エッセイ ITが切り開く、視覚障害者の新しい可能性 第2回 ITが拓くキャリアチェンジの道 〜あるヘルスキーパーの挑戦〜 株式会社ふくろうアシスト 代表取締役 河和 旦 (かわ ただし) 情報アクセシビリティ専門家、AI活用教育コンサルタント。視覚障害と肢体不自由の重複障害がある。東京都立大学卒業後、福祉情報技術コーディネーターとして独立。障害当事者向けのIT指導やサポートを行い、転職や自立につながった実績も多数。共著に『24色のエッセイ』、『本から生まれたエッセイの本』(みらいパブリッシング)がある。 https://fukurou-assist.net  前回は、私自身がITとの出会いで新たな可能性を見出し、起業に至った経験を述べた。ITは、障害によって閉ざされがちな道を切り拓く力を持つ。その信念のもと、私は視覚障害者が新たな挑戦に踏み出すためのサポートを行っている。本稿では、事務職への転職という大きな一歩を踏み出した、ある視覚障害者の事例を取り上げたい。 専門職からの新たな挑戦  30代の先天性視覚障害者であるAさんは、企業内で指圧を行うヘルスキーパーとして安定した職に就いていた。しかし、「ヘルスキーパーだけでなく、別の職能を身につけ、自分の可能性を広げたい」と考え、事務職への挑戦を決意した。  だが、その道には大きな課題があった。日常的にカルテ作成で表計算ソフトを使っていたものの、その操作は自己流に過ぎず、事務職で求められる専門的なスキルを欠いていた。 ITが生み出すビジネス現場での「武器」  当教室では、Aさんに事務職で必要とされる表計算ソフトやワープロソフトのスキルを指導した。  表計算ソフトではデータ集計や分析の基本操作を学び、ワープロソフトでは点字文化と墨字文化の違いを意識しながら、見た目にも配慮したビジネス文書の作成方法を指導した。適切な技術を習得することで、Aさんは視覚障害者であっても晴眼者と遜色ないスキルを身につけることができた。 スキルを実践につなぐ「架け橋」としての助言  スキルを習得しただけで満足してはいけない。スキルは実社会で活かされてこそ意味を持つ。そのため、私はAさんに就労移行支援事業所への通所をすすめた。  この助言が必要だった理由は三つある。第一に、企業で使用される業務アプリケーションの多くは、視覚障害者にとって十分なアクセシビリティを持たない。実際の職場に近い環境で訓練を積むことで、不測の事態に対応する力を養う必要がある。第二に、就労現場ごとに異なる環境に合わせて、最適な画面読み上げソフトを選定することが求められる。  そして第三に、JAWSのような高機能だが高額な画面読み上げソフトを導入する際、企業との交渉が重要である。当事者からの要求は「個人的な要望」と受け取られがちだが、ジョブコーチや就労移行支援事業所の専門家が介在し、客観的に必要性を説明することで、企業側も「業務遂行に不可欠な合理的配慮」として受け入れやすくなる。この交渉術についても具体的に助言を行った。 キャリアは「固定」されるものではない  こうしたプロセスを経て、Aさんは希望していた事務職への転職を果たした。この事例が示すのは、障害者のキャリアは一度決まったら固定されるものではないということだ。本人の意欲、専門的なIT教育、そして支援制度を活用する戦略が結びつけば、職種の壁を乗り越えることが可能となる。  企業の人事労務担当者に伝えたいのは、いまその人がになう役割だけで、その人の可能性を判断しないでほしいということである。適切な支援環境さえあれば、障害者は組織に新たな価値を生み出す存在になり得る。 さらに広がる可能性  AさんはITと社会制度を駆使してキャリアを切り拓いたが、ITの可能性はそれだけにとどまらない。  次回は、教育分野で先進的なツールを活用し、視覚障害者が新たな活躍の場を得た事例を紹介する。