エルダー2019年8月号
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高齢者に聞く第 回NPO法人カローレ(ベビーかろーれ)保育士薄うすき 和かず代よさん64 薄和代さん(69歳)は若いころから保育士を夢見ていた。その夢は、65歳になったときに、ようやく実現した。現在は小規模保育室で小さな子どもたちと元気に園庭を駆け回る。視線の先に生涯現役で働く自身の姿を描く薄さんが、あきらめないことの大切さを語る。2019.836保育士の資格を取得私は、福島県いわき市の山深い町で生まれました。高校に入学後は、通学がたいへんだろうと親戚の家に下宿させてもらいました。本当は大学へ進んで、保育士の仕事がしたかったのですが、長女の私は実家の事情を考えて就職の道を選び、東京都にある製紙会社の事務員として社会人のスタートを切りました。最初に配属されたのは受注課で、電話の応対が主な仕事でした。福島の訛なまりがなかなか抜けず、お客さまが困ったのではないかと、いまふり返るとおかしくなります。会社の寮生活は、同世代の人も多く充実していましたが、保育士への夢は断ち切れず、入社して1年後に夜間の保育専門学校に入学しました。17時に仕事が終わってから、急いで学校へ駆けつける生活が3年間続き、念願の保育士の資格を取得できました。夢に一歩近づいたという喜びを胸に、転職を考えました。しかし、部署が経理に変わり、少しずつ仕事を任されるようになってきていたため、会社には転職のことはついにいい出せませんでした。その後、結婚して子どもが生まれるまで働き続けましたが、当時は仕事と子育てとの両立は考えられず、28歳で退職しました。気がつけば10年という歳月が経っていました。薄さんの言葉には、わずかに福島の訛りがいまも残る。その飾り気のない話しぶりに、苦労して資格を取りながらも、簡単に会社を辞められなかった人柄を垣かい間ま見る。回り道して出会った新たな世界専業主婦として子育てに専念し、3人目の子どもが離乳すると、もう一度働きたい、社会に出たいという気持ちが湧いてきました。そこで、北海道から義母に上京してもらい、子育ての協力を得て、材木関係の会社に就職、経理部に配属されました。この時点で保育士として就職する可能性もありましたが、私には新たな一歩をふみ出す勇気がなかったのだと思います。その後、都内から千葉、埼玉へと転居が続き、埼玉では半導体の基盤などを製作する会社で経理を担当しました。54歳のときに夫が57歳の若さで亡くなったこともあり、ここで定年まで働かせてもらいました。いつのまにか60歳という年齢に達し、保育という憧れの世界からは遠のいてしまいました。しかし、人生とは面白いもので、回り道をしながらも、保育士という仕事に近づいていたのです。ただ、そのことに気づくまでには、もう少し時間がかかりました。次の仕事を探していたとき、友人の紹介で「NPO法人カローレ」の存在を知り、60歳

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