エッセイ ITが切り開く、視覚障害者の新しい可能性 第4回 AIが架けた橋 〜1枚の申込書から始まった小さな革命〜 株式会社ふくろうアシスト 代表取締役 河和 旦 (かわ ただし) 情報アクセシビリティ専門家、AI活用教育コンサルタント。視覚障害と肢体不自由の重複障害がある。東京都立大学卒業後、福祉情報技術コーディネーターとして独立。障害当事者向けのIT指導やサポートを行い、転職や自立につながった実績も多数。共著に『24色のエッセイ』、『本から生まれたエッセイの本』(みらいパブリッシング)がある。https://fukurou-assist.net  今回は、社会の仕組みそのものがつくり出す壁に、AIという新しい道具で立ち向かった夫婦の物語をお伝えしたい。 在宅勤務への道  静岡県のクリニックで働くCさんとDさんは、ともに全盲のマッサージ師だ。30代の夫婦で、いつも前向きで明るい。  「君たちがケアマネジャーの資格を取ったら、在宅勤務を認めよう」  院長の提案に、二人は複雑な思いを抱いた。在宅勤務は長年の願いだ。しかし、ケアマネジャー試験のむずかしさも知っている。希望と不安が入り混じるなか、それでも二人は挑戦を決意した。  ところが、受験申込書は紙だけ。点字版もデータ版もない。上司に代筆を頼むと「ご家族に書いてもらってください」との返事。県庁に相談しても同じ答えが返ってきた。  「私たちだって、自分で申し込みたいんです」  Dさんの声には、悔しさがにじんでいた。妻の実家は重度障害の弟の介護で手一杯。夫の母親は遠方に住んでいる。「家族に頼む」という選択肢はなかった。 あきらめない妻の交渉力  「でも、これも勉強かもしれませんね」落ち込む夫を励ましながら、Dさんは県との交渉を続けた。電話を何度もかけ、メールを送り、ついに申込書の表計算ソフトのデータを入手することに成功した。  「やった! これでなんとかなる」  喜んだのも束の間。表計算ソフトのファイルを開いてみると、複雑な表形式で、画面読み上げソフトでは内容がさっぱりわからない。特に先天盲のDさんには「3行目のB列」といった説明自体が理解できなかった。 AIが「翻訳」してくれた瞬間  そんなとき、私に相談が舞い込んだ。  「まず、この表計算ソフトの表を、お二人が理解できる形に『翻訳』しましょう」  私はAIを使って、視覚的な表を、順番に答えていける質問形式のテキストに変換した。「該当する項目に〇を付ける」という指示は「次の選択肢から選んでください」に。視覚を前提とした書類が、音声で理解できる書類に生まれ変わった。  「これなら私たちでも書ける!」  二人は協力しながら、自分たちの手で申込書を完成させた。それは小さな、でも確かな自立の証だった。 「できない」を「できる」に変える知恵  後日、二人からうれしい報告があった。  「無事に受理されました! 試験、がんばります!」  電話の向こうで、二人の笑い声が聞こえた。あのときの悔しさは、新しい挑戦への原動力に変わっていた。  この経験からみえてくるのは、「配慮」の形が時代とともに進化しているということだ。デジタルデータとAIがあれば、視覚障害者も自分の力で多くのことができる。  大切なのは、その可能性を社会が認め、柔軟に対応することだ。「これまでのやり方」にとらわれず、「新しい方法」を一緒に探す。それが、本当の意味でのバリアフリーではないだろうか。  CさんとDさんの挑戦は、小さな一歩かもしれない。でも、その一歩が、次に続く人たちの道を切り開いている。技術の力と人の意志が合わさったとき、不可能は可能になる。二人の笑顔が、そのことを教えてくれた。  最終回となる次回は、こうしたAI時代の新しい可能性を、社会全体でどう育てていくか。視覚障害者の就労支援にたずさわってきた経験から、その未来図を描いてみたい。