エルダー2019年4月号
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高齢者に聞く第 回公益社団法人目黒区シルバー人材センター・レストラン「奈な古ご味み」スタッフ内ない藤とう久く美みさん60 内藤久美さん(75歳)は、地元に愛されるすし店のおかみさんとして40年間働き続けた。その後、目黒区シルバー人材センターが直営するレストランで調理の仕事に就いて10年が経った。接客業の経験を活かしていきいき働く内藤さんが、働き続ける喜びを笑顔で語る。2019.436国家資格に挑戦して私は東京都江戸川区小こ岩いわの生まれですが、戦争中に両親の実家がある秋田県湯ゆ沢ざわ町に疎開、高校を卒業するまで疎開先で過ごしました。6人兄弟の末っ子の私が、家業の床とこ屋やを継ぐことになって、高校を卒業すると東京の理容専門学校に入学、母の知人の床屋さんで見習いをしながら、渋谷にあった学校に2年間通い、免許を取得しました。郷里に帰って家業を継ごうと思っていた矢先、当時東京の美容院に嫁いでいた一番上の姉から仕事を手伝ってほしいと声がかかりました。しかし、理容と美容とは免許が違います。そこで今度は美容学校へ通い直して、美容師の免許も何とか取得しました。人生は面白いと思うのは、ここからです。美容師の免許を取ると、姉が小さな美容室を持たせてくれました。恵まれた出発だったと感謝していますが、姉の嫁ぎ先は多角経営の実業家で、美容院のほかにすし店なども経営しており、ここですしを握っていたのが後に夫となる人でした。縁あって25歳で結婚、2人の子どもを育てながら夫と40年間、すし屋稼業に専念することになります。二つの国家資格は宙に浮きましたが、新たに調理士免許を取得、働きがいのある、宝物のような40年でした。地元の人たちに支えられ、二人三脚で半世紀近くのれんを守り続けてきた。そのご主人が病に倒れ、10年におよぶ闘病の末、2年前に亡くなった。壮絶な闘病生活だったが、内藤さんは笑顔で支えた。シルバー人材センターとの出会い64歳になったとき、いろいろな事情が重なってついに店を閉じることに。店を閉めたとたん、夫が病に倒れました。その前から病気のデパートのような人でしたから、思い切って看病に専念しようと思いました。しかし、高校を卒業してから働き詰めだった身体は、動き回っていないと、かえって具合が悪くなりそうでした。60歳を過ぎてから働くところがあるのかと不安でしたが、友人が東急目黒線の武蔵小山駅近くの商店街にあるレストランが、高齢者を募集していると教えてくれました。友人はときどき食事に訪れるそうで、味もよく、高齢の従業員がいきいき働いていること、レストランを直営するのが、目黒区シルバー人材センターであることも教わって、気がついたら本部に電話していました。恥ずかしながらそのときまでシルバー人材センターについて詳しく知らなかったのです。センターの会員が運営するレストラン「奈な古ご味み」で面接を受け、その足で本部に出向きま

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