エルダー2019年11月号
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2019.1136[第86回]大屋遠州は、最初は八代将軍徳川吉宗の小こ姓しょう※1をしていた。ヤンチャ者で人気があった。吉宗に可愛がられた。吉宗がやがて自分の息子たちに田た安やす家・一ひとつ橋ばし家などの分家をつくらせると、遠州は田安家の家老になった。田安家に定信という七男が生まれると、遠州は定信に異常な愛情を注いだ。兄たちがいたが、定信の方が賢くまた周囲の人気を集めていたからである。遠州は心のなかで、(定信さまは必ず次の将軍におなりになる)と期待していた。が、一橋家の政治工作が成功して、次の将軍候補者は一橋家から選ばれた。しかも、定信は奥州白河(福島県白河市)の松平という小さな大名の養子に入れられてしまった。遠州は、(田安家の人々はみんな誠実なので、一橋家や幕府首脳部の策謀に引っかかってしまった)と嘆いた。が、そんな経緯もあって、松平と姓を変えた定信は白河藩主になり、善政を行ったので、やがて幕府中央に乗り出し、老中首座(総理大臣)になった。老中になった定信は〝寛政の改革〞を展開し、弱い立場にある人々のための善政をたくさん行った。やがて、老中を退いて隠居した。しかし、遠州は定信に呑気な生活を送らせなかった。「これからが本番ですよ」といった。「隠居したのに何をすればよいのだ?」定信が訊く。遠州は、「私も老いました。これからは、隠居後が本番です※1 小姓……武将の身近に仕え、もろもろの雑用をつとめる者

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