エルダー2019年10月号
38/68

高齢者に聞く第 回NPO法人シニア大だい樂がく講師鈴木貞さだ夫おさん66 鈴木貞夫さん(73歳)は、自分の将来像を模索するなか、55歳で会社員生活に終止符を打った。シニアを対象とした講演活動を始め、現在はNPO法人シニア大だい樂がくに講師として登録し、多忙な日々を送る。定年前に人より一歩早く次のステップを目ざした鈴木さんの視線の先には「生涯現役」の4文字があった。2019.1036理想の会社と出会えた幸運私は栃木県茂もて木ぎ町まちで産声を上げ、高校を卒業するまで茂木で暮らしました。実家は農家で、私は8人兄弟の7番目でしたが、東京都立大学(現在の首都大学東京)に進学させてもらいました。両親はもちろん、農業を継いだ兄たちが応援してくれたおかげだと、いまも感謝しています。大学では経済学を専攻、友人たちは大企業への就職に挑戦しましたが、私は兄たちを頼って育ったせいかのんびり屋で、従業員150人ほどの精密機器メーカーに就職しました。面接のとき、社長が「明日からでもいらっしゃい」と声をかけてくれたアットホームな雰囲気は、退職するまで一貫していました。この会社は自動車や電車の壁紙など、車両の内装をはじめ、合成皮革などあらゆる素材をコーティングする国内有数の技術を誇り、業績も安定していました。私は生産管理の現場で営業と製造現場をつなぐことが主な仕事でしたが、資材の手配から工場の工程まですべて任せてもらい、会社員時代に不愉快な思いをしたことはほとんど記憶に残っていません。オイルショックによる不景気の影響で仕事量が激減したときも、「仕事がなくても、出社してキャッチボールでもやっていろ」と笑い飛ばす社長で、物の見方や考え方で大きな影響を受けました。まさに理想の会社でした。会社は残業もなく、勤務時間の面でも理想的だったが、早く帰宅するとつい晩酌の量も増える。時間を有意義に使いたいと模索を始めたのが30代半ばのこと。定年以降の将来に思いを馳せた鈴木さんには先見の明があった。話し方教室で新しい自分を発見仕事への不満はまったくなく、充実した日々でしたが、結婚して千葉県の松まつ戸ど市に移り住み、生活も落ち着いてくるとだんだん将来について考えるようになりました。当時の定年は60歳でしたから、そこから長い人生が続くわけです。仕事というよりは趣味も含めて一生かけてやれることを探していたとき、偶然にも駅前で「話し方教室」の看板をみかけ、迷わず入会しました。教室は個人が経営しており、松戸で初めて開設されたとのこと。この教室への参加をきっかけに、さまざまな研修会やカルチャーセンターに通うようになりました。35歳の挑戦でした。話し方はなかなか上達しませんでしたが、講師はもちろん、教室に通ってくる幅広い世代の人の話を聞くのはとても楽しく、仕事が終わると教室へと急ぎました。私は大学では経済学を学びましたが、本当は小さいころから歴史が大好きで、歴史上の

元のページ  ../index.html#38

このブックを見る