが、品質のこだわりや安全面の徹底などへの意識を高めることができたことも大きな収穫でした。  3回目の挑戦となる2017年、第37回全国アビリンピック(栃木県)に初出場し念願の金賞をとることができました。社内訓練で積み上げてきたスキルを活かし切れたことが奏功したと思います。緊張せずに臨めたのは、ソフトボールでの経験があったからかもしれません。 国際アビリンピックのレベルの高さ ――国際大会は、国内大会の競技とは違う点も多かったそうですね。 小倉 国際アビリンピックでは、一部の課題内容については事前に公開されません。私自身は、電子回路の基礎を頭に叩き込んだうえで、オシロスコープ(※3)といった専門機器の使い方もマスターしなければ、トラブル対応も含め勝ち残れないと思いました。  渡仏前には、第10回国際アビリンピックの国際審査員を務める職業能力開発総合大学校の高橋(たかはし)毅(たけし)先生にも指導していただき、部品の役割や回路についての理論、計算方法などを教えてもらいました。同じデンソー大安製作所の島田(しまだ)美穂(みほ)さんも日本代表に選ばれていたので、一緒に励まし合いながらスキルを高め合えたのもよかったです。  競技当日の説明はどの日本選手団参加競技よりも早い午前7時から開始され、課題内容や指示の変更がありました。前回とは違い、知識がなければできないことが数多く盛り込まれていて、レベルの高さに橋先生も驚いていたほどです。あとから聞いた話では、課題を作成したフランスの審査員も「ちょっと、むずかしすぎたかも」と話していたそうです。私自身は「やるしかない」と覚悟を決めて臨みました。  競技にかかわる伝達面においては、日本の言語通訳さんと手話通訳さんが活躍してくれて、競技内容も完全に理解しながら進めることができ、とても感謝しています。 手話通訳者の藤田(ふじた)聖子(まさこ)さんから  出国前に日本選手団が集まった場で、未知の分野「電子機器組立」の担当と知り、専門的な用語が多い競技なので茫然(ぼうぜん)としました。行きの飛行機では寝ずに勉強しました。現地でも、ずっと小倉さんたちとともに行動させてもらっていました。おかげで、一丸となり大会に臨むことができました。専門用語の「手話合わせ」もやり込み、新たにつくり出した手話もあります。フランス語→英語→日本語→手話の伝達はたいへんでしたが、よい経験でした。 自分の「視覚能力」再認識 ――競技を通して印象に残ったことがあれば教えてください。 小倉 競技中、説明書に配線の色の指示がないことに気づき、フランス人のチーフ審査員に直接、身ぶり手ぶりで質問してみました。すると彼は手をくるくるさせたジェスチャーをし、それが「なんでもOK」という意味だとわかって「通じ合えた!」とうれしくなりました。国際アビリンピックを通して、言葉は通じなくても心が通じればだれとでも交流できること、人と人がつながるすばらしさを実感できました。  また、さまざまな障害のある選手たちと競い合うなかで、私には聴覚障害があるゆえに「視覚能力が長けていること」を再認識できました。間違い探しが得意で、細かい部品やはんだづけの善し悪しをすぐに判断できるという私なりの力をおおいに発揮できたと思います。  他国の選手たちとは、競技後に健闘をたたえ合ったり、自分から呼びかけて記念写真を撮ったりしたのがよい思い出です。日本選手団でも、聴覚障害があり「歯科技工」種目で金メダルをとった中川(なかがわ)直樹(なおき)さん(※4)と話す機会があり「いいものをつくるには、どうしたらいいか」という話題で盛りあがりました。モノづくりを楽しむ気持ちやこだわりなど、互いに共通する部分や新たな気づきもありました。 モノづくりの楽しさを ――小倉さんは今年から、技能人財養成部で指導する立場になったそうですね。 小倉 おもにアビリンピックを目ざす後輩たちを指導していきます。特別な経験をさせてもらった恩返しという意味でも、自分の経験やスキル、モノづくりの楽しさ、そして人とかかわり感謝することの大切さを伝えていきたいですね。私自身の指導力もレベルアップさせていくつもりです。  先日は、聾学校の生徒さん向けにデンソーが開催した体験会で、プログラミングを教える機会がありました。何もできないところから、できるようになっていく生徒さんの姿にうれしくなりました。あらためて自分は人に教えることが好きなのだと実感しています。 ――最後に、アビリンピック出場を考えている人へのメッセージをお願いします。 小倉 私自身、初めての地方アビリンピックでは課題がとてもむずかしく感じ、国際アビリンピックなんて夢の話だと思っていました。その後も本当は、あきらめそうになったときもありましたが、職場のみなさんに助けられました。やはり「継続は力なり」です。途中で挫折しても努力を続けていけば大きな力につながっていきます。なにより「できない」が「できる」に変わると、見える世界が広がります。ぜひみなさんも挑戦を続け、みなさんにしかできない経験をしてください。 職場の方より 株式会社デンソー 技能人財養成部 技能研修開発室長 横井(よこい)雅弘(まさひろ)さん  自動化が進む現場では電子機器組立の作業はほとんどありません。それでもアビリンピックに参加する理由は、正しく安全に作業することや部品の整理整頓、作業改善など「モノづくりにおいて大事なこと」を教えるにはとても優れた競技だからです。「内発的動機づけ」にもつながるアビリンピックには、今後も社員にどんどん挑戦してもらいたいですね。 株式会社デンソー 技能人財養成部 技能研修開発室 技能研修課担当係長 園田(そのだ)真史(まさし)さん  聴覚障害のある常駐の専門講師は小倉さんが初めてです。私たちは今後、障害のある社員がアビリンピックだけでなく、社内でもっと活躍していけるよう新しい研修プログラムを検討していきます。小倉さんには、実直さや好奇心旺盛さ、前向きな姿勢を崩さず、後輩たちの挑戦を後押しする存在になるよう期待しています。 ※1 本誌2023年6月号で「第10回国際アビリンピック」を特集しています。 https://www.jeed.go.jp/disability/data/works/202306.html ※2 PDCAサイクル:Plan(計画)→Do(実行)→Check(評価)→Action(改善)をくり返しながら業務改善を図る方法 ※3 オシロスコープ:電気信号の時間経過による変化を視覚的に表示する機器 ※4 本誌2023年11月号の「メダリストを訪ねて」で中川直樹さんにご登場いただいています。https://www.jeed.go.jp/disability/data/works/book/hiroba_202311/index.html#page=4 写真のキャプション 第10回国際アビリンピックにおいて課題に取り組む小倉さん 競技スペースには、さまざまな工具やオシロスコープなどの検査機器が並ぶ 第10回国際アビリンピックにおいて製作した電子回路の一部 第10回国際アビリンピックで小倉さんが獲得した銀メダル(写真提供:株式会社デンソー) 上司や同僚らが寄せ書きをした国旗とともに国際大会に臨み、銀メダルを手にした 通訳にあたる手話通訳者の藤田聖子さん(右) 聾学校の生徒向けに開催された体験会での一コマ。プログラミングを指導した(写真提供:株式会社デンソー) 次回の「メダリストを訪ねて」は、次号(2024年7月号)に掲載予定です。お楽しみ