エルダー2019年6月号
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エルダー31勝も、福沢に批判された人物だ。旧幕府の高官でありながら、いまはその幕府を売り、自分の安泰を図っていると批判されていた。しかし勝は、 「行いは俺のもの、批判は他人のもの、俺の知ったこっちゃねえ」 と嘯うそぶいていた。 かれらの努力に感心した新政府の首脳部は、慶喜の復権を認め、ついに明治天皇の勅ちょくによって慶喜は逆賊の名を解かれ、侯爵として遇ぐうされることになった。 榎本が先頭に立って、慶喜復権の祝賀会が開かれた。このとき、だれかが、 「慶喜公を中心に写真を撮ろう」 といい出し、実行された。ところができ上がった写真を見てみると榎本の姿がない。写真を撮った者が榎本を訪ね、 「なぜ、あなたは写真のなかに加わらなかったのですか」 と訊いた。榎本は、 「仮にも慶喜公は俺の主人だ。主人と一緒に写真など撮れない。そんな失礼なことはできない」 といった。写真を撮った者は榎本の言葉に呆れたが、しかしすぐ感動した。 「榎本さんは、最後まで徳川将軍の忠臣だ」 とあちこちでその話をした。 榎本を偲しのぶ集いは、現在でも吉祥寺(東京都)で行われる。いろいろなグループの子孫(例えば新選組の関係者)などが集まり、多彩な催しになっている。実をいえば、私もその参加者の一人だ。そらく今後、あなたのお役に立つでしょう」 黒田は感心した。そこで、酒樽数個とつまみを添えて五稜郭に贈った。榎本は考えた。 「新政府にはこういう人物がいる。抵抗しても、いたずらに部下を死なせるだけだ。降伏しよう」 と決意した。榎本は江戸の牢に送られたが、黒田が必死になって助命嘆願した。 「榎本という人物は、新政府の役にも十分立つ」 と告げた。榎本は助命され、やがて黒田のために北海道開発の仕事に注力し、さらに対ロシア交渉にも活躍した。だが、批判する者もいた。 「かつて幕府の高官でありながら、その幕府を滅ぼした新政府に尻尾を振っている」 福沢諭ゆ吉きちも批判者の一人だった。しかし榎本は気にしなかった。というのは、かれには一つの目的があったからだ。それは、かつての主人、将軍徳川慶よし喜のぶの扱いに苦慮していたからである。慶喜はいま、逆賊の身で蟄ちっ居きょしている。何とかして、その恥をすすぎ天皇に忠ちゅう節せつを尽くせるような立場に置きたいと願ったのである。 かれの黒田とのやり取りも、また落ちぶれたかつての主人の身を心配するのも、すべて江戸っ子の気性だ。つまり、 「困った立場にいる人をそのまま見捨ててはおけない」 という江戸っ子の特性である〝弱い立場の者に同情する〞という性格であった。 これには、勝海かい舟しゅうも協力した。慶喜の名誉回復

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