エッセイ 印象深い海外の視覚障害者 最終回 アイン・ビエト・ディン(ベトナム) 日本点字図書館 会長 田中徹二 田中徹二(たなか てつじ)1934(昭和9)年生まれ。1991(平成3)年、社会福祉法人日本点字図書館館長に就任。1993年、国連アジア太平洋経済社会委員会(ESCAP)の「アジア太平洋障害者の十年」のスタートを機に、アジア盲人図書館協力事業を立ち上げた。マレーシアを起点に、アジア太平洋諸国で点字印刷がないところを対象に、点字印刷技術を指導。2004年からは視覚障害者個人向けに、パソコン技術指導も行っている。2001年4月から2022(令和4)年3月まで日本点字図書館理事長、現在は会長。  社会福祉法人日本点字図書館(以下、「日点」)は、2004(平成16)年からアジア太平洋地域の視覚障害者にパソコンの使用訓練を始めた。スクリーンリーダーの入ったパソコンを各人に渡して、キーボードの操作から指導した。当時のアジアでは、たとえエリートであっても、パソコンを持っている視覚障害者はほとんどいなかった。  アインは、東京で開いた第1回目の講習会に参加してきた。ベトナム盲人協会(以下、「VBA」)のリハビリテーションセンターで点字などを指導するかたわら、あちこちの大学に顔を出してさまざまなことを学ぶ若い女性だった。英語が堪能で、しかも優秀な彼女が、自由に文字が打てるようになったら、能力をさぞかし発揮するだろうと思われた。また、リハビリテーションセンターでもパソコンの学習が始まれば、その指導者になれる。予想通り彼女はVBAのなかで重視されるようになっていった。  アインは2007年には29歳の若さで、ハティン省のVBA支部の副会長になった。2年でハティン省からVBA本部に呼ばれると、リハビリテーションセンターの副所長に任命されたのである。そして、39歳からVBAの副会長として、文化教育部、国際部、女性部を取り仕切っているのだ。  私は、アインがハティン省にいるときに訪ねた。点字印刷技術を導入したいと申請してきたからだ。駅までアインがタクシーで迎えに来てくれた。タクシーで小一時間ほどの町は、人の気配をほとんど感じない静かなところだった。こんなところにも点字を読む視覚障害者はいるのかと思ったのを覚えている。  日点のパソコン指導は、いまも続いている。指導を始めて3〜4年もしないうちに、アジアのパソコン事情は一変した。視覚障害者にもパソコンがいきわたるようになり、初級訓練は必要なくなった。そしていまでは、プログラミングなど高度な指導が中心になっている。アインは中級、上級とその都度3コースに参加したのである。  アインが結婚したのは31歳、ハティン省から帰ってきたときだ。相手は同じくVBAのリハビリテーションセンターで働く男性だ。ハノイで会ったことがあるが、もの静かな視覚障害者だった。子どもは二人いて、いま、娘は14歳、息子は8歳だという。もう手を離れているので、仕事に集中できるだろうが、子どもが幼いときは家庭のやりくりには苦労したに違いない。彼女はこのように全盲ながら、仕事も家事もりっぱにこなしている女性なのである。40代半ばで、VBAの副会長を続けているのだから、アインがいかに支持されているかがわかるというものだ。  VBAは、英国王立盲人協会やスペイン盲人協会のように、その国の視覚障害者対策を一手に引き受けている団体だ。政府の支援も受けており、ベトナムでの力は大きい。全国各地に支部があり、視覚障害者が所属する施設などを多く管理している。例えば、視覚障害者を中心に10人前後が集まるグループを全国で135も管理しており、所属人数は4200人に達するという。そこでは、手工芸品、つまようじ、箸、苗木、バッグ、キーホルダーなどをつくる仕事をしている。わが国の就労継続支援事業所のようなものに違いない。  アインによると、ベトナムの視覚障害者の職業はマッサージ師が多く、視覚障害者が運営するマッサージ店は800以上あるという。さらに、農業に従事する人も多く、家族とともに牛、鶏、アヒルなどを飼育している。VBAのリハビリテーションセンターは、職業訓練として年間約200人の視覚障害者に、マッサージ、IT、手工芸品、農業などを指導しているという。視覚障害者の就労に向けて、ベトナムでもむずかしいながら努力を続けているといってよい。