エルダー2020年3月号
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2020.330[第89回]河合曽良は、元禄時代の武士で俳人だった。松尾芭蕉の弟子だ。身分は伊勢(三重県)桑名の松平家の家臣だった。彼の俳句好きを家中もよく知っていて、芭蕉が〝おくのほそ道〞のときに、望んで同行を求めたのに対し、理解を示してくれた。つまり曽良は芭蕉の〝おくのほそ道〞の旅の供をしたのである。芭蕉は曽良が歴史に明るく、特に日本の各地域の神社仏閣の歴史に詳しいことを知っていた。そこで東北から北陸を歩く今度の旅程中、〝由緒の深い神社仏閣の由緒を、調べてメモしてほしい〞と頼んだのである。それを、旅の先々で参考にするつもりでいた。しかし、曽良の知るかぎり、せっかく曽良がつくったこのメモを、芭蕉が旅で大いに活用したという形跡はあまりなかった。その不満が高じたわけではないが、曽良は旅が関東地方から東北に至り、東北を巡って日本海側に出、北陸路を辿って加賀(石川県)の山中温泉まで着いたとき、ついに我慢できなくなって、「体調が思わしくありません。お師匠さま、申し訳ございませんがここから帰国させていただきます」といって芭蕉と別れてしまった。理由がある。曽良は、几帳面な性格で、仕事のうえでも調査魔おくのほそ道の供をする

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