エルダー2019年12月号
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特集70歳雇用 先進企業はこうしているエルダー7﹁超高齢社会﹂の到来に向け2004︵平成₁6︶年に高齢法を改正―そもそも日本が高齢者雇用を進めていく方向に向かうようになったのは、いつごろからでしょうか。清家 日本で高齢者雇用を推進しなければならないという機運が出てきたのは、1970年代半ばごろからです。高齢人口比率7%以上を「高齢化社会」、14%以上を「高齢社会」、21%以上を「超高齢社会」といいますが、日本は1970(昭和45)年に7%に達し、「高齢化社会」に突入しました。人口構造の変化というのは、非常に確実な変化です。その後、急速に高齢化の進むことは明らかでしたので、70年代半ばから80年代初めにかけて、高齢化の問題が具体的に議論されるようになりました。 そして、1994年に高齢人口比率が14%を超え、日本は「高齢社会」になりました。1970年に7%を超えてからその倍の14%になるまでたった24年というのは、日本より先に高齢化の進んでいたヨーロッパの2~4倍のスピードですから、危機感も高まりました。 政策的には、1986年に高年齢者雇用安定法が成立し、60歳への定年延長が段階的に進められてきました。いまでは考えられないことですが、当時は定年が55歳の会社もあったわけです。そこから定年が段階的に引き上げられ、1998年に60歳定年が実現しました。―そして、2004年の高年齢者雇用安定法改正により、企業には65歳までの雇用確保措置の導入が求められるようになりました。この改正の背景と狙いを教えてください。清家 1998年に法律上の定年下限年齢が60歳となりましたが、では「60歳まででよいのか」ということは、当然考えられていました。当時から、2000年代半ばには高齢人口比率が21%を超え、いよいよ「超高齢社会」が到来することは確実でした(実際には2007年に到達)。それを見据えて、2000年度の厚生年金法改正で公的年金の支給開始年齢の65歳への段階的引上げが決定されたので、少なくとも65歳までの雇用確保措置を講じる必要が出てきたというのが、法改正の背景でありねらいです。―この法改正が、高齢者の雇用にもたらした影響はどのようなものでしたか。清家 極めて顕著な効果がありました。改正法施行直後の2007年から、60代前半の就業率が急上昇しました。2006年には、60代前半の就業者が427万人、就業率は52・6%だったのが、法改正が効果を表す2007年になる70歳雇用の大前提として65歳定年の実現と高齢者の能力活用を日本私立学校振興・共済事業団 理事長清家 篤氏特 別インタビュー 「成長戦略実行計画」が掲げる70歳までの就業機会の確保を実現するうえで、企業には、どのような対応が求められるのだろうか。長きにわたって日本の高齢者雇用にまつわる議論をリードしてきた清家篤氏に、2004年の高年齢者雇用安定法改正以降の高齢者雇用の動向、現在の課題、今後の展望などについて、お話をうかがった。

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