私のひとこと 共生社会のフロントランナー:障害当事者と共に築く、D&I先進企業への道 筑波技術大学障害者高等教育研究支援センター 教授 白澤麻弓 はじめに  筆者の所属する筑波技術大学は、聴覚・視覚に障害のある学生を専門的に受け入れている日本で唯一の高等教育機関です。キャンパスは二つに分かれていて、少人数教育のもと、学生の障害特性にあわせた教育が行われています。  このような筑波技術大学で、今年、新たな学部が誕生しました。その名も「共生社会創成学部」といいます。この学部のコンセプトをひとことであらわすと、「ダイバーシティ&インクルージョン(D&I)時代の当事者リーダーを育成する」という点に集約されます。障害のある人を取りまく制度や社会意識は、D&Iの実現に向けて着実に変化をみせてきました。しかし、いざ障害当事者が企業に就職し、持てる力を発揮して活躍したいと思っても、まだまだ多くの壁にぶつかってしまう現状があるのではないでしょうか。私たち共生社会創成学部では、こうした課題に対し、障害や社会、情報アクセシビリティに関する知識技術を習得した障害当事者を社会に輩出することで、D&I推進の一つのきっかけになればと願っています。本稿では、こうした私たちの理念について紹介するとともに、障害当事者がD&I推進の主役となり、企業と共に未来を創造していくための道筋について、考えていければと思います。 「見えない壁」を知る強み:障害当事者こそ、D&I推進のキーパーソン  冒頭にも述べた通り、現在の企業や社会には、目には見えにくい「壁」が存在しているように思います。そして、障害のある方々は、日々これに直面しつつも、乗り越える工夫を重ねています。この経験が、ほかの社員では気づきにくい組織の課題発見や多様な人々にとって働きやすい環境をデザインするための「特別なレンズ」となり得るのではないでしょうか。私たちが育成を目ざす「当事者リーダー」とは、まさにこうしたレンズを通して、組織や社会のD&Iを推進していく可能性を秘めた人材になると考えています。  先日、本学の聴覚障害のある学生が、悩みを抱えて相談に来てくれました。彼女はカフェでアルバイトをしていますが、レジ対応に時間がかかり、お客さまやスタッフに迷惑をかけていると感じていたのです。「もっと早く、スムーズに対応ができるようになりたい。でも、どうしたらよいのかわからない」といいます。たしかに、既存の「聞こえる人」を中心に設計されたオペレーションのなかでは、聴覚に障害のある店員さんは困難を抱えがちです。そして、その状況に対して「合理的配慮」を提供しようとしても限界があるでしょう。しかし、これは本当に彼女一人の問題なのでしょうか。  思い詰めていた彼女に、私は一つの問いを投げかけてみました。「もし、あなたがカフェのリーダーだったら、このお店をどんな風にデザインする?」。すると、彼女の表情がみるみる変わり、堰(せき)を切ったように話し始めました。「従業員同士がもっと互いを理解し、だれもが笑顔で働けるような職場にしたい。そのためにも、互いに気軽に相談し合えるような…申し訳なさを感じなくていい職場をつくりたい」、「スタッフ全員の顔写真と名前はもちろん、自己紹介や趣味、ほかのスタッフに知ってほしいことなどをまとめたプロフィールブックをつくって、見られるようにしたらどうかな」、「お客さまが注文する際も、もっとわかりやすい指差し注文の方法があるはず。それを提案したい」。彼女からは、そんなアイデアが次々と溢れ出てきたのです。  このエピソードは、障害のある人が単に「支援を受ける」立場から、「自らが活躍できる環境をデザインする」立場へと視点を転換したとき、いかに創造的で豊かな力が発揮されるかを示唆しているように思えます。彼女が提案したアイデアは、彼女自身を助けるだけでなく、きっとスタッフ全員のコミュニケーションを円滑にし、お客さまにとっても利用しやすいカフェへとつながる可能性を秘めていることでしょう。これこそ「当事者リーダー」が持つ力の一端ではないかと思います。 合理的配慮は「負荷」か? 「戦略的投資」としての可能性  一方、障害者雇用の懸念の一つに、合理的配慮の負荷があります。たしかに、個別の配慮には初期コストや運用の工夫が求められるでしょう。しかし、これを単なる「負荷」ととらえるか、企業の成長をうながす「投資」ととらえるかでその意味合いは大きく変わってきます。  例えば、聴覚に障害のある人が会議に参加する際に情報保障を行うことは、一見、手間や負担増に思えるかもしれません。しかし、会議内容を文字化すれば、議事録作成の効率化や議論の「見える化」につながり、生産性向上も期待できます。情報保障によって当事者の能力が発揮されれば、業務負荷の分散や多様な視点での意思決定も可能です。このように個別の配慮が、組織全体の利益となることは決して少なくないのではないでしょうか。  こうしてみてみると、障害のある人への合理的配慮は、「特定のだれかのためのコスト」という側面のみでなく、新たな組織文化を育み価値創造につなげる「戦略的投資」ととらえ直すことができるでしょう。もちろん、これは理想論であり、きれいごとかもしれません。実際に、すべてがうまくいくわけではないでしょう。しかし、ほんの少し視点を変えることで、これまでみえてこなかった可能性や、組織の強みを発見できるのではないかと感じています。 「当事者リーダー」とともに、企業の未来地図を描くために  これまでに述べてきたように、私たち共生社会創成学部では、企業変革のにない手となる当事者リーダー育成を目ざしています。障害のある社員の独自の視点やアイデアを活かすことは、新たな事業機会の創出や企業文化改善、競争力強化につながる可能性を秘めているのではないかと思います。共生社会のフロントランナーとしての新たな道を切り拓いていくためにも、まずは、障害のある社員の声に耳を傾け、彼らとともに新しい未来をデザインしていくための一歩を踏み出してみませんか。 白澤麻弓 (しらさわまゆみ)  筑波大学卒業後、同大学院博士課程にて博士号(心身障害学)を取得。2004(平成16)年に現在の勤務先である筑波技術大学(当時:筑波技術短期大学)に着任し、現在は同大学障害者高等教育研究支援センター教授。日本聴覚障害学生高等教育支援ネットワーク(PEPNet-Japan)事務局長。2025(令和7)年からは、同学に新設された共生社会創成学部共生社会創成学科長に就任。手話通訳士。おもな著書に『海の向こうに行ったら日本が見えた−米国先進大学に学ぶ聴覚障害学生支援』(デザインエッグ)など。