エルダー2019年5月号
35/68

エルダー33と不満の声も投げられる。家光にポストを譲ってからは、家光が英えい邁まいなだけに余計そういう批判の声がやかましい。だから秀忠が大母を訪ねて来るのを、大奥側では、「大御所様(秀忠)は、お淋しいのだ」と心情を忖そん度たくして見る者もいる。しかし秀忠にすれば違う。(大母には身寄りがない。わしにとっては実母同様のお人だ。孝養を尽くすのが当たり前の人の道だ)と考えているだけだ。大母の方も(大御所〈隠居〉になっても秀忠様はかならずしも幸せではない。風当たりが強い。ここへおいでになるときが一番ホッとなさるのだろう。そんな秀忠様をさらにお悩ませするような息子の赦免のお願いなど絶対にしない)と心を決めていた。二人の面会は善意と善意の出会いだ。何の思惑も目論見もない。私利私欲もない。しかし将軍(家光)の寵ちょうを求めて、なりふりかまわずに争う側室と、それぞれの側室を支持する層たちにはそうは見えなかった。「二人は結託して私たちに嫌がらせをしているのだ」と受け止めた。だれかがいい出して、これが噂になった。そのため秀忠が大母を訪ねてくるときだけは、大奥は静かになりまともになった。やがてこのことを二人も知った。二人は笑った。「こっちが考えてもいないのに」「でも、そう思わせておきましょう。大奥のためにも」二人はそう申しあわせた。いつまでたっても大母は決して息子の赦免を願わなかったし、秀忠も大母を大奥から移そうとはしなかった。春日局だけがギリギリと歯を噛んでいた。これも秀忠の風潮是正の一つかもしれない。本人にそんな気がなくても。秀忠に決して息子のことを口にしなかった。大奥の空気はどんどん変わった。側室たちの争いがいよいよ激しくなり、嫉妬と憎しみの温床になった。大母の存在はだれも省みなくなり、かえって邪魔者視された。老齢になった大母はそういう争いのただなかにあって、孤独感と疎外感にじっと耐えた。大母自身は心のなかで息子の赦免をじっと待っていたのだ。そして、(そのときに迎えてやる場はこの江戸城だ)と思っていた。現在の大奥の女性たちにとって、「二代目将軍の乳母」という身分が、どれだけの栄光と力を持っているかわからない。フンと鼻の先で笑い飛ばされるかもしれない。しかし、大母には誇りと自信があった。秀忠には母の愛が欠けていた。普通なら大名の子は側室が生んでも、正妻の下に集められる。正妻の子として育てられる。しかし、家康の正妻は横おう死し※し、その後豊臣秀吉の妹と政略結婚したが、間もなく死んだ。以後家康は妻帯しなかった。生母の西郷局は家康の政治的ブレーンになって、女性ではあるが男に負けない存在になっている。秀忠にとって微妙な位置にある。「母上」といって気楽に慕い寄れる仲ではない。そうなると秀忠にとっての実質的な母は大母になる。大母以外いない。そして秀忠自身の評判も、実をいえばその温和な性格が裏目に出る場合が多い。果断・勇猛なトップを求める大名や旗本にとって秀忠は、「優柔不断で煮え切らない」「不肖(父に似ない)の二代目」予想もしない噂※横死……事故・殺害など、思いがけない災難で死ぬこと

元のページ  ../index.html#35

このブックを見る