江戸時代にもあった 「仕事と介護の両立問題」 〜目からウロコの高齢者介護史〜 文化・福祉ジャーナリスト �ア井(さきい)将之(まさゆき) 最終回 近代以前に重視されていた「互助(ごじょ)」による高齢者支援 −現代の日本社会で失われていった支援の形− 律令(りつりょう)制度と現代の介護制度の違い  前回は古代に制定された律令制度において、80歳以上の高齢者には「侍(じ)」と呼ばれる世話をする人を付けるべし、との規定があったことをご紹介しました。そんな大昔の制度に、現代でいうホームヘルパー(訪問介護員)のような考え方が盛り込まれていたことには本当に驚かされますが、ただこの「侍」のあり方は、現代の介護保険サービスにおけるホームヘルパーとはあり方が大きく異なります。  この点を明確にするために、「高齢者介護のような家庭・個人の生活課題やリスクをだれが助けるのか」に関する四つのパターンについて少し触れておきましょう。その四つとは「自助(じじょ)」、「互助」、「共助(きょうじょ)」、「公助(こうじょ)」です。自助とはその名の通り自分で自分を助けるという意味ですが、そこには家族・親族も含まれます。ですから、自分の親を介護する老親(ろうしん)介護は、自助の典型例といえますね。互助とはご近所や地域コミュニティ、ボランティアによる助けのこと、共助は同じ生活課題・リスクを抱える人同士で助け合うもので、保険の仕組みが該当します。そして公助は、国や自治体が税金を使って直接支援する公共福祉サービスのことです。  この区分でいうと、律令制度はどのように分類できるでしょうか。そこで定められているホームヘルパー(≒侍)の場合、「侍」には子や孫などを優先的にあてがうものとし、身寄りがない場合は外部の人をあてがってよい、とされていました。ここでの「外部」とは、人の動きが少ない当時のことですので、基本的には近くに住んでいるご近所さん、ということになるでしょう。つまり律令制度の介護制度とは、「自助と互助をしっかりやりなさい」という内容の取決めであるといえます。一方、現代の介護保険サービスのホームヘルパーの場合、家族やご近所さんでもない見知らぬ人が対価をもらって介護を提供し、その対価には国民が支払う介護保険料と税金とがあてられるという仕組みです。いわば共助と公助が土台となっている支援の仕組みですので、律令制度のあり方とは大きな違いがあるわけです。  律令制度が規定されたころ、保険や公共福祉サービスという考え方はほぼ皆無でしたから、高齢者・老親を支えるとなると基本は自助であり、自助で対応しきれない場合は互助(地域・ご近所の助け)とならざるを得ない面があったでしょう。 日本の高齢者介護における互助の精神  ところでこの互助に関してですが、2026(令和8)年6月に発表された、内閣府の『令和8年版高齢社会白書』に興味深いデータが掲載されています。日本、アメリカ、ドイツ、スウェーデンの60歳以上を対象としたアンケート調査結果によると、「近所の人との付き合いがありますか」との質問にはどの国も8割以上の割合で「ある」と答えているのですが、「(ご近所の人と)病気のときに助け合う」はアメリカが22.8%、ドイツが34.3%、スウェーデンが10.4%であるのに対し、日本は3.9%にとどまっています。日本はかなり低めの割合です。福祉大国であるスウェーデンも低めであることから、老病(ろうびょう)の際は国家による支援が充実しているので、ご近所による支援は必要ない、という見方もできるでしょう。しかし日本は、そのスウェーデンよりもさらに低い割合にとどまっています。  先ほどの律令制度では、互助の促進も一部含むような内容ではありましたが……老病に対してご近所同士で助け合うという点において、互助の精神は日本社会のなかでそれほど醸成されてこなかったのでしょうか?  結論からいいますと……まったく違います。  確かに、特に中世期は武士同士の争いが激しくなり、高齢者支援への意識が高まりにくい時期も長く続きました。しかし一方で、大地主・領主層などの富裕層(ふゆうそう)が、高齢者を含む支援を必要とする人を地域内で助けていたのではないか、との見解を示す歴史研究者もいます。  そして大きく状況が変わったのが江戸時代で、そのきっかけの一つとなったのが、当時定められていた五人組(ごにんぐみ)の制度です。  五人組とはご近所同士の五世帯の家々が一つのグループを作る制度のことで、その原型は律令制度の五保(ごほ)の制(せい)にあります。それを復活させたのが現在放送中の大河(たいが)ドラマの主人公としても注目を集めている豊臣(とよとみ)秀吉(ひでよし)です。彼の政権が治安維持、年貢(ねんぐ)納入の連帯責任を負わせることを目的として導入し、それを徳川幕府が受け継いで、「五人組」の制度として確立させていったのです。  幕府が導入した五人組は、年貢をきちんと収めているか、キリシタンになっていないかなどを相互監視させるのがその制度としての当初の目的でした。しかし何かにつけてものごとを成熟させるのが得意な日本人は、どんどんその内容を変貌させ、五人組を「お互いに助け合うグループ」として位置づけるようになっていきます。その助け合いの内容には、冠婚葬祭(かんこんそうさい)や災害時の対応など多岐にわたりますが、そのなかには病気の際の助け合いも含まれていました。そしてここでいう病気の際の助け合いには、要介護状態の原因ともなる各種老病が含まれていると考えてよいでしょう。こうした五人組における助け合い=互助の精神は、江戸時代の中ごろになると幕府の側も率先して推奨するようになり、当時の幕府高官・蓑笠之介(みのかさのすけ)が農家の心得を記した『農家慣行(のうかかんこう)』にその点が明記されています。  この五人組の制度は明治維新を境に失われ、そし て第二次世界大戦を経て社会・価値観の急速な変貌、経済成長が進むなか、地域コミュニティそのものが次第に姿を薄めていきました。現在日本では、自助、互助、共助、公助を一体的に地域内で取り組もうとする「地域包括ケアシステム」の構築に向けて国をあげて取り組みつつあります。この理念や考え方は、日本が世界に誇れるような最先端の高齢者福祉であるといえますが、こと互助の部分に関しては、先のアンケート結果を見るかぎり、日本にはまだまだ取り組むべき課題、改善の余地があるようにも感じられます。  しかしこれまで触れてきた通り、もともと日本人には、高齢者介護における互助の精神はしっかりと醸成されていました。もちろん五人組のようなものを現代社会に再現することはできませんけれど、江戸時代当時の日本人が持っていたご近所を大切にする気持ち、ご近所に病気の人がいればつねに気にかけようとする精神は、現代の日本人が参考にできる部分も多いのではないでしょうか。少子高齢化が急速に進む現代社会の場合、地域内のお年寄り同士で助け合う文化・価値観がもっと醸成されれば、若い世代の負担が減り、ひいては介護離職の予防にもつながるのでは……とも思われるのですが、この点どうでしょう(お元気なお年寄りが、支援を必要とするお年寄りを支えるような)。  ……と最後に駆け足で問いを投げかける形となりましたが、今回にてこの連載は終了です。半年間のご愛読、まことにありがとうございました。 【参考資料】 ・�ア井将之 著『武士の介護休暇―日本は老いと介護にどう向き合ってきたか―』(河出書房新社)2024年 ・内閣府『令和8年版高齢社会白書』(55〜56頁)2026年 https://www8.cao.go.jp/kourei/whitepaper/w-2026/zenbun/pdf/1s3s_03.pdf