サステナビリティを高めるシニア人材活用戦略 第4回 シニア人材による若手育成が投資になる 株式会社日本総合研究所 石山(いしやま)大志(たいし)/宮下(みやした)太陽(たいよう)  不確実性が高まる現代において、企業が持続的に成長し続けるためには、サステナビリティ(持続可能性)の視点が不可欠です。とりわけ、人材を「資本」としてとらえ、その価値を最大限に引き出す人的資本経営の重要性が高まっています。そのなかでもシニア人材をはじめとする多様な人材の活用は、経験・知見の継承や組織のレジリエンス向上の観点からも、これからの企業経営の鍵を握る重要な要素です。そこで本企画では、シニア人材の持つ価値をあらためて整理するとともに、その活用に向けた具体的な戦略について解説します。 �@はじめに  第3回※では、シニア人材が持つスキルや経験知を整理・可視化し、組織の資産として残すための「スキルベース」の考え方と、その具体的な方法を検討しました。しかし、スキルや経験知を整理しただけでは組織の力になりません。若手に継承され、実際の仕事で活かされてはじめて、資産化の効果が生まれます。そこで今回は、その成果を実際の人材育成へと結びつける視点から、シニア人材を核とした後進育成の進め方について考えます。  シニア人材の働きぶりは、本人だけでなく、同じ職場で働く若手社員にも影響します。株式会社パーソル総合研究所の調査では、シニア人材が職場で孤立し、仕事の中身が周囲から見えにくい職場ほど、若手社員の転職意向が高まることや、シニア人材が活躍している職場では、若手社員の転職意向が低く抑えられることが示されています。シニア人材施策は若手社員施策とも密接に関係しているのです。本稿では、シニア人材の育成的役割を「シニア施策」ではなく「若手への投資」として考え、具体的な制度への落とし込み方を紹介します。 �A「教える」を分解する  まず重要なのは、「シニア人材による育成」とは何かを明確にすることです。中原(なかはら)淳(じゅん)『職場学習論』(2010年)では、職場で人が他者から受ける支援を、業務支援、内省支援、精神支援の三つに分類し、能力向上との関係を検証しています。  同書によれば、職場で多く提供される業務支援は、必ずしも能力向上には結びついていないとされています。他方、本人の考えを問い返し、仕事の意味や判断の背景をふり返らせる内省支援は、能力向上につながることが示されています。シニア人材が行う技能継承というと、手順の伝達が想起されますが、若手の成長を左右するのは、「なぜそう判断したのか」、「ほかの選択肢はなかったか」と判断を問い直す機会なのです。つまり、シニア人材に期待されるのは、答えを一方的に教えること以上に、対話を通じて若手の判断力を育てる役割です。  また、仕事の経験談も重要な学習資源です。なかでも特に重要なのは失敗経験から得られた教訓を伝えることです。しかし、成功体験は語りやすい一方、失敗を語ることには心理的な痛みや評価への懸念がともないます。放置すれば、組織にとって重要な教訓が個人の記憶にとどまり、退職とともに失われてしまいます。人事制度や運用ルールを設計する際には、成功は共有されやすく、失敗は共有されにくいという非対称を意識し、失敗から得た教訓も共有できる仕組みを整えることが望まれます。  特に近年著しい生成AIの発展と普及により、標準的な手順や一般的な助言は、若手でも容易に得られるようになりました。一方、「この顧客、この設備、この組織で、あの判断がなぜ裏目に出たのか」という経験の文脈は当事者にしか語れません。AI時代だからこそ、失敗に至った固有の文脈と教訓の共有に価値があるのです。 �B三つの「もやもや」と人事施策  育成の目的や期待役割を明確にしても、シニア人材がすぐに引き受けられるとはかぎりません。背景には、自分の経験はもう通用しないという「陳腐化の不安」、押しつけになるのではないかという「関係の不安」、何をどこまで渡すべきかわからないという「範囲の不安」があります。  第一の陳腐化の不安に対しては、「教える」の定義を見直しましょう。過去の成功体験を正解として伝えるのではなく、判断が分かれた場面を示し、「当時は何を根拠に判断したか」、「現在なら何を確認すべきか」を若手とともに考えることが重要です。「問い返す」、「失敗を語る」などの役割を、人事評価項目や等級基準書などで期待役割として明文化することも有効です。  第二の関係の不安に対しては、シニア人材に自身の経験について文章を書かせるのではなく、後継者候補となる若手や人事が聞き手となって記録することで、語る側の負担を下げることが求められます。若手が抱える実際の案件を題材に経験を語ってもらう方法や場づくりも有効です。単なる昔話ではなく、目の前の課題をともに検討する場として設計することが重要です。  第三の範囲の不安に対しては、継承対象を目に見える形にしましょう。すべての経験を継承させようと考えるのではなく、「その人が抜けると何が止まるか」を起点に組織にとって重要な事項に基づき優先順位をつけることが重要です。この際に、トップダウンで決めるだけではなく、シニア人材と対話しながら優先順位をつけることで、判断基準の整理にもつながり、シニア人材自身も着手しやすくなります。 �C投資として効果を測る  シニア人材による育成は、若手の戦力化を早め、技能伝承を通じて事業継続リスクを低減する可能性があります。この効果を把握する際に確認すべきなのは、研修や面談の回数といった活動量だけでなく、若手の成長や事業成果です。加えて、育成をになうシニア人材の負荷や役割認識の変化もとらえる必要があります。育成への貢献が評価や処遇に反映されないのであれば、それは投資ではなく、善意への依存です。若手育成をあたり前の役割や「いい話」に終わらせず、正式な業務として時間を確保し、成果を評価する仕組みが求められます。シニア活躍施策と若手育成施策を連動させ、経験知の移転から効果測定までを一体的に整備することで、単なる費用ではなく、世代を越えて組織力を高める投資になります。  若手に教えることは、シニア人材にとっても、自らの経験をふり返り、知識やスキルを更新するリスキリングのよい機会になります。次回は、これらのリスキリングがシニア人材自身の価値向上につながるという観点から、その効果を解説します。 ※本連載第3回(2026年9月号)は、JEEDホームページからもご覧になれます。 https://www.jeed.go.jp/elderly/data/elder/book/elder_202609/#page=48 【参考資料】 ・株式会社パーソル総合研究所「シニア従業員とその同僚の就労意識に関する定量調査」(2021年) ・中原淳『職場学習論』(2010年) 図表 シニア人材が育成に踏み込めない三つの「もやもや」と求められる対応例 陳腐化の不安 「教える」の定義を見直す 不安 ▲過去の成功方法は、現在では通用しないのではないか… ▲若手の業務や価値観を十分に理解できていない… 組織として求められる対応 �@ 判断が分かれた場面や、想定が崩れた場面を共有する �A 「問い返す」、「失敗を語る」「判断を支援する」役割へ転換する �B 人事評価項目や等級基準書などで期待役割として明文化する 関係の不安 失敗を抵抗感なく渡せる形にする 不安 ▲失敗を語ることで、自身の評価が下がらないか… ▲経験談が若手に昔話や説教と受け取られないか… 組織として求められる対応 �@若手や人事が聞き手となり、インタビュー形式で記録する �A若手が現在抱える案件を題材に、関連する経験を引き出す �B世代を越えて案件を検討する場を設計・運用する 範囲の不安 継承する対象を目に見える形にする 不安 ▲何を優先して継承すべきか判断できない… ▲どの粒度まで言語化・記録すべきか分からない… 組織として求められる対応 �@「その人が抜けると何が止まるか」から逆算する �A事業継続、品質、安全、顧客への影響を基に優先順位を付ける �B継承する対象やその選択の基準をシニア本人とともに整理する ※筆者作成