エルダー2019年11月号
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高齢者に聞く第 回共同エンジニアリング株式会社顧問杉すぎ村むら卓たく治じさん67 杉村卓治さん(69歳)は、プラントエンジニアとして新設プラント建設や業務改革のプロジェクトにたずさわり続けてきた。定年後は経験を活かし、新卒社員を技術者へと育成するため、新しい職場で力を注いでいる。人材育成の道をまい進する杉村さんが、生涯現役で働く心意気を語る。2019.1138先輩の励ましに支えられて私は山口県徳とく山やま市(現在の周しゅう南なん市)で生まれ、小学校へ入るころに岩いわ国くに市へ転居しました。地元の工業高校化学科を卒業後、JXTGエネルギー株式会社の前身である興亜石油株式会社麻ま里り布ふ製油所へ入社、同社は、山口県最東端の和わ木き町で1943(昭和18)年に操業を開始した歴史ある製油所でした。高卒の新入社員はまずプラントの運転を担当することになり、2カ月の研修期間を終えると三交替の厳しい勤務が待っていました。夜勤もつらかったですが、そのころは職人肌の社員も多く、大きな声で怒鳴られるたびに、何度辞めようと思ったかわかりません。そんな私を見守っていてくれた4歳年上の先輩が「お前は見どころがあるのだから、辛抱しなくてはいけないよ」と折に触れ励ましてくれました。思えば技術だけではなく、物の見方や考え方など、すべてのことをこの先輩から学ばせてもらいました。自分のことをちゃんと見ていてくれる人がいると思うと、俄然やる気が出てきて、プラント運転という仕事がだんだん楽しくなってきました。聴ちょう音おん棒ぼう※1を手に現場を歩き、配管の振動や温度を体感しながら、腐食の進行を発見し対応できたときは本当に嬉しかったです。何度も辞めようと思いつつ、いつしか「プラントの現場で超一流になる」というスイッチが入った。恩人の先輩とは、いまも親しい交流が続く。独自のリスク分析手法を立案さまざまなプラント運転を経験するなかで、28歳のとき班長になりましたが、歴代で一番若い班長といわれたときは嬉しかったです。それから10年間は、現場責任者として充実した日々でした。その後39歳で大規模な新設プラントプロジェクトを担当、2年の歳月を経て試運転にこぎつけたときの喜びはいまも覚えています。順じゅん風ぷう満まん帆ぱんの会社生活でしたが、46歳のとき、部下が重度のやけどを負う火災事故に直面しました。当時係長の私は、70人いた部下たちのためにリスク管理という考え方を職場に根づかせなければという思いから、問題解決のためにEM法※2を学び、独自のリスク分析手法を立案しました。正直なところ、それまでは安全課の指示にしたがっていれば安全は守れるものだと考えていました。現場係長は省エネや効率化を考え収益を上げていけばよいのだと。しかし、現場が安全をないがしろにしたら必ず事故が起きることを知り、目が覚めました。上に立つ者が安全について確固たる信念を※1 聴音棒……給水管などの露出部に金属棒の先端を接触させて漏水音を聴く調査機器※2 EM法……考える力を習得し、実践に結びつける研修プログラム

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