編集委員が行く 町をあげて「幸せな就労」を支えるIPSを活用した就労の実現とその意義 社会医療法人清和会 西川病院、石見食品株式会社(島根県) 有限会社まるみ 取締役社長 三鴨岐子 取材先データ 社会医療法人清和会 西川病院 〒697-0052 島根県浜田市港町293-2 TEL 0855-22-2390(代表) 石見(いわみ)食品株式会社 〒697-0006 島根県浜田市下府町(しもこうちょう)388-60 TEL 0855-28-1211 編集委員から  精神障害のある方々が就労できるように、さまざまな訓練プログラムが研究・開発され、日々多くの人が訓練に取り組まれています。適性を調べ、合致していると思われるものを習得して伸ばし、雇用の場へ移行していきますが、実際に働いてみるとうまくいかないこともあり、なかなか定着しない現実があります。米国で開発されたIPSという手法は、真逆の発想で、トレーニングをすることなく就労し、その後、職場で働きながら能力を開発していくものです。今回は、先進的にIPSを取り入れて成果をあげている島根県浜田市の病院と企業を取材しました。 Keyword:精神障害、病院、医療スタッフ、地域連携、就労支援、IPS、作業療法士、精神保健福祉士、工場、もにす認定 POINT 1 精神障害者の回復において、就労が一つの手段となっている 2 IPSという就労支援手法を取り入れ利用者をサポート 3 病院が中心となり、障害者雇用を地域企業に波及させていく IPS「個別就労支援プログラム」とは  IPSとは「Individual Placement and Support」の略です。「Individual」は「個別の」、「Placement」は「配置・就職斡旋」、「Support」は「支援」を意味します。日本語では「個別就労支援プログラム」などと呼ばれています。IPSは、アメリカで1990年代より開発された手法です。日本の一定規模の企業には法律で定められた障害者の雇用の義務があり、それを満たす目的で障害者の就労を実現する訓練プログラムが多く存在しますが、それは当然ながら就労という結果を目的とするものです。反対にIPSの発祥は、精神疾患の回復には就労が効果的だという、医療側からのアプローチです。その効果の高さから、最近では就労移行支援事業所などで、IPSを活用しているところも増え始めています。 障害者の就労を支えるのはだれか  障害者は日常生活そのものに困難があるということは、容易に想像することができます。日常生活の困難を克服しなければ、就労継続はむずかしい。日常生活支援までを雇用側がになうことへの負担があることから、最近は、福祉・医療の専門家の意見を取り入れることが有効であると考えられ、雇用・福祉・医療の連携の重要性、必要性を感じている方も多いと思います。  今回、島根県浜田市において、病院の医療スタッフによるIPSを活用した就労支援が成果を上げていると耳にし、社会医療法人清和会の西川病院と、就労先のひとつである石見(いわみ)食品株式会社を取材しました。 西川病院林先生の一般就労への思い  西川病院では、医師であり同法人理事長の林(はやし)輝男(てるお)さん自らがリーダーとなり、2016(平成28)年よりIPSを導入しています。法人として就労移行支援事業で行うか、精神科デイケア(※1)で行うかを議論し、デイケアのプログラムとして行うことを決めました。  林さんから一般就労への思いをお聞きしました。  「私は広島県出身ですが、精神科医になった当初、教授からのすすめで島根県浜田市の西川病院に診療援助に行くことになりました。通常であればおそらく閉鎖病棟に入院するような患者さんが、外を歩いたり庭でくつろぐ姿を見て驚きました。当時(1992年ごろ)は、日中は多くの患者さんが漁港で魚の選別作業や、トロ箱づくりなど、院外作業で働きに出ていました。『やればできるんだな』というのが最初の実感でした。半日働く人もいれば、夕方まで働く人もいる。診察を通してこういった患者さんたちと触れ、『必ずしも症状がすべてなくならなくても、働ける人はいっぱいいるのだ』と感じました。  その後、ご縁がありアメリカで研究を行うことになり、15年間アメリカで暮らしました。地域の花火大会では『統合失調症協会』、『メンタルヘルス協会』などのブースがあり、精神疾患があっても地域で活発に活動する姿を見て、日本の遥か先を進んでいるな、とたいへん驚きました。帰国後は患者さんのそばの医療現場に戻ることを選び、浜田市に戻りました。  人口約5万人の浜田市にある西川病院は、医療機関としての役割だけではなく、『住む』、『営む』、『働く』を運営の基本として地域生活支援を網羅し、グループホーム、地域活動支援センター、生活介護事業所、就労継続支援A型・B型事業所(おもに病院内の業務を担当)、相談支援事業所、訪問看護ステーションなどを運営しています。  最近、国は『精神障害者にも対応した地域包括ケアシステムを普及しよう』といっています。医療と福祉と社会参加、この三つが重なる部分で精神障害者を支えようというコンセプトは非常によいのですが、現状は医療と福祉だけにとどまってしまい、社会参加がむずかしい。ではどのように社会参加すればよいかというと、最もよいのが『一般企業への就職』です。私たちはここに力を入れています」 IPSの特徴  「現在就労移行で主流の考え方は、保護された訓練環境のなかで、できることを増やしてから就職する『Train-Place Model(トレイン プレイス モデル)』です。安心しながら一般就労を目ざすことができると想定されますが、時間がかかる。また、就労移行支援の訓練の場から職場に『移行』したときは、支援者間の連携が大切だといわれますが、上手な連携には相当高度なテクニックが必要で、実際はかなり苦労していると思われます。一方、IPSは真逆で、まずは就労してしまい、支援を受けながら訓練していく『Place-Train Model(プレイス トレイン モデル)』です。IPS支援スタッフは職探しから就労後の支援まで、同じ人が担当する伴走支援のため、引継ぎの切れ目というデメリットがありません」と林さんは説明します。  また、IPSには科学的に効果が実証されている八つの原則があります(図)。  障害のある人の就労先としては、就労継続支援A型・B型事業所のほか、特例子会社などもありますが、IPSでは一般企業で、ほかの従業員と一緒に働くことを想定しています。福祉的・保護的環境ではない場で、個別支援を受けて働くことも特徴といえます。 西川病院におけるIPSの実際の運用  取材では、週に一度開かれる「清和会IPS就労支援チーム」(以下、「S・IPS(シップス)」)の定例ミーティングに同席させていただきました。  S・IPSにはスーパーバイザーである林さんのほか、1人の作業療法士と1.25人の精神保健福祉士が在籍しています(1人は他部署と兼任であるため、0.25人換算)。なぜ厳密にスタッフ数をカウントするのかというと、IPSでは1人のスタッフが担当できる患者数が約20人と決まっているからだそうです。  ミーティングは、林さんの「今週のグッドニュースを教えてください」という言葉から始まりました。支援スタッフの川本(かわもと)悠大(ゆうた)さん、瀧山(たきやま)友香(ともか)さんから、ある利用者さんが240日間の支援で就労が決定した報告がされました。支援開始から何日経ったのか、全員分が一覧表になっていて、だれが長くかかっているか、そろそろだれが卒業したらよいかを話し合います。月に1回、病院内の各所とのミーティングも行い、次に就労に進めそうな人のリストアップもしていて、45人の定員に空きが出るのを待っている人が何十人もいるとのことでした。それから一覧表を見ながら、1週間で変化のあった人の報告をします。それは職場の話のほか、生活面や病状のこと、転職を考えていることなど多岐にわたっていました。  ある一人の利用者さんに、どのような仕事が向いているかも、時間をかけてアイデア出しをしました。まずは、ご本人の希望(日数、時間数、場所、体力的なこと、好み、収入など)を共有し、それを実現できそうな職場をみんなで考えていきます。その際、ついついできないことに目がいってしまいますが、ご本人が保持する強みに着目することが重要だそうです。例えば、特性上、細かい仕事は苦手だったり、膝が痛いという情報もありましたが、両親と同居していて、生活面は安定していること、とても家族思いであること、運転免許証と車を持っていることが共有されました。さまざまな業種のなかから「接客業が向いているかもしれない」という意見も出ました。  話にあがってくるすべての利用者さんのことを、医師である林さんがよくご存じで、利用者さんの情報がさまざまな角度から、より深く共有されていました。林さんが担当ではない利用者(患者)さんのことは、主治医にこまめに連絡しているそうです。  林さんが全体を把握して、介入の仕方などをアドバイスしていました。とにかく林さんは小さなニュースでも「よかった、よかった」と受けとめておられ、ニコニコとアドバイスをしている姿が印象的でした。  S・IPSは開始して丸8年で、2023(令和5)年3月までに2人の就労支援専門員で164人を支援。就労実績は約60%。訪問した事業所の数は369社です。活動は米国IPSのルールに忠実に行っているそうです。病院・事務所で面談をすることもありますが、活動時間のうち、約70%は地域に出かけていくルールです。ある利用者の職場移転で通勤経路が変わったため、バス停で待ち合わせて経路を一緒に確認し、その後は別の利用者の職場を訪問し職場の管理者と面談し、相談に乗ります。午後はハローワークに行って求人と求職者の情報マッチングをする、というような感じです。  IPS八つの原則のなかでなによりも重要なのは、本人の「希望」や「好み」を優先することだそうです。「希望」からスタートしたときに、人はやる気が高まり、能力も伸びやすくなるということでしょう。  しかしこれには、求職者を受け入れる職場へのサポートも欠かせないと感じています。IPSでは職場への支援も、本人支援とセットで大切にされています。これが、就労準備ができていない利用者が入念な準備をせずに働きはじめても、うまくいく秘訣なのだと思います。 病院と地域をつなげる活動  先述の通り8年間で2人の就労支援専門員が訪問した事業所の数は369社です。浜田市の総事業所数は3495事業所(※2)ですので、約1割の企業を訪問したことになります。「どのような仕事があるか」や「精神疾患を経験した方を雇用する意思があるか」なども、それとなくヒアリングするそうです。そのうち、働いてくれるならお願いしたいという企業が約半分の47%ありました。これは大きな手ごたえです。半数もの企業が精神障害者の雇用に前向きというのは驚きです。2014年の調査(※3)では、浜田市の生産年齢人口割合が52%で、日本全体では61.3%でした。つまり、働き手不足が全国平均よりも進行していると考えられます。  加えて、S・IPSのような医療従事者が直接バックアップして支援することに安心感があったこともあり、47%というすばらしい数字になったと思われます。  西川病院は、地域全体で精神障害者の就労を考える気運を高めるため、浜田市から基幹相談支援センターの委託を受け、直接ネットワークづくりに乗り出しています。副市長を訪問してアドバイスをもらったり、ほかの支援事業所を訪問するなど、絵にかいた餅にならないようなアクションが実効的だと思いました。ほかにも、地域で啓蒙(けいもう)映画の上映会をしたり、病院内で就労経験者に語ってもらう会を開いたりして、働く当事者の声も広げています。 S・IPSのみなさんからコメントをいただきました 川本悠大さん  毎日の活動は、予定通りにならないこともたくさんありますが、何がたいへんかとあらためて聞かれると、結構忘れてしまっていますね。一緒に作業を経験させてもらって、いつもとは違う面が見られたりするのがおもしろいです。働くことがすべてではないですが、就労に向けて動くことがリカバリーの過程の一つとして、その人が自分らしい人生を見つけたり、やりたいことを実現できる支援をしていきたいと思っています。 瀧山友香さん  大学時代の実習でIPSを知りました。一人の人と深くかかわるIPSの伴走支援は、むずかしさもありますが、ご本人の成長を見られたり、就職先が決まったりしたときは、とてもうれしいです。面接に同行する途中で虹が出ていたときがあり、「いいことありそうだ!」と面接に臨んだら、その場で採用決定になったことがありました。虹を見たことで二人のよい思い出になったことを覚えています。 林輝男さん  この取組みが他地域でも広がってほしいと思っており、問合せをいただいた病院とのZoom勉強会などを重ね、IPSを開始された病院もいくつか出てきました。この先、どこの街にも一つはIPSチームがあるような社会になればよいと思います。一緒に働く人が増えることで、精神障害に対する理解や気づきが市民の間に広がってほしいです。 働く人たちを訪ねて  西川病院のみなさんに見送られ、午後は車で10分ほどの場所にある石見食品株式会社(以下、「石見食品」)へ移動しました。創業61年になる石見食品は、大きな二つの工場で豆腐、油揚げ、厚揚げ、惣菜などを製造・販売しています。代表取締役社長の石田(いしだ)浩志(ひろし)さんに迎えていただきました。  従業員63人のうち、障害のある従業員は5人です。30年前に当時の養護学校から新卒で入社した森川(もりかわ)ゆき子さん、中途採用で入社して1カ月の高橋(たかはし)貴弘(たかひろ)さんの職場を取材させていただきました。  森川さんは豆腐工場で、レーンに流れ てくる豆腐を、一つひとつ手に取り、へ こみ、崩れ、印字ミスがないかを目視し、 パレットに並べていく作業を行っていま した。豆腐は一定の速さで流れてくるので、 手を休めることができません。水分が多 いものなので、パレットも重いと思われ ます。気の抜けないたいへんな作業だと 感じました。  「森川さんは勤続30年のベテランですので、工場のどんな仕事もこなせますし、みんなが敬遠しがちな仕事を率先して引き受けてくれる頼もしい存在です」と、説明してくださる石田さんの言葉から、従業員との信頼関係を感じました。  高橋さんは、S・IPSから石見食品のことを聞き、応募し採用されました。取材時は揚げ物をつくる場所で、パレットの洗浄などを行っていました。豆腐製品の製造は、いくつもの工程があるので、ベテランの先輩方に教えてもらいながら、すべての工程を覚えるのが目標で、定年まで勤めたいと力強く語ってくださいました。 もにす認定、地域での役割  石見食品はS・IPSだけでなく、地域のさまざまな支援機関とつながり、障害のある方の就労先としての門戸を広げています。徐々に高齢化していく地域のなかで、一定の配慮が必要であっても、工場で活躍してくれる人の存在はとても大事だということです。  社是は「作ることへの喜びを感じ、働くことへの生きがいを感じ、感謝の気持ちを大切にしよう」です。障害のあるなしにかかわらず、採用の際の大切な基準は、「挨拶ができる人」とおっしゃっていました。たとえ仕事ができたとしても、挨拶ができない人は、職場で孤立しがちになる、と石田さんはじつによく全従業員を見ておられます。  同社は2023年11月22日に、島根県内で13番目となる、「もにす認定(障害者雇用に関する優良な中小事業主に対する認定制度)」を受けられました。浜田圏域では第1号認定となります。西川病院などの取組みの成果として、浜田圏域では、障害者雇用を行う事業所が増えていますが、そのなかでも同社はリーディングカンパニーとしての役割をお持ちなのではないか、と感じます。  障害者雇用を、西川病院のような医療機関が率先して広げているのはとても珍しいケースで、浜田圏域の可能性の大きさを感じます。企業交流会も開催されるようになり、ハローワークからの声かけなどもあって、同社をはじめ多くの企業が集まっているそうです。支援機関連携のほか、気軽に相談し合えるような会社同士の連携があれば、地域としてさらに障害者雇用が進んでいくものと思われます。 おわりに  私は企業側の人間として、IPSは専門家が行うもの、むずかしいものという先入観があり、苦手と考えていました。しかし今回の取材で、当事者支援と企業支援がセットだと学び、「Train-Place Model」の連携のむずかしさを解決できるものだという可能性を感じました。  1社だけではなく、地域として精神障害者雇用が浸透していくことの相乗効果もあり、そのけん引役を病院がになっていることもすばらしい取組みでした。もちろん、就労できる人が増えれば、元気になる人も増加しますので医療費の削減にもなります。  利用者にとって、就労は決して簡単なことではありません。「『やれんねー』と思うこともたくさんある」と、S・IPSでお聞きしました。しかし、うまくいかないことがあっても、「『どうねー、どうねー』といいながら、利用者の斜め後ろからついていく支援」と話していた林さんの言葉から、利用者の幸せを願う温かな思いを感じる取材となりました。 ※1 精神科デイケア:精神障害者の社会生活機能の回復を目的として個々の患者に応じたプログラムにしたがってグループごとに治療するもの。実施される内容の種類にかかわらず、その実施時間は患者一人あたり一日につき6時間を標準としている(精神科医師、作業療法士、精神保健福祉士、臨床心理技術者、看護師などが在籍する) ※2 総務省「平成26年経済センサスー基礎調査」(2014) ※3 総務省「人口推計(平成26年10月1日現在)」 図 「IPS八つの原則」 1 競争的雇用に焦点が当てられている  重い精神障害がある人たちは目標を一般雇用において、それを達成することができると考える。 2 仕事探しをいつ始めるのかはクライエントの選択に基づいている  働く準備ができているかどうかの評価・診断・症状・不法薬物の使用歴・精神科病院への入院歴・障がいの程度または刑事罰を受けた過去などによって、働くことを望む人々を排除しない。 3 リハビリテーションと精神保健サービスの統合  IPSプログラムは精神保健治療チームと統合されている。 4 クライエントの好みを尊重する  サービス提供はプロバイダーの判断よりむしろクライエントの好みと選択に基づいている。 5 個別の経済的カウンセリング  就労スペシャリストは、クライエントのために社会保障、医療扶助他の公的援助に関する個人用にカスタマイズされ、分かりやすく、かつ正確な情報を得るのを援助する。 6 迅速な職探し  IPSプログラムでは就職のためのアプローチとして、長期にわたる職業前評価や訓練・カウンセリングを行うよりもむしろ、クライエントが直接仕事を得るのを助けるために迅速な職探しをするアプローチを用いる。 7 系統的な職場開拓  就労スペシャリストは、計画的に地元の雇用者と接触を持つことによって、クライエントの興味に基づく雇用者ネットワークを構築する。 8 無期限の個別支援  クライエントが望み、必要とする限り、フォローアップ支援は個別に判断されて継続される。 出典:日本IPSアソシエーション(JIPSA)ホームページ(https://jipsa.jp/ips/about-ips-3) 写真のキャプション 社会医療法人清和会 西川病院 社会医療法人清和会理事長で精神科医の林輝男さん S・IPSの事務所やデイケアが入る作業療法棟 S・IPSの定例ミーティングに同席させていただいた S・IPS就労支援専門員で精神保健福祉士の瀧山友香さん S・IPS就労支援専門員で作業療法士の川本悠大さん 豆腐工場で働く森川ゆき子さん 石見食品株式会社代表取締役社長の石田浩志さん 石見食品では豆腐や油揚げなどを製造している 石見食品株式会社 本社豆腐工場 豆腐工場で働く高橋貴弘さん 高橋さんはパレットやラックの洗浄などを担当している