AIと歩む人生100年時代 第一ライフ資産運用研究所 政策調査部 主席研究員 柏村(かしわむら)祐(たすく)  生成AIの登場により、ビジネスシーンにおいてもAI利用が本格化し、今後の仕事や働き方に大きな変化をもたらすことが期待されます。一方で、少子高齢化が進むわが国においては、シニア人材の活用がますます重要な経営課題となっており、AIの活用により業務負荷の軽減やスキルの補完などが実現できれば、これまでとは異なる形でシニア人材の価値が発揮されるといった変化も期待できます。本企画では、AIが職場や仕事、働き方に与える影響とともに、AI社会だからこそ高まるシニア人材の価値やその活用戦略について展望します。 第2回 AIはシニア人材の働き方をどう支えるか ―業務効率化・負荷軽減・安全と健康の新しい可能性― 人生100年時代の職場に求められる新しい視点  人生100年時代という言葉が広く使われるようになり、働く期間も長期化しています。かつては、60歳定年を迎えた後は「余生」として静かに過ごすという考え方が一般的でした。しかし現在では、60代、70代になっても働き続けることは珍しくありません。内閣府の『高齢社会白書』でも、65歳以上の労働力人口の比率は上昇傾向にあると整理されており、高齢期の就業は一部の例外ではなく、社会全体で前提とすべき現実になりつつあります。企業にとっても、シニア人材の活躍は人手不足への対応にとどまらず、現場力の維持、知識や技能の継承、顧客との信頼関係の維持という点で重要な経営課題になっています。一方で、年齢を重ねれば、体力、視力、聴力、記憶力、集中力などに変化が生じます。もちろん個人差は大きく、年齢だけで一律に判断することはできません。ただし、働き続ける期間が長くなるほど、企業は「同じ仕事を同じやり方で同じ負荷のまま続けてもらう」という発想から転換する必要があります。これから求められるのは、シニア人材の経験や判断力を活かしながら、身体的・認知的な負担を軽くし、安全に働ける職場をつくることです。  そこで注目されるのがAIの活用です。AIというと、「人の仕事を奪う技術」、「若い世代が使うむずかしい技術」と受けとめられがちです。しかし、シニア人材の活躍という観点から見ると、AIはむしろ、人の力を補い、経験を発揮しやすくする支援技術です。文章作成、情報整理、翻訳、音声入力、作業支援、体調管理、リスク予測など、AIがになえる領域は広がっています。うまく活用すれば、シニア人材が「もう年齢的にむずかしい」と感じていた仕事のハードルを下げ、より長く、より安心して働き続けることを支えることができます。 AIは「代替」ではなく「補完」の技術である  AI導入を考える際に大切なのは、AIを人の代わりに置くのではなく、「人の能力を補うもの」として位置づけることです。特にシニア人材の活用では、この考え方が重要です。シニア人材の強みは、単に長く働いてきたことではありません。過去の成功と失敗を知っていること、顧客や取引先との関係を理解していること、現場で起きる微妙な変化を感じ取れること、若手に助言できることにあります。こうした経験知や判断力は、AIだけで簡単に代替できるものではありません。一方で、報告書の下書き、メール文案の作成、会議記録の整理、社内規程の確認、問合せ内容の分類、翻訳、要約といった作業は、AIが得意とする領域です。これらの作業に時間を取られていると、経験豊富な人材であっても、本来の強みを発揮する時間が削られてしまいます。AIに下調べや下書き、整理を任せ、人が確認し、判断し、相手に合わせて修正する。この役割分担こそが、シニア人材の価値を引き出すAI活用の基本です(図表1)。  このように整理すると、AIは「人の仕事を奪う技術」ではなく、「人が強みを発揮しやすくする技術」ととらえることができます。 業務効率化/文章・記録・確認作業の負担を軽くする  職場でもっとも導入しやすいAI活用は、文章や情報整理にかかわる業務です。例えば、報告書のたたき台をつくる、会議メモを要約する、メールの返信案をつくる、社内マニュアルから必要な情報を探す、長い資料の要点を整理する、といった使い方です。これらは多くの職場で日常的に発生する業務です。しかし、ゼロから文章を書いたり、大量の資料を読み込んだりする作業は、時間がかかるだけでなく、疲労もともないます。特に視力が低下してくると、細かな文字を長時間読むことは大きな負担になります。AIによる要約、読み上げ、音声入力を組み合わせれば、こうした負担を軽減できます。例えば、営業や顧客対応の現場では、過去の対応履歴をAIに整理させることで、担当者は顧客の状況を短時間で把握できます。人事・労務部門では、社内規程や制度に関する問合せに対し、AIが関連する規程の候補を示すことで、確認作業を効率化できます。管理部門では、会議の録音から議事メモの案を作成し、人が内容を確認することで、記録作成の負担を減らせます。  ここで重要なのは、AIが作成したものをそのまま使わないことです。AIはもっともらしい文章をつくることができますが、内容がつねに正しいとはかぎりません。特に労務、法務、安全衛生、個人情報にかかわる事項では、人による確認が不可欠です。AIに任せるのは「下書き」と「整理」であり、最終判断は人が行う。この原則を明確にしておくことが、安心してAIを活用する前提になります。 負荷軽減/身体的・認知的な負担を補う  シニア人材の働き方を考えるうえでは、業務量だけでなく、身体的・認知的な負担にも目を向ける必要があります。AIは、こうした負担を補う道具としても活用できます。身体的な負担の軽減では、作業手順の表示、音声による案内、危険箇所の通知、移動ルートの最適化などが考えられます。工場、倉庫、店舗、介護、警備、設備管理などの現場では、立ち仕事、移動、重量物の取扱い、温度環境などが負担になります。AIとセンサーを組み合わせれば、作業者の動きや環境変化を把握し、転倒や熱中症、過度な疲労につながる兆候を早めにとらえることができます(図表2)。  認知的な負担の軽減も重要です。年齢を重ねると、複数の作業を同時に処理することや、細かい手順を記憶して対応することが負担になる場合があります。AIによるリマインド、チェックリスト作成、作業手順の提示、入力補助は、こうした負担を和らげます。例えば、設備点検の現場で、タブレットやスマートフォンに点検手順を表示し、音声で確認しながら作業できれば、記憶に頼る部分を減らせます。また、ミスの防止にもつながります。  ただし、負荷軽減を目的とするAI活用は、従業員を監視する仕組みと受けとめられないよう注意が必要です。作業データや健康データを扱う場合には、何のために使うのか、だれが見るのか、どこまで記録するのかを明確にしなければなりません。AI活用の目的は、働く人を管理し、締めつけることではなく、無理を早めに察知し、安全に働き続けられる環境を整えることです。 安全と健康/労働災害の予防と健康経営○R(★)  シニア人材の活躍を支えるには、安全と健康を守る仕組みが欠かせません。シニア人材は、若年層と比べて転倒や墜落・転落、腰痛などの影響が大きくなりやすく、いったん労働災害が起きると休業が長期化しやすい傾向があります。企業にとっても、労働災害の予防は安全衛生上の課題であると同時に、人材確保や職場の信頼にかかわる経営課題です。AIは、労働災害の予防にも活用できます。例えば、過去のヒヤリハット情報、事故記録、作業時間、気温、湿度、作業場所、勤務シフトなどを分析すれば、事故が起きやすい作業や時間帯を把握しやすくなります。夏場の屋外作業や倉庫作業では、気象データや作業負荷を組み合わせて、熱中症リスクを早めに知らせる仕組みも考えられます。カメラやセンサーを用いて、危険区域への接近や不自然な姿勢を検知することも可能です。健康経営の観点からは、AIを活用した体調管理も重要になります。睡眠、歩数、心拍、疲労感、勤務状況などのデータを本人が確認し、自分の体調変化に気づくことができれば、無理をする前に休息や相談につなげられます。企業側も、個人を特定しない形で職場全体の傾向を把握できれば、勤務シフト、休憩、作業配置、職場環境の改善に役立てることができます。  もっとも、健康情報はきわめて慎重に扱うべき情報です。本人の同意なく収集したり、人事評価や配置判断に安易に使ったりすれば、従業員の不信感を招きます。AIによる健康管理は、企業が従業員を一方的に管理するための仕組みではありません。本人の健康を守り、職場全体の安全性を高めるための支援として設計することが必要です。 AI時代に高まるシニア人材の価値  AIが普及すると、情報検索、翻訳、要約、資料作成などの作業はこれまでより簡単になります。そうなると、単に情報を多く知っていることだけでは、仕事上の差別化がむずかしくなるかもしれません。一方で、現場での経験、顧客や同僚との信頼関係、状況判断、若手への助言、トラブル時の対応力といった人間ならではの価値は、むしろ重要になります。シニア人材には、長年の経験を通じてつちかわれた「勘どころ」があります。顧客の表情や言葉のわずかな変化から本音を読み取る力、過去の失敗から危険な兆候を察知する力、若手がつまずきやすい点を先回りして教える力などです。AIはこうした力を直接持っているわけではありません。しかし、情報整理や定型作業をAIに任せることで、シニア人材が人との対話や判断、育成に使える時間を増やすことができます。  つまり、AI時代のシニア人材活用とは、年齢を理由に仕事を狭めることではありません。経験が活きる仕事へ業務を再設計し、その周辺にある負担の大きい作業をAIで支えることです。AIによって「できないこと」を補い、「できること」、「得意なこと」に集中できる環境を整えることが、これからの職場づくりに求められます。 導入のポイントは小さく始め、現場で育てること  AI活用を進める際には、大がかりなシステム導入から始める必要はありません。むしろ、最初は小さく始めることが大切です。例えば、会議メモの要約、メール文案の作成、社内FAQの整理、作業手順書をわかりやすく書き換えるなど、効果が見えやすく、リスクが比較的小さい業務から始めるとよいでしょう。  その際、シニア人材を「教えられる側」と決めつけないことも重要です。AIの操作に慣れるまでの支援は必要ですが、業務のどこに負担があり、どの作業をAIで補えばよいかをもっともよく知っているのは、実際に現場で働いている人です。シニア人材自身が、AI活用の設計に参加することで、現場に合った使い方が生まれます。  また、AI活用にはルールも必要です。個人情報や機密情報を安易に入力しないこと、AIの回答を必ず確認すること、重要な判断は人が行うこと、健康データは本人の同意と明確な目的のもとで扱うことなど、基本的な原則を職場で共有しておく必要があります。  AIは便利な道具ですが、使い方を誤れば、誤情報、情報漏えい、過度な監視といった問題につながります。だからこそ、効率化と安全性、利便性と信頼性のバランスを取ることが欠かせません。 人が長く活躍できる職場をつくるために  AI活用の目的は、単なる効率化ではありません。人生100年時代において、年齢にともなう変化を前提にしながら、一人ひとりが経験や能力を活かして働き続けられる職場をつくることにあります。シニア人材にとってAIは、むずかしい技術でも、冷たい機械でもありません。文章作成を助け、情報を整理し、作業手順を示し、体調変化に気づかせ、危険を予測し、経験をより活かしやすくする実務上の道具です。AIをうまく使えば、「年齢のためにできなくなる仕事」を減らし、「年齢を重ねたからこそ価値を発揮できる仕事」に集中しやすくなります。  企業に求められるのは、AIを導入すること自体ではありません。AIを使って業務をどう見直すか、負荷をどう減らすか、安全に働ける環境をどう整えるかです。シニア人材の経験とAIの支援を組み合わせることができれば、企業は人手不足に対応するだけでなく、世代を超えて知識が受け継がれる、より強い職場をつくることができます。AIは、人生100年時代の職場において、人を置き換える存在ではありません。人が年齢を重ねても能力を発揮し続けられる環境を支える、新たな社会基盤なのです。 ★「健康経営○R」は、NPO法人健康経営研究会の登録商標です。 図表1 AIがシニア人材の働き方を支える三つの領域 領域 AIが支援できること シニア人材が発揮しやすくなる力 業務効率化 文書作成、要約、翻訳、議事録、検索、問合せ分類 判断力、対人対応力、顧客理解 負荷軽減 音声入力、読み上げ、リマインド、チェックリスト作成、作業手順支援 経験知、確認力、若手への助言 安全と健康 転倒・疲労・熱中症リスクの把握、体調変化の早期検知 安全な就労継続、無理のない働き方 出典:筆者作成 図表2 職種・業務別に見たAI活用の例 職種・業務 想定される負担 AI活用の例 期待される効果 事務・管理部門 文書作成、資料確認、会議記録 文章案作成、要約、議事録作成、社内規程検索 作業時間短縮、確認負担の軽減 営業・顧客対応 顧客情報の把握、メール対応、問合せ整理 対応履歴の要約、返信案作成、問合せ分類 顧客対応の質向上、経験の活用 製造・設備管理 点検手順の確認、危険箇所の把握 作業手順表示、異常検知、音声案内 ミス防止、安全性向上 店舗・サービス 接客、在庫確認、クレーム対応 接客支援、FAQ検索、需要予測 接客負担軽減、判断支援 介護・福祉 記録作成、見守り、身体的負担 介護記録支援、見守りセンサー、転倒検知 記録負担軽減、事故予防 人事・労務 相談対応、制度説明、健康管理 FAQ 対応、面談記録整理、体調変化の把握 対応品質の平準化、早期支援 出典:筆者作成