エルダー2020年3月号
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高齢者に聞く第 回2020.332研究者としての日々私は兵庫県西にしのみや宮市で生まれ、中学3年生のとき父の転勤にともない、神奈川県鎌かま倉くら市に転居しました。県内の高校を卒業後、早稲田大学理工学部に入学。小さいころからものづくりに興味があり、気づけば理系の道を目ざしていました。機械屋だった父の影響が少しはあるのかもしれません。そのまま大学院に進み、1975(昭和50)年に三菱化成工業株式会社に入社しました。最初に配属されたのは、横浜にあった総合研究所でした。面接のとき、大学で高分子(プラスチック)の研究をしていたことを話したので、その方面の研究ができると勝手に思い込んでいましたが、「界かい面めん化学」という未知の分野に従事することになりました。「界面化学」とは、文字通り二つの物質が接する境界に生じる現象を扱う化学の1分野です。会社にとっても界面化学は新しい分野で、私が入社したころに着手したばかりでした。それまでの専門とは違いましたが、新しい世界での研究・開発の仕事はやりがいがあり、何よりも面白味がありました。界面化学との出会いがあったからこそ、73歳になるいまも現役で働けるのかもしれません。若いときは、目の前に与えられたチャンスに臆せず挑戦していくことがいかに大切かが、いまになるとよくわかりますし、そのチャンスをもらえたことに感謝しています。入社してすぐに、それまでなかなかうまく作動しなかった分散機※の装置を改良し、生産にこぎつけたときは本当に嬉しかったです。経験の浅い私が、ほんの少し発想を転換しただけのことでしたが、簡単にあきらめず、さまざまな角度から試してみる姿勢は、いまも変わっていません。40代半ばには、3年ほど経営企画室で事業戦略の策定に従事。「まったく違う分野だからこそ大いに勉強になりました」と田川さん。この積極性が田川さんの真骨頂である。定年を新たなスタートに経営企画室にいたころ、三菱化成は三菱油化と合併し、三菱化学と名前が変わりました。私は横浜総合研究所に戻ることになり、シュガーエステル(食品用界面活性剤)やイオン交換樹脂、凝ぎょう集しゅう剤ざいなどの研究開発を担当しました。「凝集剤」というのは沈殿をうながすための添加物で、例えば泥水に入れれば泥を取り除くことができます。化学は、いかに世の中に役立つかということが常に問われていると私は考えます。化学の力を借りて、自分も社会に貢献したいという※ 分散機……気体・液体のなかに、別の物質が粒子状に散らばって存在する分散状態をつくる装置をいう株式会社三菱ケミカルリサーチ首席研究員田た川がわ 徹とおるさん71 田川徹さん(73歳)は、研究職の経験を活かし、現在も情報のスペシャリストとして第一線で働いている。新しい分野に配属されるたび、それを自分の天職ととらえて挑戦し続けてきた。常に前向きな田川さんが、生涯現役の極意を語る。

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