立川(たてかわ)談慶(だんけい)の人生100年時代の歩き方 第6回 「笠碁(かさご)」から学ぶ「敏感な場面でのエチケット」  「囲碁」を学んでいます。プロ棋士の藤澤(ふじさわ)一就(かずなり)さんと懇意にさせていただいていまして、囲碁の初歩から教えていただいていますが、いやあ、深いのなんの。碁の世界では、「碁盤が宇宙で碁石が星」なんですって。  そして何より自分が深く共鳴したのは、「相手を囲う」ところに真意があるという点です。完膚なきまでに勝つというのではなく、平和的に相手を無力化させてしまうなんて、勝ち負けという「二元論」を超えたところに本当の世界があるのではと、その魅力をいま感じているのです。  そんな碁を取り扱った落語に「笠碁」があります。  仲のよいご隠居同士が、「待った」を巡った些細なことから喧嘩になってしまいます。しばらく雨が続き、やがてお互い「すまないことをしたなあ」と思うようになり、一方のご隠居がお相手のところに笠をかぶって様子を見に行きます。するともう片方のご隠居も、相手が気になるようで碁盤を出しておびき寄せるようにふる舞います。とうとう仲直りして、再び碁盤を囲むのですが、碁盤に水が垂れてきていることに気がつきます。相方は笠をかぶったまんまだったのです。オチは、「お前さん、笠かぶりっぱなしじゃないか」。  「友だちっていくつになってもいいなあ」としみじみ笑える名作です。季節は梅雨時でしょうか。  さて私、この「雨の雫」は、「じつは友人の涙だった」のではと想像しています。つまり、友だちが「申し訳なくて泣いていたのを、相手側が気づかないフリをして笠からの雫のせいにしている」という構図です。友だちって、なくしたときにその大切さに気づくものではないでしょうか。喧嘩別れも死別も、です。  「泣く」ことは人生においてとてもセンシティブな場面です。涙ではなく、笠からの雫のせいにしてあげることで、泣いている相手の心的負担はとても楽になるはずですもの。  具体的には、いまの世なら、だれかが目の前で泣くような場面に接したら、携帯電話が鳴ったフリをしてそこから去るみたいなふる舞いでしょうか。  「笠碁」、短いけど深い一席です。