ミニコラム 第49回 編集委員のひとこと ※今号の「編集委員が行く」(20〜25ページ)は増田委員が執筆しています。ご一読ください。 「障害者雇用」という言葉の危うさ 武庫川女子大学 准教授 増田和高  「障害者雇用」という言葉は、雇用を「障害者のための雇用」と「それ以外の者の雇用」に構造的に分化させてしまう危うさがある。制度としての障害者雇用は必要不可欠である一方で、その枠組みを強調しすぎると、かえって企業側が柔軟に対応しづらくなるようにも感じる。「障害者のための仕事を用意しなければならない」、「特別な配慮が求められる」といった意識が先に立ち、結果として本来のその人らしい働き方を模索する余白が狭まってしまうこともあるだろう。  今回取材した植村牧場でみられたのは、そうした枠組みを超えた実践だった。「障害者を雇用する」という枠組みではなく、「仕事をともにする仲間を雇用する」という姿勢に基づき、顔の見える関係のなかで、「この人にはこれが合う」、「こうすればできそうだ」と自然に役割が形づくられていた。初めから「だれもが働きやすい場をつくろう」という方針があったわけではないが、日々のやり取りのなかで、それぞれの個性に応じた仕事の切り出しやサポートが積み重ねられていった結果、気がつけば多様な人びとがともに働く職場ができあがっていた。そうした現場の蓄積から生まれる雇用のかたちは、制度設計だけでは到達できない豊かさをもっていた。「自分の力が発揮でき、楽しい」と思える仕事のあり方を、障害の有無にかかわらず、職場全体で模索していくことが、結果として「自分の力が発揮できる楽しい仕事」につながるのではないかと思う。  今後は、さまざまな背景をもつ人びとが職場でともに働く時代がやってくる。そうした時代において、特定の属性に対応するのではなく、多様な個人の個性や可能性を起点にした職場づくりを模索していくことが、社会全体として必要とされる視点ではないかと感じた。