エルダー2019年5月号
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高齢者に聞くエルダー35運輸関係の会社では経理も担当していましたが、天野歯科では経理というよりは、「レセプト」といわれる医療事務の知識が求められました。レセプトとは医療機関が健康保険組合などに提出する診療報酬請求明細書のことで、医療費を計算するために、検査や処置、薬に関する費用が明記されています。これらを点数化して医療費を計算し、そのなかから保険適用外費用を除外した金額を算出する仕組みです。パソコンのない時代でしたから、一枚一枚手書きで、慣れるまでには相当な時間がかかりました。当時は通信教育もなく、実際に働きながら先輩に教えてもらい、失敗をくり返しながら経験を積んでいきました。いま歯科医院は「コンビニエンスストアよりも多い」といわれるほど競争も激化しています。私が就職した1960年代は歯科医不足で、歯科医院の全盛期でした。事務員も大勢おり、職場は活気にあふれていました。やがて私は事務長という役職に就き、多忙ながら、やりがいのある日々を過ごさせてもらいました。天野歯科は、1951年に日に本ほん橋ばし室むろ町まちで開業した。日本橋という土地柄を意識してエントランスには和の雰囲気が漂い、リラックスできる院内環境の整備を心がけている。先代から二代目へ、常に時代に先駆ける足跡を静さんはじっと見守り続けてきた。「生涯現役」という志を抱いて天野歯科の定年は60歳ですが、60歳を迎えたとき、先代の奥さまが「もう少し働いてもらいたい」と声をかけてくれました。65歳になったときも同様でした。65歳以降、処遇に対する特別なお話はありません。それはいまの理事長になってからも同じで、健康であることを条件に勤務を続けています。ただ、勤務日数や時間などは年齢を重ねるとともに変わってきました。かつては事務長という役職でしたが、いまは事務員という立場です。勤務は週2回、10時から17時までで、月末や給料日にも出勤しています。最近は医療事務ではなく、経理などの一般事務を担当しています。私は千葉県に住んでおり、通勤に2時間近くかかりますが、定時制工業学校時代の通学を考えればなんてことはありません。後の人生に役立たない経験はないものだと実感しています。不思議なもので、週2回の出勤日はやはり朝早く目覚め、東京に出勤することでぐっとやる気が出てきます。90歳で働いているというと驚く人もいますが、私は雇ってもらえる場所があるかぎり、働くことで社会とつながっていたいと思います。自分の可能性を試すだけでなく、働き続けることでだれかの役に立ちたいという願いに支えられ半世紀が過ぎました。おかげさまで丈夫に生まれ、大病をしたことがありません。それでも健康でなければ働き続けることはできないと考え、職場へ来るときは総武線の新日本橋駅から15分ほど歩くようにしています。また、日ごろから体を動かすことが大切だと思い、せっせと庭いじりをしています。郊外に住んでいるため庭が広く、草むしりだけでもしっかり汗をかきます。剪せん定ていなどは「プロに頼んだら」と妻はいうのですが、つい自分でやってしまい呆れられています。昔は趣味がたくさんありましたが、いまでも続いているのは水彩画ぐらいでしょうか。先代の奥さまとは水彩画のことで話が合いました。絵画鑑賞も好きなので、昼休みには近くのデパートのなかにある画廊を訪れるのも楽しみの一つです。また、若いスタッフとおしゃべりする時間も楽しく、「生涯現役でいたい」というモチベーションを高めるパワーをもらっています。昔は、スケッチ旅行によく出かけたものです。実は5月に、次兄と旅行を計画しています。大学時代に居候させてもらった兄との二人旅です。97歳と90歳の珍道中にいまからわくわくしています。もう少しがんばって働き続けたい。私の生涯現役の旅は、まだ道半ばなのです。

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