江戸時代にもあった 「仕事と介護の両立問題」 〜目からウロコの高齢者介護史〜 第4回 江戸時代以前、高齢者が要介護状態になった原因とは ―現代と江戸時代を比べてみたら― 文化・福祉ジャーナリスト ア井(さきい)将之(まさゆき) 現代の要介護となる原因は認知症や脳卒中  これまで、武士が介護休業を取得していたこと、そして武士・庶民を問わず、男性が積極的に老親介護に取り組んでいたことなど、介護をする側の立場から江戸時代の介護事情について見てきました。そこで今回は視点を変えて、介護を受ける側、江戸時代以前の要介護状態について取り上げてみたいと思います。  ではまず、昔と今とを比べるためにも、現代において要介護状態になる原因を見ておきましょう。2026(令和8)年現在の日本の介護保険制度では、高齢者が病気やケガによりどのくらいの介護が必要となったかを識別するための「要介護度」という基準が設けられています。「要支援1〜2」、「要介護1〜5」という七段階に分けられていて、要支援1がもっとも軽度で、要介護5が日常生活のほぼすべてで介護が必要でほぼ寝たきりの状態です。そして介護する側の負担が大きくなるのは通常「要介護3以上」といわれており、公的介護施設である特別養護老人ホームも、入居基準は原則として要介護3以上と定められています。もし老親が要介護3以上の要介護度になった場合、介護する側の子どもとしては「介護をどうするか」の問題が深刻化し、介護離職するかどうか、といったことも現実味を帯びてくるわけです。  厚生労働省が毎年実施・公表している『国民生活基礎調査(2025年版)』によると、「要介護3以上」の高齢者が要介護状態になった原因の一位は、要介護3と4ではどちらも「認知症」が最多で、要介護3では全体の23.3%、要介護4では全体の21.6%を占めていました。一方、ほぼ寝たきり状態に近い要介護5の場合、原因の一位は「脳血管疾患(脳卒中)」で全体の27.6%となっています。  そして要介護となる原因として二番目に多かったのは、要介護3と4はどちらも「脳血管疾患(脳卒中)」で、要介護3では全体の18.8%、要介護4では15.2%でした。要介護5の原因の二番目は「認知症」の23.8%です。  まとめますと、介護負担が大きい要介護3以上の原因疾患として特に大きいのは「認知症」と「脳血管疾患(脳卒中)」の二つといえそうです。この二つの疾患で要介護3と4は約四割、要介護5では過半数に達しています。ちなみに要介護になる原因で三番目に多かったのは要介護3と4は「骨折・転倒」、要介護5は「高齢による衰弱」でした。 江戸時代に要介護となる要因は?  江戸時代には当時の国民全体を対象とするような調査はさすがに行われてはいませんが、それに近いデータはあります。それは前回も取り上げた『孝義録(こうぎろく)』の表彰事例を探るという方法です。少しおさらいしておきますと、『孝義録』とは幕府・藩が領内の「善行者」を身分に関係なく表彰するという制度・慣習で、その善行のなかには「孝行」も含まれ、老親への介護行為も対象となっていました。そんな『孝義録』の一つである仙台藩が編纂(へんさん)した『仙台孝義録』では、庶民500件、武士64件の計564件の表彰記録が残され、そのうち親等への扶養・介護が行われている事例は418件にも上っています。  『孝義録』では、項目や数字が羅列されているだけではなく、なぜ表彰されたのかの内容も事例として細かく記述されています。それを見ることで、どんな病気・疾患の者をどのようにケアしたのかの把握も可能です。では、『仙台孝義録』においては、要介護者の疾病・障害の種類として最多だったのは……なんだと思われますか?  もしかしたらピンときた人もいるかもしれませんが、「目の病気」です。418件中、「盲目・失明」は50件、「眼病」が15件を占めて最多でした。江戸時代当時、現代であれば眼科ですぐに治療できる白内障(はくないしょう)への有効な治療法がなく、それで目が不自由になるケースが多かったようです。一応、目に鍼(はり)を刺すという施術法での対応もされてはいたものの、費用がかかるうえに施術しても確実に治るというわけでもなく、簡単に完治できる現代とは状況が大きく違っていました。幕府が全国各地の善行者の記録を集めて編纂した『官刻孝義録』にも、親が失明してそれをケアする子どもが孝行者として表彰されているケースは多く記録されています。  続いて二番目に要介護になる原因として多かったのは、「中風(ちゅうぶ)」の49件でした。中風とは現代でいう脳血管疾患(脳卒中)のことです。現在であれば手術により完治が期待できるような症例であっても、当時は命にかかわったり、麻痺(まひ)が後遺症として残ったりしやすかったと考えられます。『官刻孝義録』でも親が中風で倒れたという事例は多く、その一例として、中風で倒れた母親を、「郷横目(ごうよこめ)」という役人としての仕事や農事で忙しいなかでも懸命に介護して表彰された「越後国(えちごのくに)・七郎右衛門(しちろううえもん)」の記録などがあります。  江戸期の要介護状態になる要因として目の病気、中風とみてきましたが、現代で原因の最上位に位置していた認知症はどうなのかというと……じつはランク外です。というのも、当時は認知症のことは「呆(ぼ)け」、「耄(もう)」などといわれ、何か特別な原因疾病があるとは考えず、「老いればだれでも起こること」のような一般的な症状として扱われる面があったようです。ですので、認知症の症状のみが出ている老親をケアしている場合だと、表彰対象者として認識されるケースが少なかったとも考えられます。  ただ、認知症と思われる症状の記録は残っており、『官刻孝義録』でもそれらしき症状が出ている老親介護のケースがみられるほか、江戸期の随筆を集めた『随筆百花苑(ずいひつひゃっかえん)』には、次のような記載があります。  追ヽ老毛(おいおいろうもう)して、…朝飯をあがりてすぐさま飯をくわせよといふ。ハイといふて膳を出ス。食仕舞少し過て又飯をくハせよといふ。  (しだいに老いほうけて、……朝食の後すぐに「飯をくわせろ」という。「ハイ」といって膳を出す。食べて膳を片付けるとまた「飯をくわせろ」という。)  現代でも、「何を食べたのかを忘れる」のは物忘れ、「食べたこと自体を忘れる」のは認知症とよくいわれますが、これはまさに典型的な認知症の症状といえます。ほかにも江戸時代の儒学者・新井白石(はくせき)が、彼の父親から認知症について詳しく教えてもらったことを書き残しているなど、認知症の痕跡のようなものは当時の史料から多く散見できます。まとまったデータはないものの、認知症の発症者は江戸時代から相当数いたようです。 【参考資料】 ・ア井将之 著『武士の介護休暇―日本は老いと介護にどう向き合ってきたか―』(河出書房新社)2024年 ・柳谷慶子 著『近世の女性相続と介護』(吉川弘文館)2007年 ・厚生労働省「2025(令和7)年 国民生活基礎調査の概況」