エルダー2019年10月号
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エルダー35はまらないと思っているのかね?)という問いかけが目に現れていた。伴は守勢にまわって、ややたじたじとしたが狼ろう狽ばいしたり、ビクついたりはしなかった。あらゆるモノサシを超えて、核とした大事な条件があったからである。上田は向き直った。「聞くところによれば、あなたの編んだ本は続編が出るそうだが、その続編にぜひわしを入れてくれんかね」「上田先生、それは駄目です。お入れすることはできません」「なぜかね?」伴を凝視する上田の眼の底に、怒りの色があった。伴はいつかはくるだろうと思っていたことなので、慌てなかった。こう応じた。「上田先生、わたしのあの本では、いま生きていらっしゃる方は省く、という方針をとっているからです」「なに」さすがに上田はびっくりした。呆れたように伴の顔をまじまじと見詰めた。しかし伴は、(ここが勝負だ)と思っていたから、じっと視線を逸そらさずに上田を見返した。目と目の戦いだ。やがて上田の方が負けた。伴から視線を逸らし、「そういうことだったのか」と一人で呟つぶやいた。がっくり肩を落としていた。失望したのだ。しかし、「『近世畸人伝』に採用する奇人は、すべて死んだ人だ」といわれてみれば、いい返すことはできない。「それでは、仕方がないな。わしはまだ生きている」最後は絶望的なまで落ち込んだ声を洩もらして、上田秋成は静かに去って行った。ころに出かけて行った。「上田秋成です」入口で名乗ると、机の前に座って作業をしていた伴は顔を上げて思わず、「あ」と声をあげた。身じまいを正した。伴にとって憬あこがれの〝奇人〞が、実際に訪ねて来たからだ。上田は威厳を保ちつつ、しかし心のなかでは焦りながら、「伴さん、いつわしを『畸人伝』に入れるのかね?」と訊きいた。上田は、伴の対応が捗はか々ばかしくないので、自分の方から切り出した。「伴さんが、奇人と称する人間のモノサシ(条件)は一体どういうことかね?」「一つ目は、貧しい仮住まいで、しかも一か所に定住せず転々と歩上田を省いた理由き回ることが条件です」「わしは、それを満たしている」「承知しております」「ほかに?」「一つの仕事に打ち込んで、ほかのことに目もくれない、いわば仕事バカが二つ目です」「それもわしは満たしている」「知っております」「それならなぜ?」「私の考えるもう一つの条件は、外見よりも心の内実を重んじ、心の問題に深い関心を持って掘り下げ、それが同じような考えを持つ人々の参考になるようなことを、世の中に告げてくださっていることです」「憚はばかりながら、わしはそのモノサシにもぴったり当てはまることをしていると思うが」そういって上田はジロリと伴を見た。明らかに、(おまえさんは、そういう自分で立てたモノサシに、わしが当て

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