立川(たてかわ)談慶(だんけい)の人生100年時代の歩き方 第8回 「抜け雀」から学ぶ「やせ我慢」の大切さ  還暦を超えてここまで来てしみじみと感じるのが、「世の中で一番大切なことはやせ我慢では?」ということです。落語家の話ですから無責任きわまりますが、「しょうがねえなあ」ということでやり過ごすことがどれほど大切なのかと日々思うばかりで、「しょうがねえなあ」といいながら「やせ我慢」することが、じつはでき得る最大の社会貢献ではとすら信じているのです。  「抜け雀」という落語があります。「貧乏旅籠(はたご)に宿泊した一文無しの絵描きが、宿賃の代わりに置いていった『雀の絵』が、抜け出して餌をついばむと評判になり、一気に人気店になります。その後その父親がその旅籠を訪れ、『この絵には抜かりがある。鳥かごが描かれていない』といって新たに絵を描き添えてゆきます。そして最初に雀の絵を描いた絵描きが訪れ、その鳥かごを描いてくれたのは父親だったと打ち明ける」という話です。  父と息子が織り成す人情噺(にんじょうばなし)で、先日も「父の日」での落語会で口演させていただきました。終演後、主催者と飲みながら話し、ふと気がついたのが、「この噺、旅籠の主が最初の絵描きを無銭飲食で訴えてしまっていたら終わりではないか」ということです。  たしかにその通りです。  この落語、旅籠の主がおっちょこちょいで「しょうがねえなあ」と渋々承諾してしまうところからすべてが始まります。そこで「やせ我慢」して「ま、いっか」的にやり過ごす「鈍感な優しさ」がのちに奇跡をもたらしたのではと、考えられませんでしょうか。  「娘が自分の父親を助けるためにつくった大金」を、父親が見ず知らずの若者の命を救うためにあげてしまう「文七元結(ぶんしちもっとい)」も「やせ我慢」が幸せを招く噺でもあります。中島(なかじま)岳志(たけし)さんはこれを「利他」の概念で分析していますが、まさに「利他」こそ「やせ我慢」そのものであります。我慢は長続きできない「短期的発想」ですが、やせ我慢は「長期的発想」ともいえましょう。  大金ではなく小銭の募金、私はここから「やせ我慢」して続けてみようかと思っています。必ず自分に返ってくるはずです。