江戸時代にもあった 「仕事と介護の両立問題」 〜目からウロコの高齢者介護史〜 文化・福祉ジャーナリスト �ア井(さきい)将之(まさゆき) 第5回 律令制度にも高齢者介護の規定が!? −古代・中世期の介護の実状とは− 古代・中世期にそもそも高齢者はいた!?  前回までは、もっぱら江戸時代の高齢者の介護状況について触れてきましたが、それ以前の時代はどうだったのでしょうか。一般的な時代区分でいえば江戸時代は近世とされますので、この場合、「古代・中世期における高齢者介護の実状とは?」という問いになります。今回は仕事と介護の両立というテーマから少し逸(そ)れる形にはなるものの、介護の歴史についての知見を広めていただくことを目的として、古代〜中世のころの介護について取り上げたいと思います。  ところで、古代や中世というはるか昔の高齢者介護について考える場合、ひとつシンプルな問題意識が生じるのではないかと思います。それは「そんな大昔に、高齢者なんていたのか」という問いです。前回までは江戸時代の介護について取り上げましたが、人によっては「江戸時代でも、高齢になる前にみんな若くして亡くなったのでは」と思っていたかもしれませんね。  江戸時代の場合、当時の平均寿命については、藩(はん)単位で作成されていた宗門人別改帳(しゅうもんにんべつあらためちょう)などを通して地域単位での把握が可能なケースがあります。その場合、各地域の傾向ではおおむね30代後半が平均寿命になるようです。ただ当時は乳幼児の死亡率が高いため、0歳時点での平均余命である平均寿命は低い数値となるものの、例えば重病にかからず、無事に10歳以上まで生き延びることができれば、そのまま50代、60代まで生きられる可能性が一気に高くなる面がありました。  こうした状況は、江戸時代より前の時代においても大いに当てはまると考えられます。中世後期、領主層による年貢(ねんぐ)・軍役(ぐんえき)・課役(かえき)に反発すべく、庶民は村単位で一揆(いっき)、逃散(ちょうさん)(田畑を捨てて他国に行くこと)をする取り決めをしていましたが、その参加年齢を60歳以下と定める史料が残されています。これらには現役世代が参加するものと考えれば、60歳が高齢世代との境目になるような感覚が当時の人にはあったのかもしれません。それよりさらに時代をさかのぼると、朝廷の高官職員録の『公卿補任(くぎょうぶにん)』によると、平安時代の貴族・公卿のなかには60代以上まで生きた人が多数おり、90歳まで生きた人もいるとの記録が残っています。さらに古い時代だと、律令(りつりょう)制度では61歳〜65歳を「老」として、税制面での優遇が図られていました。こうした史料を見ると、60歳まで生きられた人が古くから相当数いたような印象も受けます。  その一方で、平安貴族の間で行われていた長寿を祝う「参賀」の儀式では、40歳以上から敬老の対象となっていました。こうした40代から高齢世代かと思わせる史料もあることから、江戸期よりもやや早い段階から高齢者とみなす感覚があったのでは……とも想像できます。いずれにせよ、以上のことをふまえると、「古代、中世期なんて高齢になる前に死んでしまうから、介護の心配なんてしなくてよい」というわけでもなさそうです。もちろん現代ほどではないでしょうけど、当時の感覚での「高齢世代」まで生きた人は相当数いて、病気・けがにより子どもが世話をする状況もそれなりに多く見られたのではないでしょうか。 古代・中世期の介護事情とは?  江戸時代よりも古い時代においては、日記のように個人的に書かれた文章による介護の記録はきわめて乏しいのが実情です。ただ、高齢者の介護に関連する当時の伝聞・噂話を基にした物語・説話集などが残っています。介護をしていた本人が直接記したものではないのですが、当時の介護事情を推(お)し量(はか)るうえでとても有用な情報源です。  それから看病断(かんびょうことわり)のように、介護に関連する公的な制度もありました。それも日本の法制度としては最古ともいえる律令制度においてです。  701(大宝(たいほう)元)年に大宝律令が制定され、その後、改良版である養老(ようろう)律令が757(天平宝字(てんぴょうほうじ)元)年に制定されました。この養老律令の「令」の八番目にあたる「戸令(こりょう)」において、80歳以上の者に「侍(じ)(給仕する人)」を1人、90歳以上だと2人、100歳だと5人給付するとの定めがあります。ここでいう「侍」は世話をする人であり、子孫を優先的にあてがうとし、近親者がいない場合のみ親族ではない男性(白丁(はくてい)、次丁(じてい))を充てると規定されています。  つまり、80歳以上の高齢者には生活を支えるヘルパーを付けるべしとの規定が、律令のなかにあるわけです。もっとも、80歳以上まで生きられた人はめったにいなかったとは思いますが……。  また、平安時代後期に編纂(へんさん)された説話集の『今昔(こんじゃく)物語集』には、介護を扱った説話が含まれています。例えば巻三十一「尾張守於鳥部野出人語(をはりのかみとりべのにひとをいだすこと)」という物語は、家族である女性と同居していた「尾張守」が、年をとって体が弱ったからとの理由で、世話をせずにその女性を家から追い出したという内容です。女性は行き場をなくし、自ら墓場に行って死を待つという衝撃的な最期を迎えるのですが、この出来事に対して当時の人々が「どうして世話をしなかったのか」と尾張守を非難した、という記述で物語は終わっています。この物語の終わり方からは、当時の人々の一般的な感覚として、高齢の者は家族が介護すべきなのだ、という考え方を持っていたことを想像させてくれます。  さらに同じく『今昔物語集』の巻二十七「猟師母(れふしのはは)、成鬼擬?子語(おにとなりてこをくらはむとすること)」では、認知症になったと思われる病気の母が子の兄弟を襲い、兄の髪をつかんだ母の手を弟が鬼かと思って弓で射た、という物語が記されています。この物語のなかには「人の親でひどく年老いた者は必ず鬼になってわが子を食おうとするものである」とあり、子の顔も判別できなくなって乱暴までするような認知症の症状のことを「鬼」と当時は呼んでいたのではないか……と思わせる記述もあります。またこの兄弟は母の部屋を挟むようにして自室を配置していたことから、普段から徘徊(はいかい)などしないように見守りをしていたのでは……との想像もできます。  ここで取り上げた以外にも、江戸時代よりも古い時代の高齢者介護に触れている史料は数多くあります。高齢者・老親の介護をどうするかの問題は、いまに始まったことではなく、それこそ古代から続く日本人に深く根差したものともいえるわけです。 【参考資料】 ・�ア井将之 著『武士の介護休暇―日本は老いと介護にどう向き合ってきたか―』(河出書房新社)2024年