エルダー2019年10月号
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高齢者に聞くエルダー37人物を自分流に研究して大学ノートに書き綴っていました。そしてその成果をいつか人に伝えたいという思いもあって、そのために人前で話せる力を身につけたいと考えていましたから、話し方教室の看板を見つけたときは自分の将来像が見えたような気がしたことをいまでも覚えています。ステップアップを目ざして人生の転機というものは、至る所にあるようです。話し方教室には15年ほど通いましたが、さらに実力をつけるためにほかの教室やカルチャーセンターを紹介してもらいました。大手マスコミが主催するカルチャーセンターに通っているうちに、講師から「プロの道を目ざしてはどうか」と声をかけてもらいました。その講師の弟子のようなかたちで「話し方」の講師として50歳でデビュー。それから5年ほど、仕事に支障がない範囲で講演活動を行っていましたが、会社に迷惑をかけないうちに退職することを決意し、定年の5年前に新たな人生を歩くことになりました。下の子どもが大学に入学した年でもあり、家族には大反対されましたが、気持ちは変わりませんでした。カルチャーセンターの講師料は講義後の飲み代やタクシー代で消えていきましたから、家族にはずいぶん苦労をかけました。むしろその苦労はいまも続いており、家計を支えてくれた妻にはただ感謝しています。50代で教えた人たちとは、いまでも交流が続いています。私から教わった面接のコツで、志望の企業に入れたと笑顔で報告してくれた人もいました。「話し方」の技術的なことではなく、それぞれの場面で必要な心の持ち方についても伝授するのが私の流儀です。カルチャーセンターに歴史の話もできることを伝えると、話し方教室と並行して、歴史の講師としても声をかけてもらうようになりました。最近は歴史の講演が増えつつあり、ようやく夢が叶いました。鈴木さんは、NPO法人シニア大樂※の講師紹介センターに登録、ここからも定期的に歴史講座の講師依頼がある。「話すことと書くこと」で生涯現役の道を「元気なシニアが社会参加を大いに楽しむ」思いを込めて、シニア大樂が設立されたことを新聞で知った私は、すぐに講師登録をしました。人生経験を活かして社会貢献したいと願う登録者は400名を超えています。趣旨に賛同して設立の早い時期から参加したので、登録番号は174番となっています。設立された2003(平成15)年は、精密機器メーカーを退職して2年目でしたから、シニア大樂の設立は経験を活かせる場ができたという意味で心強かったです。今年の7月も6、7回講演を行いました。カルチャーセンターでは「話し方」も教えていますが、シニア大樂では歴史講座が中心です。会社に定年までいたら、また別の道が開けていたかもしれませんが後悔はありません。私は、定年を迎えてから次のステップを模索するのではなく、むしろ若いときから、高齢になっても働き続ける自分の姿をイメージすることが大切だと考えています。歴史といっても、戦国時代もあれば明治維新もありますが、「どの時代でもお話しできます」とアピールしている私は、73歳のいまも毎日が勉強です。年間500冊以上の本を読み、最新の情報にもアンテナを張っています。いまは月12〜13回という講演ペースで、それ以外は本を読んで下調べに没頭しています。楽しみは、講義を終えた後の受講生たちとの飲み会でしょうか。人生経験豊かな仲間たちと歴史を学ぶ楽しさを語り合えば、時が経つのも忘れます。私にプロにならないかとすすめてくださったカルチャーセンターの恩師は、90歳になりますがいまも現役で「話し方」を教えています。先生が日々口にしておられたのが、「話すことと書くことは一生できる」ということでした。その言葉を胸に、自分を絶えず磨き続けながら、生涯現役という道をしっかり歩いていこうと思います。※ シニア大樂で社会人落語家として活躍する平井幸雄さんに、本誌2014年12月号のこのコーナーにご登場いただきました

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