技を支える vol.368 江戸時代生まれの3書体 正統の技をいまに受け継ぐ 勘亭流(かんていりゅう)・寄席(よせ)文字・江戸文字書家 中村(なかむら)泰士(やすひと)さん(74歳) 「江戸の文字を書くことによって、その時代に思いを馳せることができます。自分もその時代に生きているような気持ちになれるんです」 歌舞伎、寄席、千社札(せんしゃふだ)− 三つの書体をきわめる  三つの異なる筆致(ひっち)で書かれた「花」(上写真)。左から勘亭流、寄席文字、江戸文字─いずれも江戸時代の庶民文化のなかで生まれた書体だ。勘亭流は歌舞伎の看板や番付※、寄席文字は寄席の看板や落語家の名を記す「めくり」、江戸文字は千社札や提灯(ちょうちん)に用いられる。この3書体すべてを手がける書家が、東京都荒川区にある有限会社大有(たいゆう)企画の代表取締役、中村泰士さんである。  中村さんによれば、この三つに相撲字(すもうじ)も含め、江戸時代に生まれたグラフィックな文字を総称して「江戸文字」と呼ぶこともある。  「勘亭流も寄席文字も、大入り満員を願って隙間なく書きます。寄席文字はさらに、客足が尻上がりに伸びるよう右肩上がりに書いていきます。勘亭流は歌舞伎の字ですから、『舞うが如く』という感じですね。千社札などの江戸文字はレタリングのようなもので、一筆では書けません。太い部分は周りの輪郭(りんかく)を描いてから中を塗っていきます」  寄席文字と勘亭流は、それぞれの家元に師事し、寄席文字では「橘(たちばな)右橘(うきつ)」、勘亭流では三代目「荒井(あらい)三禮(さんれい)」の名を持つ。学生時代に寄席文字を手がけ始めて以来、半世紀以上にわたり筆を執り続けてきた。2002(平成14)年度に荒川区登録無形文化財保持者となり、2025(令和7)年度には荒川区指定無形文化財保持者に認定されている。 一筆書きの大切さ 師匠の体の動きから学ぶ  看板にも用いられる勘亭流と寄席文字は、遠目にも映える力強い太さが特徴だ。書道のように筆を立てて穂先を使うのではなく、筆を傾かせて側面(腹)を使うことで、この太さが生まれる。それを支えるのが、迷いのない一筆書きの技である。細部のかすれやささくれなどは修正を加えるが、文字の骨格そのものは一気に書き上げるなかでほぼ決まるという。  「最初の一筆で、ある程度の形が成り立っていないと、直しているうちにどんどんおかしくなってしまうんです」  中村さんは、この一筆書きの技を習得するために、師匠が書く筆先だけに注目するのではなく、体の動き、筋肉の使い方を見ることで上達につながったという。  「そうすることで、できあがった書を見ただけで体の動かし方を思い出し、それをまねることで師匠の字に近づけることができます」  また、筆への墨のふくませ具合なども、その時々の状況に応じた判断が求められる。それも「実際に師匠の動きを何度も見ることで覚えることができた」とふり返る。 落語への愛着が導いた道を次の世代へつなぐ  この道に進んだきっかけは、落語への愛着だった。子どものころからテレビの演芸番組で寄席文字に親しみ、大学では落語研究会に所属。1971年に、「寄席文字」の名づけ親でもある家元の橘(たちばな)右近(うこん)氏に師事し、学生時代はアマチュア書家として活躍。大学4年のとき、「橘右橘」の名を許され、この道へと進んだ。  その後、荒川区の伝統工芸展で机を並べたことが縁となり、勘亭流家元、二代目荒井三禮(さんれい)氏に入門。1994年に「荒井(あらい)三鯉(さんり)」の名を許され、三禮勘亭流を継承した。  江戸文字については、江戸以来の千社札交換会「東都(とうと)納札睦(のうさつむつみ)」主宰で摺師(すりし)の二代目・関岡(せきおか)扇令(せんれい)氏から、かつて主流だった名人たちの資料や歴史を通じて薫陶を受けた。  「師匠に育ててもらったんだから、自分も後進を育てないといけない」と考える中村さんは、「荒川の匠(たくみ)育成事業」による後継者育成に取り組むほか、教室を4カ所で開いている。指導の核には、「ただ師匠の真似をするだけでなく、その世界自体を広げる立場にならなければならない」という思いがある。自身も落語会の企画運営にたずさわり、活動の場を広げてきた。これからも、三書体の技とともに江戸の文化を次代へとつないでいくことが、変わらぬ目標だ。 有限会社大有企画 TEL:03(3801)6799 https://www.tie-you.com (撮影・羽渕みどり/取材・増田忠英) ※番付……ポスターやチラシ、プログラムなどの印刷物 写真のキャプション 中村さんの流派である三禮勘亭流は、一般的な書道の筆を使った一筆書きが基本。大きな文字は、一筆書きの土台に肉づけする「塗り文字」という技法で仕上げる 愛用の筆。左側4 本は寄席文字、右の細い3本は江戸文字、右端は勘亭流に用いる(写真提供:有限会社大有企画) 千社札や提灯などに用いられる江戸文字はレタリングと同様、最初に輪郭を下書きし、墨入れの段階でも調整を行う。筆は日本画用の即妙筆(そくみょうふで)や面相筆(めんそうふで)などを用いる 勘亭流は書道の筆を使うが、筆をまっすぐ立てて書く(直筆)書道と違い、筆を少し傾けて側面で太く書く(側筆)のが特徴 国立劇場の初春歌舞伎公演の外題(演目)や場割(場面構成)の看板の筆耕を毎年担当している(写真提供:有限会社大有企画) 1989年に江戸文字で書いた、荒川区伝統技術保存会の一覧。中央の大紋「あらかわ丸」も中村さんが手がけた 「荒川の匠育成事業(伝統工芸技術の後継者育成)」の研修生、手塚(てづか)摩子(まこ)さんに指導する様子。数字を練習することで基本の運筆を身につける