エルダー2019年9月号
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エルダー33石舟斎はこのとき、息子の宗むね矩のりを連れていた。宗矩は、家康に憧れの目を向けてしきりに自分に関心を向けさせようとしていた。石舟斎は宗矩に真剣を持たせて、無刀で立ち向った。しかし、宗矩がいくら打ち込んでも石舟斎はヒラリヒラリと身をかわす。そして最後には、宗矩を抑え込んで、その手から刀を取り上げた。家康は思わず、「お見事!」と拍手した。石舟斎が恐縮して家康に礼をすると家康は、「石舟斎殿、今日からお主の門人として無刀取りを習いたいが」と持ちかけた。石舟斎は首を横に振った。「私はすでに、現世における修練を終えて、柳生の里に隠居の身でございます。徳川さまのお世話など到底不可能でございます」謙虚な言い分だ。しかも、その気持ちは固い。家康は、(石舟斎はとてもわしの師匠にはならぬな)と悟った。このとき、宗矩が目を輝かせてこういった。「徳川さまのお稽古は、わたくしが務めとうございます」「なに」家康が驚くよりも、石舟斎が目を見張った。そして、(とんでもない出過ぎ者だ)と胸のなかで舌打ちした。父子の様子を見た家康はこういった。「いや、石舟斎殿。ご子息に、わしの教えを頼もう」驚く石舟斎は家康を見返し、鋭い目で、「本気でいらっしゃいますか?」と訊いた。家康も目で頷うなずいた。しかし、老人たちのその眼と眼の交流は宙で激突し、互いの考えをそれぞれ理解した。石舟斎の方は、(出しゃばり者の息子のいうことなど、どうぞ本気でお取り上げ若者の衒げん気き※を戒める老人二人にならないで戴いただきたい)と告げていた。それに応じて家康は、(石舟斎殿のお気持ちはよくわかる。しかし、ご子息のこの道に励みたい気持ちもよくわかる。若者のやる気を潰してはならぬ)。二人は、目と目で宙で話し合った。やがて家康がこういった。(形のうえでわしの師はご子息だ。しかし、無刀取りの技はご子息からは学ばぬ。石舟斎殿、稽古だけはわしにつけてほしい)(……)石舟斎はじっと家康の顔を凝視した。やがて家康の気持ちを理解した。家康がいうのは、(宗矩の申出は形のうえでは受ける。しかし実際に家康は宗矩の門人にはならない。なぜなら、宗矩はまだ精神面で未熟者だ。師にはできぬ。だから、名目上は石舟斎の顔を立てて、宗矩の申出を受けるが、実際の稽古は父の石舟斎から学びたい)ということである。家康も石舟斎と同じに、出しゃばりの宗矩の覇は気きを知って、胸のなかでは舌打ちをした。(この出過ぎ者め!)と嫌悪感を覚えたのである。だから、(おまえを名目上の師にはするが、実際には技を学ばぬ。技はおまえの父から学ぶ)と、暗に宗矩の「師」という立場が、単に名目のものであって、実質的には何もともなわぬということを、この場で教えたのだ。しかし、若気に逸はやる宗矩にはそれがわからなかった。かれは、家康が自分を師にしてくれたので有頂天になっていた。二人の老人は、人生の達人でもあった。合意して、若い宗矩を戒いましめたのだ。※ 衒気……自分の才能、学識などを見せびらかし、自慢したがる気持ち

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