エルダー2019年4月号
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エルダー35できる誠実な人物だ)と感心した。治憲を見る目が変わった。同時に、重定自身が、(わし自身も変わらなければならぬ)と反省した。したがって、年月を経ているうちに、重定の人間性は重役たちが考えるかつての重定ではなくなっていたのである。いってみれば、重定自身が、「急激な自己改革」を行ったということだ。だから、重定の隠居生活は決して呑のん気きなものではなかった。昔のように、謡曲に現うつつを抜かしているような日常ではない。重定なりに、「隠居としての責任」を感じ、過去を反省し、「これからの米沢藩政をどうするか」ということを、真剣に考えていたのである。その結果として、「現藩主である治憲殿の改革を、全面的に支持しよう」と思い立っていた。「なせば成る なさねば成らぬ何事も ならぬは人のなさぬなりけり」というメッセージで有名な治憲の改革は、現在でも経営者やリーダーの一つの教本になっている。しかし、その「鷹山改革」は決して彼一人の力によるものではない。背後に、前藩主であった重定の、いわば〝隠居力〞が、強力な支えになっていたのである。重定の隠居時代はまさに、重定自身の、「自己改革の日々」であった。保守的な重役たちは、それを正しく理解せずに、「昔通りのやり方で、藩政は乗り切れる」という、甘い考え方をしていたのだ。治憲の改革に反対した七人の重役は、切腹を含めて厳重に罰を受けた。しかし、治憲はその七人の重役の子息たちに対しては、父の旧職をそのまま与えた。「いまの改革をやめてわれわれ重臣に藩政を任せるか、それとも藩主の座から降りて郷里の高鍋にお帰りになるか」と、二者択一を迫ったのである。このとき治憲は、「大殿様に相談する」といって、この件を重定に報告した。重役たちはニンマリと笑い、(大殿様は、われわれを支持するに違いない)と思っていた。ところが治憲の報告を聞いて重定は真っ赤になって怒った。そして、「重役たちはとんでもない奴等だ!」と怒ど声せいを放った。治憲を連れて重役たちのいる広間に乗り込んできた。そして上段に立ちはだかったまま、重役たちを怒鳴りつけた。その内容は、激怒するご隠居様「自分はすでに隠居し、治憲殿にすべてを任せてある。その治憲殿の指示に従わないとは何事か!わしはおまえたちの考え方に絶対に反対だ」と大声をあげた。重役たちはびっくりした。明らかに、思惑が外れたのである。大殿様によかれと思ったことが、逆に重定の怒りを買ってしまったのだ。重役たちは顔を見合わせた。(見込みが違ったな)と目と目で語り合った。その通りだった。隠居した重定はそれなりに勉強していた。彼自身も初めのうちは、治憲のやり方が、(少しやり過ぎだ)と思っていた。つまり、重役たちの思惑と同じ考え方に立っていた。しかしまったく私心がなく、自ら節約の見本を示し、また重定に対しても養父というより実父に対するような孝行の証を示し続ける治憲に、重定は次第に心を打たれた。(この若い養子は、心から信頼

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