私のひとこと 失語症者との“会話のキャッチボール”を 〜社会参加に向けて〜 NPO法人言語障害者の社会参加を支援するパートナーの会 和音(わおん) 清水美緒子  失語症は後天的な障害です。失語症は脳梗塞や脳出血などの脳血管疾患や、事故による頭部外傷などで大脳の言語中枢が損傷を受けることによって、言語を操る能力に障害が残った状態をいいます。  失語症になると、程度の差はありますが、「聞くこと」、「読むこと」という理解に関する能力、「話すこと」、「書くこと」という表出に関する能力、そして「計算する能力」、「数字を理解し、表出する能力」に障害が生じます。  失語症というと、話せない障害と思われることが多いのですが、理解面、表出面それぞれに困難が生じるのが特徴です。そして現代の情報社会において、言語を操る能力を十分に発揮できないことは大きな痛手となり、本人を孤立させ、社会参加を非常に困難にさせます。  そんな失語症の人とどのように会話をし、意思疎通を図ればよいでしょうか。  会話はよくキャッチボールにたとえられます。ボールを投げるのが苦手な人には、受け取る人が上手に受け取る工夫をしたり、受け取るのが苦手な人には、受け取りやすいボールを投げてあげればキャッチボールは長く続きますね。  会話も同じです。 ・失語症の人が話すときは急(せ)かさず、本人がいうのをじっくり聞く ・ゆっくりと、簡潔に、2〜3文節程度の短い文で伝える ・指示を口頭で伝えるだけではなく、要点を単語や図を用いて簡略に書いて説明する ・数字は非常に間違えやすいので、日付、金額など数字は必ず紙に書いて伝える  このような配慮で、会話は進みやすくなります。  失語症の人の努力も必要ですが、相手の配慮や工夫により会話が行いやすくなる。これがすなわち言葉のバリアフリーの考え方です。  NPO法人和音ではこのような考え方に基づき、失語症の人と上手にコミュニケーションが取れる人材を育成してきましたが、これは、職場における失語症者との意思疎通にもあてはまります。  失語症の人はうまく話せない、理解できないことに負い目を感じています。みなさんが時間をかけてでも意思疎通を図ろうと歩み寄る姿勢を示すことが、大きな支えとなります。  発症する前と同じように働くのがむずかしいのは事実です。でも、失語症になっても記憶や社会性、礼節、その人らしさは変わりません。それまでの人生でつちかわれた知識や経験は本人のなかに残されています。失語症の人に残された言語能力、そしてそれ以外の保たれた能力を活かして働ける場はきっとあるはずです。  とはいえ、働ける場をみつけるのは簡単ではありません。脳卒中全般の復職率が45%(※1)なのに対し、失語症者の就業年齢における職業復帰率は10%以下(※2)といわれます。その理由はいくつかありますが、一つは職場では意思疎通・情報共有の正確さが求められるので、これが失語症の人だけの努力では対応しきれず、大きな壁となります。  また、失語症は身体障害者手帳の対象となりますが、等級が3級あるいは4級にかぎられます。軽度の失語症の人は手帳取得もかないません。障害者枠の雇用に該当しないので、就職がさらに困難になっています。身体障害者手帳にコミュニケーションの重要さが十分に反映されていないゆえに、公的な支援、経済的な支援を得にくいのです。  そして、それぞれの個人の示す「失語症」の症状が千差万別で、だれにでも適応できるフォーマット化された支援体制プログラムが存在しない、というのも理由にあげられます。失語症といっても症状は人それぞれで、失語症の人ならこれはできますと簡単に説明はできません。  雇用主側からは「リハビリで治してから会社に戻ってください」といわれることがあります。でも、脳に損傷があるので治してからというのはむずかしいのです。失語症は年単位で回復するといわれますが、完治は困難です。ですから、完治できなくても現在の能力を最大限発揮して行える仕事があるのではないか、できなくなった能力の代わりに何かしらの代償手段を用いたり、工夫をすることでこなせる仕事があるのではないか、雇用主のみなさんに考えていただきたいと思います。 本人の努力と周囲の理解と配慮という相互の歩み寄りが会話のキャッチボールを成立させ、就労への道につながります。みなさんにはその可能性を、失語症の人と一緒に探っていただきたいのです。  例えば、Aさんという失語症の人は言葉の思い浮かびにくさがあり、自分の考えをすらすらと話すことはできません。そのため会議で人前に立ち、業績報告を行うことはできないのですが、病前からの記憶や知識は保たれているので、売上げをみて会社の業績を判断することで会社に貢献しています。  Bさんは話したり、聞いたりすることはおおむね問題ありません。文章を読むこともできますが、文字を思い浮かべられず書くことができません。パソコンのキーボードも打てません。ですが、パソコンの音声入力機能を用いて基本となる文章を入力し、校正機能を用いて文章を作成し仕事を行っています。  簡単ではありませんが、右記のような働き方は失語症の人の努力と雇用主側の歩み寄りにより、可能となった例です。  失語症の人たちからは、責任を持って働くことで、さらに新しい仕事の可能性も広がり、言語の能力やコミュニケーション能力も向上したとの声が上がっています。  とはいえ、どのような配慮と工夫があれば復職できるのか、雇用主側と失語症の人だけで考えるのはむずかしいことです。その場合、リハビリテーション病院や地域障害者職業センター、就労移行支援事業所等を利用するとよいでしょう。その人の失語症状を評価し、できること、できないことを具体的にあげて雇用主側にもアドバイスしてくれます。就労後も職場適応援助者(ジョブコーチ)による支援事業を利用し、実際の仕事のなかで支援やアドバイスをしてもらうのもよいでしょう。  言葉のバリアフリーという考えが世の中に広まり、失語症の人の活躍の場が広がることを願ってやみません。 ※1 杉本香苗,佐伯覚:脳卒中の職業復帰−予後予測の観点から−.Jpn J Rehabil Med 55: 858-864, 2018 ※2 種村純,総説 言語コミュニケーション障害者への医療福祉,川崎医療福祉学会誌 増刊,409-417, 2012 清水 美緒子 (しみず みおこ)  言語聴覚士として、リハビリテーション病院にて回復期病棟での言語聴覚療法や訪問リハビリテーションに従事。NPO法人言語障害者の社会参加を支援するパートナーの会和音の理事として、失語症サロンの開催や失語症会話パートナーの養成、働く失語症当事者グループの集会など失語症の人の社会参加を支援する活動を行っている。また一般社団法人千葉県言語聴覚士会作業部会に所属し、失語症者向け意思疎通支援者を養成する研修の運営にかかわっている。