エッセイ 障害のある人の地域生活支援について 第4回 バリアフリー演劇は共生社会の入口 日本社会事業大学社会事業研究所 客員教授 曽根(そね)直樹(なおき) 知的障害のある人の入所施設、障害児の通園施設、レスパイトサービス、障害者グループホームの職員を経験した後、障害者相談支援事業の相談員などを経て厚生労働省障害福祉課虐待防止専門官として5年間勤務。日本社会事業大学専門職大学院教授を経て定年退職後、現職。 バリアフリー演劇の衝撃  「バリアフリー演劇」と聞くと、舞台の袖に手話通訳者がいて聞こえない人に役者のセリフを手話通訳したり、三脚式のスクリーンを客席の隅に立てて字幕を映したり、見えない人のためにイヤホンを貸し出して、演劇の情景を説明する音声ガイドを流したり、という合理的配慮がある演劇鑑賞会とイメージされるかもしれません。  4年前、はじめて「東京演劇集団風」のバリアフリー演劇を観て衝撃を受けました。舞台で演技する役者と一緒に動き回りながら手話通訳をする舞台手話通訳者、舞台のセットの真ん中に直接映し出される字幕、役者の動きに合わせてアドリブも入れながら会場に流れる生の音声ガイド。これだけでも驚きなのに、演劇の最中に次々に舞台に上がる子どもや知的障害のある人たち。それを止めるどころか、役者は舞台に上がった人たちを巻き込んで演劇を続け、さらに上がってくるように誘っているようにさえ見える…。想像できますか? バリアフリー演劇が超える壁  バリアフリー演劇には三つのバリアフリーが掲げられています。舞台手話通訳者や字幕、音声ガイドなどの情報のバリアフリー、劇場がなくても、体育館があればすべて持ち込みで劇場に変えてしまう地域差のバリアフリー、演劇の最中に舞台に上がることができる、舞台と客席のバリアフリー。  これまで、知的障害のある人にとってのバリアフリーは、漢字にルビをふる、わかりやすい言葉を使うなど、情報保障が中心でした。でも、文字を読むことがむずかしい重い知的障害のある人にとってのバリアフリーはなかったように思います。劇場では静かにおとなしくしていることが求められますが、それが苦手な人にとっては苦痛でしかありません。自由に舞台に上がることができて、演劇の世界に入り込むことができるなんて、最高のバリアフリーではないでしょうか。だれでも、どこでも、すべての人が楽しめる、体験のバリアフリーを実現しているのです。 幸せに包まれる瞬間  一般的に、演劇は演出家がつくりあげた世界観を役者が舞台で表現し、それを観た観客に感動を与え、そのことに役者は歓びを感じるのではないかと思います。東京演劇集団風もバリアフリー演劇だけを上演しているのではなく、バリアフリーではない一般的な演劇公演も行っています。それで、劇団の役者に、一般的な演劇とバリアフリー演劇、どちらにやりがいを感じるか聞いてみました。  その答えは、バリアフリー演劇も一般の演劇もどちらも同じようにやりがいがある、というものでした。それを聞いて、障害福祉関係者のわたしだから、バリアフリー演劇を評価した答え方をしたのかなと思っていました。でも、バリアフリー演劇を何度も観て、それは、心からの答えだったことがわかりました。  バリアフリー演劇のフィナーレで、演劇の最中に客席から舞台に上がった人たちも役者と一緒に並び、大きな拍手を浴びていました。客席に目を移すと、いっせいに拍手を送っている会場の人たちの表情は、幸せに包まれていました。舞台の上の役者たちは、それを見て、さらに幸せを感じているようでした。「だれひとり取り残さない」という言葉がありますが、それを実現することができたとき、人は心からの歓びを感じるのかもしれません。  「演劇を観るだけでなく、観客も一緒に参加できることで、さまざまな人たちをつなげることができる」、「すべての人が一緒に同じ空間を楽しめ、最後まで釘づけになった」、「また、観にきたい!」。バリアフリー演劇の感想には、観た人の熱い想いがつづられています。バリアフリー演劇がつくり出す空間は、共生社会の入口なのかもしれません。ぜひ、あなたも体験してください。