エルダー2020年1月号
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1995(平成7)年に美容学校制度が変わり、現在はインターンへの参加は必須ではない。インターンという修業時代に片道2時間かけて通い続けたことが設楽さんを鍛えた。美容師としてスタート新しい世界との出会い私は秋田県能■代■市の生まれで、5人兄弟の末っ子です。サラリーマンの家庭に育ちましたが、美容師という職業に憧れ、中学校を卒業すると秋田市内の美容専門学校に進みました。当時は中卒でも入学でき、片道2時間かけて通いました。そのころは1年制で、インターンという実習制度があり、美容院で働きながら国家試験に合格、美容師の資格を取得しました。将来を夢見て順調に歩み始めていましたが、母が闘病生活を送ることになり、介護のために美容院を退職しました。1年ほど介護に専念しましたが、19歳のとき亡くなりました。さらにショックだったのは、父が母の後を追うかのように3カ月後に還らぬ人となったことです。成人した姿を2人に見てもらえなかったことが悔しくてなりません。しかし、いつまでも呆然としてはおられず、東京へ嫁いだ姉を頼って上京。両親のいない故郷に戻るより、東京でがんばろうと再び美容院で働くことにしました。3年間の勤務ののち結婚、しばらくは子育てに追われました。私はいま70歳になり、亡くなった両親の歳をとっくに越えてしまいましたが、元気で働き続けてこられたのは早逝した両親への思いが支えとなっているのかもしれません。回■子育てが一段落した30代の後半に、知人から美容院を任されました。しかし、しばらくして家主さんの事情で店を続けられなくなり、また専業主婦に戻ることに。魚部門のパートを募集しているから、応募してみないか」とアドバイスがありました。それが現在のサミットストア野沢龍雲寺店の前身である野沢店です。結婚以来ずっと住んでいる街で、市民の台所として期待されるスーパーであり、歩いて通えることも魅力でした。加えて魚料理が得意というか、魚を触ることが好きでしたから迷わず面接を受けました。まにか31年もの長い間お世話になっています。鮮魚部門ひとすじで、これはもしかしたら自分の天職ではないかと思うこともあります。初から柳■刃■包丁を持たせてもらえたわけではありません。当時の店長が、「この部門で働くのなら刺身を覚えなさい」と強くすすめて資格があるというのはありがたいもので、そのころ友人から、「近所のスーパーで、鮮いまは刺身の担当ですが、もちろん入社当■■第 6939歳の新たな出発でした。気がつけばいつの2020.132高齢者に聞くサミットストア野沢龍りゅう雲うん寺じ店シニアパート社員設■■■楽万■里■子■さん 設楽万里子さん(70歳)は、大手スーパーの鮮魚部門で、シニアパート社員として現在も第一線で働いている。設楽さんが包丁を入れた刺身の切り口の美しさにファンも多い。どんなときも全力で自分の仕事と向き合う設楽さんが、生涯現役で働ける喜びを笑顔で語る。

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