エルダー2020年2月号
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エルダー33(それほど、懇望されるのなら、やはり武士としてその職を受けるべきだ)蕉園はそう覚悟して、承諾した。任地に赴く前に、かれは心構えを立てた。それは、「あくまでも住民に寄り添う代官になる」ということである。このとき蕉園が立てた心構えは次の通りだ。・ 住民に寄り添う代官を実証するためには、現地に骨を埋める覚悟がいる。つまり、任地に永住する。・ 家族にはそのことを話し、一緒に行きたい者は同行し、江戸に残りたい者はその希望を叶える。・ 52歳の高齢なので、もう新しいことはできない。身の丈に合った(能力に見合った)仕事をする。・ 身の丈に合った仕事というのは、住民に寄り添うために、何よりも住民一人ひとりの悩みごとの高齢者代官の覚悟相談を受けることだ。そして、病人には覚えた貼薬を提供して治癒にあたる。・ 俳句が好きで、特に松尾芭蕉を尊敬しているので、住民たちの心にゆとりを持たせるために俳句の指導もあわせて行う。ざっとこんなことだった。任地に行った。任地は、遠江の国相さがら良(静岡県牧之原市相良)だ。2万石程度の領地である。赴いた蕉園はさっそく方針通り行動した。次第に成果が上がっていった。住民たちは、「今度のお代官は、親身な人だ。われわれの立場に立って政務を考えておいでだ」と噂し、次第に蕉園の評価は高まっていった。副次的に行う貼薬の効果もかなりあり、その面でも評判を高めた。ある日、住民代表がやって来て袋を差し出した。「何だね?」と訊くと、「蛤です。お代官がお好きだとうかがいました。でも、この土地では蛤は獲れません。桑名から買ってきました」といった。蕉園は微笑んだ。そんな噂がすでに流れていたのか、と住民たちの自分に対する関心の高さに胸を打たれたからである。蕉園は袋を受け取り、中に入っている蛤を一つ取り出した。そしていった。「一つだけ貰うよ。あとは海に撒まきなさい」「え」と見返す住民に、蕉園はいった。「たしかに、焼いた蛤は旨うまい。しかし、店で買った蛤よりも、自分たちで育てた蛤の方がなお旨い。ここの海で蛤を育てなさい。その蛤は、海に帰して育てよう」住民たちは顔を見合わせた。蕉園の才覚に感心したのである。しかし、その年の蛤の養殖は失敗した。落ち込んでやって来た住民たちに蕉園はいった。「1年や2年で、いままで育たなかった蛤が育つわけがない。諦めずに、さらに続けよう。これは蛤を仕入れる元手だ。使ってくれ」といって、貼薬で得た金を渡した。住民たちは感動して戻って行った。翌年も駄目だった。しかし3年目に、住民代表が目を輝かせて飛んできた。「お代官、蛤が育ちました! これです、見てください」と、言葉に喜びを飛び散らせながらいった。見事な蛤を差し出した。蕉園も感動した。(住民たちは決して負け犬ではない。一度や二度の失敗に落ち込むような人間ではなかった。これは嬉しいことだ)蕉園は、自分が決めた〝住民に寄り添う代官〞の仕事の一つとして、新しく蛤の養殖を伝えた自分の才覚にも感動していたのである。つまり、「自分で、自分を褒めてやりたいこと」が実践できたのだ。蕉園がすすめた蛤の養殖はその地帯で広まっていった。

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